国際連盟加盟国
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

リトアニア共和国1921年9月22日[1][2]1946年4月18日[変遷:13]
リベリア1920年01月10日1920年1月10日[2]1946年4月18日[原加盟国]
ルウ ルーマニア王国1920年01月10日1920年1月10日[2]1940年7月[原加盟国]
ルクセンブルク1920年12月16日[1][2]1942年8月30日

原加盟国

1. ^  パリ講和会議中の1919年4月28日に採択された「国際連盟規約」が、同年6月28日、ヴェルサイユ条約の第1編として盛り込まれた。これに調印した42ヵ国が国際連盟の原加盟国[3]であり、規約の発効日である1920年1月10日を加盟年月日としている[2]

ただし、1929年発行の「国際聯盟年鑑[1]」によると、以下の国家については別の年月日を加盟日と記している。

アルゼンチン - 1919年7月18日

 チリ - 1919年11月4日

ペルシア帝国 - 1919年11月21日

パラグアイ - 1919年12月26日

セルブ・クロアート・スロヴェーヌ王国(ユーゴスラビア王国) - 1920年2月10日

ベネズエラ - 1920年3月3日

 ノルウェー - 1920年3月5日

 キューバ スイス、 デンマーク - 1920年3月8日

オランダ、 スウェーデン - 1920年3月9日

 コロンビア - 1920年2月16日

エルサルバドル - 1920年3月10日

ギリシャ王国 - 1920年3月30日

ルーマニア王国 - 1920年4月7日

ポルトガル - 1920年4月8日

ハイチ リベリア - 1920年6月30日

中華民国 - 1920年7月16日

ニカラグア ホンジュラス - 1920年11月3日

加盟

1.
^ 1921年に英愛条約によってイギリス(グレートブリテン及びアイルランド連合王国)から分離したアイルランド自由国は連盟加盟を申請し、連盟総会では満場一致で加盟を承認した[4]

2. ^ アビシニア(エチオピア)加盟に当たって同国の奴隷制度が問題視された。国際連盟は2年に及ぶ調査を実施し、同政府に対して奴隷制度廃止への努力、同制度においては内政問題ではなく連盟が介入しうる問題であるということに同意することが加盟条件として提示された[5]

3. ^ イラクは当時国際連盟による委任統治領(イギリス委任統治領メソポタミア)であった。イギリスが財政的負担から1932年10月3日にイラク王国として独立させ、同時に連盟に加盟することになった。旧委任統治国イラクの加盟は、委任統治は植民地とは相違であるという好例として歓迎された[6]

4. ^ 国際連盟に加盟できるのは基本的に独立国家のみであったが、イギリスの自治領であったカナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ連邦については、各自治領を対等な立場として扱うことをイギリスが主張し、例外的に加盟が承認された[4]

5. ^ インドは当時イギリスの植民地だったため加盟資格問題が浮上した。宗主国イギリスのロバート・セシル第一次世界大戦におけるインドの貢献を取り上げ、また一部では民主化も進み自治領へ移行する準備もあることから加盟を主張し、結果イギリスの自治領の事例と同じく植民地でありながら例外的に加盟が承認された[7]

6. ^ 共産主義国家であったソ連は当初、国際連盟は資本主義国が中心となる組織であると非難し、その強大化を警戒していた[8]が、ドイツのアドルフ・ヒトラー率いるナチス政権の台頭を懸念して次第に連盟に接近する姿勢を示すようになった[6]。連盟もさらなる弱体化を防止する意味もあってソ連の加盟に好意的であり、34ヵ国の賛成でソ連へ招請状が送付された。のち、1934年9月18日の総会で、ソ連の加盟は賛成39、反対3、棄権7で可決された。常任理事国の投票も同時に実施され、賛成40、反対10で可決された[9]

7. ^ ドイツは連盟加盟を当初から希望していたが、連盟は1926年3月8日の臨時総会にてようやくドイツをロカルノ条約に基づいて加入資格を承認した[10]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:105 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef