国際連盟加盟国
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国際連盟は2年に及ぶ調査を実施し、同政府に対して奴隷制度廃止への努力、同制度においては内政問題ではなく連盟が介入しうる問題であるということに同意することが加盟条件として提示された[5]

3. ^ イラクは当時国際連盟による委任統治領(イギリス委任統治領メソポタミア)であった。イギリスが財政的負担から1932年10月3日にイラク王国として独立させ、同時に連盟に加盟することになった。旧委任統治国イラクの加盟は、委任統治は植民地とは相違であるという好例として歓迎された[6]

4. ^ 国際連盟に加盟できるのは基本的に独立国家のみであったが、イギリスの自治領であったカナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ連邦については、各自治領を対等な立場として扱うことをイギリスが主張し、例外的に加盟が承認された[4]

5. ^ インドは当時イギリスの植民地だったため加盟資格問題が浮上した。宗主国イギリスのロバート・セシル第一次世界大戦におけるインドの貢献を取り上げ、また一部では民主化も進み自治領へ移行する準備もあることから加盟を主張し、結果イギリスの自治領の事例と同じく植民地でありながら例外的に加盟が承認された[7]

6. ^ 共産主義国家であったソ連は当初、国際連盟は資本主義国が中心となる組織であると非難し、その強大化を警戒していた[8]が、ドイツのアドルフ・ヒトラー率いるナチス政権の台頭を懸念して次第に連盟に接近する姿勢を示すようになった[6]。連盟もさらなる弱体化を防止する意味もあってソ連の加盟に好意的であり、34ヵ国の賛成でソ連へ招請状が送付された。のち、1934年9月18日の総会で、ソ連の加盟は賛成39、反対3、棄権7で可決された。常任理事国の投票も同時に実施され、賛成40、反対10で可決された[9]

7. ^ ドイツは連盟加盟を当初から希望していたが、連盟は1926年3月8日の臨時総会にてようやくドイツをロカルノ条約に基づいて加入資格を承認した[10]。ドイツは先立って理事国に対して加盟の条件を提示し、理事会からの返答を承認した上で2月8日に加盟申請をしており[11]、9月8日の総会で加盟が可決された。常任理事国参入も加盟条件に則り総会で審議した結果可決され常任理事国となった[12]

8. ^ トルコは1927年10月の時点で非常任理事国参入を条件に加盟を申請したが、条件が承認されず破談し、1932年に改めて加盟した[5]。なお、トルコは1934年9月から1936年9月まで非常任理事国に選出されている。

変遷

1.
^ 1937年からはアイルランド(エール)に改称。

2. ^ 第二次エチオピア戦争によってイタリアに占領され、1936年5月9日から1941年5月5日まではイタリア領東アフリカ帝国となっていたが、国際連盟はイタリアの領有を承認しなかった[2]ため、連盟解散までアビシニア(エチオピア帝国)のまま残留した。

3. ^ 1925年からはアルバニア共和国、1928年9月1日からはアルバニア王国

4. ^ ソ連に併合され、1940年8月6日からはソ連の構成国のエストニア・ソビエト社会主義共和国となっていた。国際連盟は併合を承認しなかった[2]ものの、最後の連盟総会の出席などは拒否された。

5. ^ 1934年4月30日からはオーストリア連邦国に改称。

6. ^ 1924年3月25日からはギリシャ共和国、1935年11月3日からはギリシャ王国、1941年4月9日からはギリシャ国、1944年10月からはギリシャ王国。

7. ^ 1939年6月24日からはタイ王国、1945年9月17日からはシャム王国に改称。

8. ^ 1931年4月14日からはスペイン共和国、1939年4月1日からはスペイン国

9. ^ 1929年にユーゴスラビア王国に改称。

10. ^ 1928年に国民革命軍北伐によって北京政府が崩壊し、南京国民政府が中華民国の代表として認められた。

11. ^ 1935年にイラン帝国に改称。

12. ^ ソ連に併合され、1940年8月5日からはソ連の構成国としてラトビア・ソビエト社会主義共和国となっていた。国際連盟は併合を承認しなかった[2]ものの、最後の連盟総会の出席などは拒否された。

13. ^ ソ連に併合され、1940年8月3日からはソ連の構成国としてリトアニア・ソビエト社会主義共和国となっていた。国際連盟は併合を承認しなかった[2]ものの、最後の連盟総会の出席などは拒否された。

離脱

国際連盟から離脱した事例としては、自主的な離脱(脱退)、連盟側からの離脱決議(除名)、政変による事実上の離脱(停止)の3種類に区別される。

1.
^ アルゼンチンは1921年に一度脱退しているが、1933年に再加盟している[13]

2. ^ アルバニア王国は1939年4月にイタリアが侵攻し占領されたことを受けて加盟国の資格を停止された[14]

3. ^ 1935年からのエチオピア侵攻に対する措置として経済制裁を受けていたイタリアは、国際連盟への反発を強め、1937年には既に連盟を脱退していた日本やドイツとの連携を強化して日独防共協定に加入することとなり、これを受けて国際連盟から脱退する結果となった。

4. ^ オーストリア連邦国は1938年3月13日にドイツに併合されたことを受けて加盟国の資格を停止された。オーストリアはその後も加盟国の地位を主張したが、オブザーバーとしての参加のみ承認され、最後の総会までオブザーバーとしての地位に留まった[14][15]

5. ^ コスタリカは国際連盟を運営する分担金の支払いが不可能であることを理由に脱退を表明[16]。連盟最初の脱退国となった。


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