国際連盟加盟国
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常任理事国の投票も同時に実施され、賛成40、反対10で可決された[9]

7. ^ ドイツは連盟加盟を当初から希望していたが、連盟は1926年3月8日の臨時総会にてようやくドイツをロカルノ条約に基づいて加入資格を承認した[10]。ドイツは先立って理事国に対して加盟の条件を提示し、理事会からの返答を承認した上で2月8日に加盟申請をしており[11]、9月8日の総会で加盟が可決された。常任理事国参入も加盟条件に則り総会で審議した結果可決され常任理事国となった[12]

8. ^ トルコは1927年10月の時点で非常任理事国参入を条件に加盟を申請したが、条件が承認されず破談し、1932年に改めて加盟した[5]。なお、トルコは1934年9月から1936年9月まで非常任理事国に選出されている。

変遷

1.
^ 1937年からはアイルランド(エール)に改称。

2. ^ 第二次エチオピア戦争によってイタリアに占領され、1936年5月9日から1941年5月5日まではイタリア領東アフリカ帝国となっていたが、国際連盟はイタリアの領有を承認しなかった[2]ため、連盟解散までアビシニア(エチオピア帝国)のまま残留した。

3. ^ 1925年からはアルバニア共和国、1928年9月1日からはアルバニア王国

4. ^ ソ連に併合され、1940年8月6日からはソ連の構成国のエストニア・ソビエト社会主義共和国となっていた。国際連盟は併合を承認しなかった[2]ものの、最後の連盟総会の出席などは拒否された。

5. ^ 1934年4月30日からはオーストリア連邦国に改称。

6. ^ 1924年3月25日からはギリシャ共和国、1935年11月3日からはギリシャ王国、1941年4月9日からはギリシャ国、1944年10月からはギリシャ王国。

7. ^ 1939年6月24日からはタイ王国、1945年9月17日からはシャム王国に改称。

8. ^ 1931年4月14日からはスペイン共和国、1939年4月1日からはスペイン国

9. ^ 1929年にユーゴスラビア王国に改称。

10. ^ 1928年に国民革命軍北伐によって北京政府が崩壊し、南京国民政府が中華民国の代表として認められた。

11. ^ 1935年にイラン帝国に改称。

12. ^ ソ連に併合され、1940年8月5日からはソ連の構成国としてラトビア・ソビエト社会主義共和国となっていた。国際連盟は併合を承認しなかった[2]ものの、最後の連盟総会の出席などは拒否された。

13. ^ ソ連に併合され、1940年8月3日からはソ連の構成国としてリトアニア・ソビエト社会主義共和国となっていた。国際連盟は併合を承認しなかった[2]ものの、最後の連盟総会の出席などは拒否された。

離脱

国際連盟から離脱した事例としては、自主的な離脱(脱退)、連盟側からの離脱決議(除名)、政変による事実上の離脱(停止)の3種類に区別される。

1.
^ アルゼンチンは1921年に一度脱退しているが、1933年に再加盟している[13]

2. ^ アルバニア王国は1939年4月にイタリアが侵攻し占領されたことを受けて加盟国の資格を停止された[14]

3. ^ 1935年からのエチオピア侵攻に対する措置として経済制裁を受けていたイタリアは、国際連盟への反発を強め、1937年には既に連盟を脱退していた日本やドイツとの連携を強化して日独防共協定に加入することとなり、これを受けて国際連盟から脱退する結果となった。

4. ^ オーストリア連邦国は1938年3月13日にドイツに併合されたことを受けて加盟国の資格を停止された。オーストリアはその後も加盟国の地位を主張したが、オブザーバーとしての参加のみ承認され、最後の総会までオブザーバーとしての地位に留まった[14][15]

5. ^ コスタリカは国際連盟を運営する分担金の支払いが不可能であることを理由に脱退を表明[16]。連盟最初の脱退国となった。

6. ^ 1939年3月27日日独伊防共協定に加入していたスペインは、同年5月をもって国際連盟から脱退した。

7. ^ ソビエト社会主義共和国連邦は1939年のフィンランド侵攻(冬戦争)が問題視され、同年12月の連盟理事会において除名が決議された。

8. ^ 1931年(昭和6年)の満州事変について調査を実施していたリットン調査団の報告および連盟決議により満州国の樹立・国家承認が否定されたことを受け、日本が国際連盟から脱退。詳細は「国際連盟#日本の貢献と脱退まで」を参照。

9. ^ チェコスロバキアは1939年ナチス・ドイツによるチェコスロバキア併合によって消滅したことを受けて加盟国の資格を停止された。

10. ^ ヴェルサイユ体制の破棄や軍事面の平等化を目指すアドルフ・ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)が政権を掌握したドイツが国際連盟を脱退。

11. ^ パラグアイは戦局が有利な状況下であったチャコ戦争において、調停に乗り出した連盟が交戦国ボリビア側の演説をもとに休戦を勧告したことに強く反感を持っていた。連盟はこれを受けて交戦中の両国のうちボリビアに対してのみ武器輸出禁止措置を解除する手段を施したが、これに反発したパラグアイは連盟から脱退した[17]

12. ^ ハンガリー王国は以前よりマジャル人が多く住む地域を周辺国に割譲したヴェルサイユ体制に不満を抱いていた。ドイツで同体制の破棄を目指すナチス政権が誕生すると次第に歩調を合わせるようになり、国際連盟を脱退した。

13. ^ ブラジルは1926年にドイツの連盟加盟問題において加盟と同時にドイツの常任理事国入りが議論された際、スペインやベルギー、ポーランドの各国と共に常任理事国参入を要求した。


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