国際連盟から離脱した事例としては、自主的な離脱(脱退)、連盟側からの離脱決議(除名)、政変による事実上の離脱(停止)の3種類に区別される。
1. ^ アルゼンチンは1921年に一度脱退しているが、1933年に再加盟している[13]。
2. ^ アルバニア王国は1939年4月にイタリアが侵攻し占領されたことを受けて加盟国の資格を停止された[14]。
3. ^ 1935年からのエチオピア侵攻に対する措置として経済制裁を受けていたイタリアは、国際連盟への反発を強め、1937年には既に連盟を脱退していた日本やドイツとの連携を強化して日独防共協定に加入することとなり、これを受けて国際連盟から脱退する結果となった。
4. ^ オーストリア連邦国は1938年3月13日にドイツに併合されたことを受けて加盟国の資格を停止された。オーストリアはその後も加盟国の地位を主張したが、オブザーバーとしての参加のみ承認され、最後の総会までオブザーバーとしての地位に留まった[14][15]。
5. ^ コスタリカは国際連盟を運営する分担金の支払いが不可能であることを理由に脱退を表明[16]。連盟最初の脱退国となった。
6. ^ 1939年3月27日に日独伊防共協定に加入していたスペインは、同年5月をもって国際連盟から脱退した。
7. ^ ソビエト社会主義共和国連邦は1939年のフィンランド侵攻(冬戦争)が問題視され、同年12月の連盟理事会において除名が決議された。
8. ^ 1931年(昭和6年)の満州事変について調査を実施していたリットン調査団の報告および連盟決議により満州国の樹立・国家承認が否定されたことを受け、日本が国際連盟から脱退。詳細は「国際連盟#日本の貢献と脱退まで」を参照。
9. ^ チェコスロバキアは1939年のナチス・ドイツによるチェコスロバキア併合によって消滅したことを受けて加盟国の資格を停止された。