国際連盟加盟国
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オーストリアはその後も加盟国の地位を主張したが、オブザーバーとしての参加のみ承認され、最後の総会までオブザーバーとしての地位に留まった[14][15]

5. ^ コスタリカは国際連盟を運営する分担金の支払いが不可能であることを理由に脱退を表明[16]。連盟最初の脱退国となった。

6. ^ 1939年3月27日日独伊防共協定に加入していたスペインは、同年5月をもって国際連盟から脱退した。

7. ^ ソビエト社会主義共和国連邦は1939年のフィンランド侵攻(冬戦争)が問題視され、同年12月の連盟理事会において除名が決議された。

8. ^ 1931年(昭和6年)の満州事変について調査を実施していたリットン調査団の報告および連盟決議により満州国の樹立・国家承認が否定されたことを受け、日本が国際連盟から脱退。詳細は「国際連盟#日本の貢献と脱退まで」を参照。

9. ^ チェコスロバキアは1939年ナチス・ドイツによるチェコスロバキア併合によって消滅したことを受けて加盟国の資格を停止された。

10. ^ ヴェルサイユ体制の破棄や軍事面の平等化を目指すアドルフ・ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)が政権を掌握したドイツが国際連盟を脱退。

11. ^ パラグアイは戦局が有利な状況下であったチャコ戦争において、調停に乗り出した連盟が交戦国ボリビア側の演説をもとに休戦を勧告したことに強く反感を持っていた。連盟はこれを受けて交戦中の両国のうちボリビアに対してのみ武器輸出禁止措置を解除する手段を施したが、これに反発したパラグアイは連盟から脱退した[17]

12. ^ ハンガリー王国は以前よりマジャル人が多く住む地域を周辺国に割譲したヴェルサイユ体制に不満を抱いていた。ドイツで同体制の破棄を目指すナチス政権が誕生すると次第に歩調を合わせるようになり、国際連盟を脱退した。

13. ^ ブラジルは1926年にドイツの連盟加盟問題において加盟と同時にドイツの常任理事国入りが議論された際、スペインやベルギー、ポーランドの各国と共に常任理事国参入を要求した。特にスペインとブラジルは要求が承認されなければ連盟を脱退すると強硬姿勢を示しており、当時理事会議長だった石井菊次郎は将来アメリカやソ連を連盟に加入させ常任理事国とする前提で両国の常任理事国参入を承認し、常任理事国の枠そのものを拡大することを提案したが、スペインとブラジル両国は同意せず連盟脱退を宣言した。後の委員会で非常任理事国の枠が9ヶ国に拡大されたことに応じてスペインは宣言を撤回したが、ブラジルは宣言通り国際連盟を脱退した[18]

14. ^ 親独政権のヴィシー政権下のフランス国1941年4月18日に国際連盟からの脱退を宣言したが、自由フランスフランス共和国臨時政府は脱退宣言を否認している。

非加盟国

モンゴル国[2] - 1924年からは モンゴル人民共和国

トゥヴァ人民共和国[2] - 1921年独立。1944年ソ連に併合。

チベット

ブータン王国

ネパール王国[2]

イエメン・ムタワッキリテ王国[2]

ヒジャーズ王国[2] - 講和条約では原加盟国とされているが、加盟せず。1926年に ナジュド王国に併合され、 ナジュド及びヒジャーズ王国が成立、1932年以降は サウジアラビア王国[2]

南ローデシア[2](自治領)

アイスランド王国[2]

アンドラ[2]

リヒテンシュタイン[2]

モナコ[2]

サンマリノ[2]

バチカン[2] - 1929年独立。

自由都市ダンツィヒ[2]

アメリカ合衆国[2] - 講和条約では原加盟国とされているが、アメリカ合衆国議会上院反対多数(モンロー主義上院議員多数)により加盟できなかった。

ニューファンドランド[2](自治領)

脚注^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag 『國際聯盟年鑑 1929年』 青木節一著 pp.23~24

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