国際連合は、第二次世界大戦を防ぐことができなかった国際連盟(1919年 - 1946年)の反省を踏まえ、アメリカ合衆国、イギリス、ソビエト連邦、中華民国などの連合国(the united nations)が中心となって設立した。1945年4月から6月にかけてアメリカ・サンフランシスコで開かれたサンフランシスコ会議で国連憲章が署名され、同年10月24日に正式に発足した。
発足時の原加盟国はイギリスやソビエト連邦の構成国であった一部の国を含めた51か国であった。2023年2月現在、国際連合の加盟国数は193か国で、世界のほとんどの全地域を網羅している。最も新しい加盟国は、南スーダン(2011年7月14日加盟)である[12]。
国連の目的は国連憲章第1条に記されており、目的は次の三つである[13]。
国際平和・安全の維持
諸国間の友好関係の発展
経済的・社会的・文化的・人道的な国際問題の解決のため、および人権・基本的自由の助長のための国際協力
ニューヨークにある国連本部
これらの目的を達成するため、総会、安全保障理事会、経済社会理事会、信託統治理事会、国際司法裁判所、事務局という6つの主要機関と、多くの付属機関・補助機関が置かれている。加えて、15の専門機関と多くの関連機関が国連と連携して活動しており、全体として巨大かつ複雑な国連システム(国連ファミリー)を形成している[14]。
国際連合の本部は、アメリカ合衆国のニューヨーク・マンハッタン島にある。本部ビルは、オスカー・ニーマイヤーを中心とした建築家国際委員会が設計したが、現在老朽化しており、新館を建築家・槇文彦が設計予定である(ただし、国際連合の資金難により計画は滞っている)。そのほか、ジュネーヴなど世界各地に事務所が置かれている。
国際連盟との間には法的な継続性がないものの、国際司法裁判所や国際労働機関(ILO)等の機関を連盟から引き継いでいる。また、旧連盟本部施設も連盟から移管されていて、部分的には継続した組織といえる。
名称公式ロゴ
「英語: the United Nations」(連合国)という言葉が初めて用いられたのは、第二次世界大戦中、日独伊の枢軸国と対戦していた26か国がアメリカ合衆国のワシントンD.C.に集まり、1942年1月1日、枢軸国への対決を明らかにした「連合国共同宣言(ワシントン宣言)」においてである。この名称は、前日の1941年12月31日、ルーズベルト大統領がチャーチル首相に提案して同意を得たとされる[15]。戦後の国際的な平和組織の名称としては、前述の通り1943年8月に作成されたアメリカ国務省の案の中で既に使用されていたが、その後、連合国側の構想の中で使用されるようになった。一方のソ連は「世界連邦(せかいれんぽう)」という名称を提案していた。
国際連合の設立に尽力したルーズベルト大統領は、サンフランシスコ会議開幕直前である1945年4月12日に死去した。会議では、「United Nations」という英語は複数形であり国際機構を意味するものとしては不適当ではないかとの意見もあったが、彼に対する敬意を表してこの名称を採用することが合意された。しばらくは文法上の理由からUnited Nations Organization(UNO)という名称も使われたが、次第に使われなくなった[16]。
一方、フランス語では「機構」を示す「Organisation」を付してOrganisation des Nations uniesから、「ONU」との略称を用いている。スペイン語(Organizacion de las Naciones Unidas)、イタリア語 (Organizzazione delle Nazioni Unite) も同様である[16]。ドイツ語でも正式名称はOrganisation der Vereinten Nationenであるが、通常は Vereinte Nationen「連合国」を用いることが多い。略称は「UN」が一般的である。
日本においては、戦争中の国家連合の名称としては「連合国」(れんごうこく)、国際機構に対しては「国際連合」(こくさいれんごう)との訳語が一般に用いられてきた。後者を軍事同盟の連合国と区別するために「国際連合」と意訳したのは外務官僚であるとされる[17]。ただし、連合国側も枢軸国の占領時には連合国について "the Allied Powers" と表記しており、"the United Nations" という用語を軍事的な意味で継続して使用する意思はなかった。1944年(昭和19年)10月にダンバートン・オークス会議で発表された「国際連合憲章の原案(「一般的国際機構設立に関する提案」)」を同年12月に外務省が翻訳した際には、既に「国際連合」という訳語が用いられており[18]、その後も国際機構を指す言葉としては戦中[19]から戦後、現在に至るまで使用されている。朝日新聞は、当時条約局事務官で、後に駐英大使を務めた森治樹が名付け親だとする話を報じている[注釈 1]。
日本と同様に漢字を使用している中華民国(台湾)や中華人民共和国では「聯合國/?合国」が主に用いられている[21]。
歴史
設立に至る経緯国際連合の設立に主要な役割を果たした(左から)ウィンストン・チャーチル、フランクリン・ルーズベルト、ヨシフ・スターリン(ヤルタ会談にて)。
公称では、国連の前身は国際連盟である[22]。国際連盟は、1919年、国際協力を促進し、平和安寧を完成することを目的として設立された。しかし、アメリカが参加せず、ソビエト連邦も1934年まで加盟せず、一方、日本、ドイツ、イタリアが脱退するなど、有力国の参加を欠いたこともあって、十分な力を発揮することができず、第二次世界大戦の勃発を防ぐことができなかった[23]。
1941年8月、カナダ東海岸ニューファンドランド島沖のプリンス・オブ・ウェールズの艦上で、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領とイギリスのウィンストン・チャーチル首相が会談し、大西洋憲章を提唱した。そこでは、第二次世界大戦後の世界に国際連盟に代わる国際平和機構を創設するとの構想が、抽象的にではあるが既に示されていた[24]。その後、アメリカ国務省の内部で、戦後国際機構の構想が急速に進み、サムナー・ウェルズ国務次官の下に国際機構小委員会が設置され、1942年10月作業を開始して1943年3月には「国際機構憲章草案(英語: Draft Constitution of International Organization)」がほぼ完成していた。コーデル・ハル国務長官がこれを練り直して、同年8月「国際連合憲章(英語: The Charter of the United Nations)草案」を完成させ、ハルは「国連の父」と呼ばれることになる[25][26]。