1972年から1981年までの第4代事務総長クルト・ヴァルトハイム(オーストリア出身)の任期中には、1973年の第四次中東戦争とそれに対する第二次国連緊急軍(UNEF II)の派遣、キプロス問題の再燃などがあった[47]。ゴラン高原方面については、1974年より国際連合兵力引き離し監視軍(UNDOF)が設置された。
1973年には国際連合大学が日本の東京都・渋谷区に、1980年には国連平和大学がコスタリカに大学を設立、両大学は国連システムおよび国連加盟国のシンクタンクとしての機能を持つ。社会経済開発分野では、南北問題も深刻化し、石油輸出国機構(OPEC)による石油禁輸(オイルショック)、1974年の国連資源特別総会の開催に見られるように資源ナショナリズムが高揚した。1981年のカンクンでの南北サミットでは事務総長の努力にもかかわらず南北関係が好転しなかった[47]。
1982年から1991年までの第5代事務総長ハビエル・デクエヤル(ペルー出身)の任期中には、イラン・イラク戦争、アフガニスタン紛争、ナミビア内戦、アンゴラ内戦などがあり、国連のあっせん・仲介で停戦など一定の成果が上がった[48]。1982年には先住民作業部会が設立されるなど先住民の人権及び基本的な自由の促進と保護を重視されるようになった。1988年には将来的な米ソの核戦争回避を行うために中距離核戦力全廃条約を締結した。1989年にはベルリンの壁崩壊による東ドイツの崩壊とドイツ連邦共和国によるドイツ再統一、東欧革命などの一連の出来事によって冷戦の終結した。
1991年7月には共産主義国の国際軍事同盟のワルシャワ条約機構が解散、12月にはソビエト連邦の崩壊によって独立した独立国家共同体(CIS)、バルト三国の国家が国連に加盟した。東側諸国の影響力低下により、事実上のアメリカ合衆国一強時代となった。また、ソビエト連邦(ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国)の後継国としてロシア連邦が常任理事国になった。安保理の平和維持機能が復活し、1991年の湾岸戦争では安保理の武力行使容認決議に基づき多国籍軍が派遣された[48]。
1992年から1996年までの第6代事務総長ブトロス・ガリ(エジプト出身)の任期中には、カンボジア、ソマリア、ルワンダ、ボスニア(旧ユーゴスラビア)、モザンビークなどに次々PKOが派遣され、ガリ事務総長が1992年の『平和への課題』と題する報告書で訴えたとおり、PKOに平和執行部隊としての機能も期待された。しかし、一定の成果を上げたカンボジアやモザンビークと異なり、ソマリア、ルワンダ、ボスニアではPKOは十分な役割を果たすことができなかった[49]。
社会経済開発の分野では1992年、リオデジャネイロで環境と開発に関する国際連合会議(地球サミット)が開かれ、「持続可能な開発」の理念が普及した。1994年、国連開発計画(UNDP)が年次報告書で「人間の安全保障」という理念を提唱した。その他には1996年9月に包括的核実験禁止条約が国際連合総会によって採択されたが、未だに発効してない。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は核拡散防止条約からの脱退を表明したことで国連安保理が北朝鮮への制裁を検討する事態となった。
21世紀第7代事務総長を務めたコフィー・アナン。在任中の2001年にはより平和な世界のための取組みに対してノーベル平和賞を授与された。
1997年から2006年まで第7代事務総長を務めたコフィー・アナン(ガーナ出身)は、国連の行政改革に取り組み、縦割りを是正するため執行委員会の設置などを行った[50]。彼の任期中には、1998年に国際刑事裁判所(ICC)設立のためのローマ規程が採択されたり(2003年発足)、2000年のミレニアム記念総会(ミレニアム・サミット)で途上国の開発目標などを定める国連ミレニアム宣言が採択されたりした。国連ミレニアム宣言は、8つの章と32の主要目標からなり、サミットにおいて189ヶ国の世界の首脳によって採択された。
2001年、国連はアナン事務総長とともにノーベル平和賞を受賞した[1]。もっとも、イラク民衆救済のための石油食料交換プログラム(1995年-2003年)に関し、国連事務局幹部の不祥事が後に発覚し、アナンの息子が勤めていた会社と国連との不透明な関係も指摘されるなど、事務総長自身の廉潔性も問われることとなった[51]。2001年9月にはアメリカ同時多発テロ事件、2004年にはマドリード列車爆破テロ事件が発生した。国家間との戦いの減少に伴い、アルカーイダやイスラム国などのテロとの戦いへと変化していった。平和を目指すという名目では国際連合はかつての連盟と違い、機能を果たしていた。
2002年3月には北大西洋条約機構(NATO)率いる国際治安支援部隊(ISAF)のほか、国際機関(IGO)及び非政府組織(NGO)等と連携して国連アフガニスタン支援ミッションを設立した。同年、永世中立を宣言するスイスなどが国連に加盟した。国連に加盟するのに半世紀もの時間と議論を有したことになる[52]。
21世紀に入り、安全保障理事会の承認がない対外的な軍事力の行使は常に批判されるが、安全保障理事会の常任理事国であるアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国の五大国の軍事力の行使は、国際社会や国際連合にそれを抑止する力がないので、だれにも抑止できない状態である。また、ソビエト連邦に変わって、台頭してきた中華人民共和国とアメリカの対立(新冷戦)が目立つようになった。国連にある世界各国の国旗
2007年から2016年まで潘基文(韓国出身)が第8代事務総長を務めた。