国際法
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総会は三分の二の多数決で「決定」を行うことができる(159条)と当初されていたが、しかし、1994年の「第十一部実施協定」で、「原則として、機構の意思決定は、コンセンサス方式によって行うべきである」(3節2項)と規定され、かつ理事会は、運営、予算、財政に関するあらゆる事項についての決定を妨げることができるようになっている(4項)[62]

宇宙は、1966年の「宇宙条約」(「月その他の天体を含む宇宙空間の探査及び利用における国家活動を律する原則に関する条約」)を宇宙基本法とする法体系の下にある。まず、その1条は、「月その他の天体を含む宇宙空間の探査及び利用は、全ての国の利益のために…全人類に認められる活動分野である」とし、「国際法に従って自由に探査し及び利用することができる」とする。2条では、いかなる国によっても領有権の主張は禁止され、4条では、大量破壊兵器の打ち上げを禁止し、宇宙は専ら平和的目的のために利用されるものとする、と規定する。また、この宇宙基本法を基礎として、「宇宙救助返還協定」、「宇宙損害責任条約」、「宇宙物体登録条約」、「月協定」が成立している。「月協定」11条によれば、「月及びその天然資源は、人類の共同遺産である」とされている。また、同条約7条で、月環境の保全が定められていることも、注目に値する。これにより、「環境」という概念が、宇宙空間まで拡張されたことを意味する[63]。また、1963年の「部分的核実験禁止条約」により、宇宙空間も「非核化」されている。国家責任制度については、無過失責任が採用されている(前記「宇宙損害賠償責任条約」2条)。宇宙空間の国際的管理の制度に関しては、国連の下につくられた「宇宙空間平和利用委員会」が活動している。衛星など技術的な側面については「国際電気通信連合」にゆだねられている。「宇宙法」も参照
個人管轄

国家管轄権の項で述べたように、国家は、国際法上、個人の国籍に基づき、属人的管轄権を行使できる。ここでは、国籍の決定、取得について述べる。

国籍(nationality; la nationalite)は、個人と国家の連結を意味し、それには二つの側面がある。

まず、国籍決定は、国家の自由である。国家は、自決権に基づきその国民の構成を支配するものとして国籍決定の排他的権限を有する。国際司法裁判所は、1955年の「ノッテボーム事件」判決において、「国際法は、各国家にその固有の国籍の帰属を決定する管理を委ねている」と述べた(C.I.J.Recueil 1955, p.23)。日本も、「国籍法」という形で、日本国籍取得の条件を法律で定めている。国籍取得のあり方は各国が自由にその基準を決めることができ、「血統主義」(jus sanguinis)と「生地主義」(jus soli)がある。日本の国籍法は、血統主義を採用している。また、「帰化」(naturalisation)は、外国人がその国の国籍を有する個人と結婚した場合や、継続的にその国に居所を有することから認められる場合である。

各国家に、国籍決定の自由を委ねている故に、各国の国籍付与が競合することもあり得る(国籍の対抗力)。国籍は、国家の外交保護権の行使の基礎となる。前掲「ノッテボーム事件」では、ノッテボームが34年間にわたってグアテマラに住んでいたこと、彼がリヒテンシュタインへ帰化した後もたびたび戻り彼の利益と活動の中心をグアテマラに保持していること、などから、裁判所は、ノッテボームとグアテマラの「長年にわたる緊密な結び付きの関係」(un lien ancien et etroit de rattachement)を認め、リヒテンシュタインはその要請を不受理と宣告されなければならないと判示した(C.J.I.Recueil 1955, pp.25-26; 皆川『国際法判例集』489頁)。これを「実効国籍の原則」という。

他方、国籍取得は、個人の基本的人権であるという側面も有する。「世界人権宣言」15条は、「すべての者は、国籍を取得する権利を有する」と規定する。「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(自由権規約)24条は、児童の国籍取得の権利を認める。国籍は、その国内における人権保障を与えられる重要な要素である。ゆえに近年は、国籍取得の人権としての側面に重点が置かれ、特に国籍による差別の問題が議論される。

日本では、2008年6月4日の最高裁判決で、国籍法3条にある「準正」(legitimation)による国籍取得要件として、「父母の婚姻及びその認知により嫡出子たる身分を取得した子で二十歳未満のものは、認知をした父又は母が子の出生時に日本国民であった場合において、その父又は母が現に日本国民であるとき」、その子どもは日本国籍を取得すると規定している点につき、今日における社会情勢や家族のあり方の変化により、両親の婚姻を子の国籍取得の条件としているのは憲法14条の法の下の平等に反するとし、国籍法5条の憲法との「適合解釈」を行い、原告の日本国籍の取得を認めた。

最後に、法人の国籍について、連結要素としては、設立準拠法国、支配の場所、株主の国籍が考えられる。1970年の「バルセロナ・トラクション事件」(ベルギー対スペイン)では、ベルギーがその多数の株主の国籍国として外交保護権の行使を主張したが、裁判所は、外交保護権の領域では他の分野と同様に合理的適用が要求されているとし、法人の外交保護については一般に実効的連結に適用される絶対的基準は認められず、様々な結びつきのバランスをとらねばならないとし、「ノッテボーム」判決の適用を否認した。そして、当該法人がカナダで設立されそのカナダ国籍は一般的に認められていること、ベルギーもそれを認めてきたことなどから、ベルギーの訴えを退けた(C.I.J.Recueil 1970, pp.42-44, pars.70-76, pp.50-51, par.100、皆川『国際法判例集』521-527頁)。この判決については、種々の議論がある[64]
国際人権法

「国際人権法」(International Human Rights Law; Droit international des droits de l'Homme)とは、国際法によって個人の人権を保障する、国際法の一分野をいい、第二次大戦後に急速に発展してきた分野である。第二次大戦前は、人権は国内問題として、国内問題不干渉義務(国際連盟規約15条8項)の下、各国の専属的事項とされていた。しかし、第二次大戦の反省から、国連憲章において人権保護が規定され、戦後急速に国際平面における人権保護が発展しだした。その端緒は、1948年の国連総会において採択された「世界人権宣言」(Universal Declaration of Human Rights)である。

国際人権法は、二つに分類することができる。普遍的保障と地域的保障である[65]

第一に、普遍的保障であるが、これは、国連システムと条約制度に分けられ、多くの場合が一般的に強制力をもった履行手続きを備えていない。

国連システムでは、国際連合経済社会理事会が創設した「国際連合人権委員会」の制度があった。2006年に、同委員会は「国際連合人権理事会」(the Human Rights Council)に発展した(国連総会決議60/251; A/RES/60/251, 3 April 2006)。しかし、基本的な性格や目的は、維持されているといえる。すなわち、国連人権理事会は、テーマ別人権問題について対話の場を提供したり(同決議、5項(a))、各国による人権に関する義務の履行の普遍的定期的審査を行ったり(同項(e))、法的拘束力のない「勧告」(recommendations)を行ったり(同項(i))するにとどまる。国連人権委員会での最大の問題点がその「政治性」であったが、人権理事会となった現状でも、独立した判断機関とはいえず、政治的組織の内部に属するものにとどまっているという他はない[66]。国連システムにおける人権保護は、「1235手続き」及び「1503手続き」に基づく「国別手続き」、そして「テーマ別手続き」に分かれる。

条約制度として、世界人権宣言を条約化したといわれる経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(社会権規約)と市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約;ICCPR)があるが、特に発達している自由権規約の制度においても、自由権規約の第1選択議定書の下の個人通報制度では、自由権規約人権委員会 (the Human Rights Committee) は、法的拘束力のない「見解」(views)を述べる権限を有するにとどまる。他にも、国連の下で、人種差別撤廃条約、アパルトヘイトの防止と処罰に関する条約、女子差別撤廃条約こどもの権利条約等の人権条約が作成され、実施されているが、同様に、拘束力のある決定を下す機関はない。

第二に、地域的保障は、欧州人権条約(正式名称、「人権と基本的自由の保護のための条約」)、米州人権条約アフリカ人権憲章(正式名称、「人及び人民の権利に関するアフリカ憲章」)が非常に発達している。各制度は、独自の人権裁判所を有しており、強制的な法的拘束力のある判決を下して、その実効性を担保している点で、先の普遍的保障の制度と大きく異なる。なお、アジアにおいて、地域的人権条約を創設しようとする努力もなされたことがあるが、いまだ実現していない。

欧州人権条約は、「欧州評議会」(le Conseil de l'Europe; the Council of Europe)の下、基本的自由が世界における正義と平和の礎であるとして(前文)、1950年につくられた。加盟国は、広く、EU諸国から、ロシア、トルコまで含む。国家に加えて、個人や非政府団体も、ここに締約国の条約違反を直接訴えることができる(34条)「欧州人権裁判所」を有し、現在、大変活発に活動している。同裁判所の判決は強制力を有し(第46条)、加盟国を直接、法的に拘束する。

米州人権条約は、1969年に欧州人権条約にほぼ倣ってつくられた制度であり、同様に「米州人権裁判所」を有する。同裁判所も活発に活動しており、国際法の観点からは、例えば、1999年に国際司法裁判所で争われた「ラグラン事件」(メキシコ対米国)に関連して、独自に勧告的意見を出したことなどが、注目されている。

1981年に成立した人及び人民の権利に関するアフリカ憲章は、人権の保護を目指すと同時に、人民の平等(19条)や発展の権利(22条)も目的としている。同条約が設置していた「アフリカ人権委員会」は、その後、2006年に「アフリカ人権裁判所」(正式名称、「人及び人民の権利のアフリカ裁判所」; la Cour africaine des droits de l'homme et des peuples)に代わり、他の地域的制度と同様に司法機関を持つようになった。しかし、条約の実効性については、未だ発展段階にあるといえる。2008年7月1日に、「アフリカ司法人権裁判所規程に関する議定書」(Protocol on the Statute of the African Court of Justice and Human Rights)が成立し、これによれば、「アフリカ人権裁判所」と「アフリカ連合司法裁判所」の二つの裁判所が統一されることになっている(2020年6月18日現在、55ヶ国中、署名33ヶ国、批准8ヶ国。発効には15ヶ国の批准が必要)。この新たな裁判所は、条約、慣習法、アフリカ諸国に共通の一般原則を適用するとされ、勧告的意見も発することができることになっている。

国際人権法の最大の課題は、その国内的実施である。特に、各種人権条約の国内法秩序への直接適用性(direct applicability)が問題となる。日本において、自由権規約(ICCPR)については、国内判例では、1994年4月27日大阪地裁判決、1993年2月3日東京高裁判決、1997年3月27日札幌地裁判決ほかで関連条項の直接適用性が認められた。


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