国際法
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(米英仏サウジアラビアの集団的自衛権に基づく行動が、国連の強制行動へ転換したといえる[49]。)これは、朝鮮戦争において、米国の指揮下にある軍に国連旗の使用を許可した1950年の安保理決議84に端を発すると考えられる。この安保理決議678以降、「全ての必要な手段を許可する」という方式は繰り返し使用され、現在では完全に定着したと言える。

自衛権」(the right to self-defense)は、国連憲章51条で、個別的自衛(individual self-defense)、集団的自衛(collective self-defense)とも、「固有の権利」(inherent right; 仏語テキストでは「自然権」le droit naturel)と規定されている。特に「集団的自衛」が「固有の権利」とされている点について、この用語は国連憲章において初めて用いられたものだが、その先駆と言うべきものが戦間期における相互援助条約草案やラインラント協定の中に見られると指摘されうる[50]。2001年9月11日の米国同時多発テロ事件では、翌月に米国はアフガニスタンを攻撃した。学説上、これが国際法上の自衛権の行使であるとか(米国、英国の立場、A.J.I.L., Vol.96, 2002, pp.237-255.)、違法な武力行使であるとか[51]、自衛概念が一時的に「伸長」した[52]など様々な議論が行われている。この事件に関連して出された安保理決議1368では、その前文で加盟国の自衛が固有の権利であること確認している。国連憲章51条によれば、自衛権を行使した国はすみやかに安保理に報告しなければならず、米国は、アフガニスタン攻撃後、安保理に報告している。

近年、安保理の活動は急速に拡大し、「旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所」(安保理決議827)、「ルワンダ国際刑事裁判所」(安保理決議955)に見られるad hocな刑事裁判所の設立から、テロ行為を支援するいかなる措置もとらないよう加盟国に一般的な義務を課す「立法行為」(安保理決議1373)まで及んでいる。

このような安保理の活動の拡大に対して、司法的制御が必要であるという議論が起こっている。1992年「ロッカービー上空での航空機事件から生じた1971年モントリオール条約の解釈、適用問題に関する事件」(社会主義人民リビア・アラブ国対イギリス王国、社会主義人民リビア・アラブ国対アメリカ合衆国)(「ロッカービー事件」)国際司法裁判所仮保全措置命令では、安保理決議748について、国連憲章103条が憲章上の義務の他の国際義務に対する優越性を規定していることから、モントリオール条約よりも同安保理決議が優越するとし、同条約に基づく「一見した」(prima facie)管轄権を否認し、リビアの仮保全措置申請を却下した(I.C.J.Reports 1992, p.15, para.39)。同事件の管轄権判決では、リビアの請求は、安保理決議748及び883が出される前になされているという理由から、管轄権を認めたが(I.C.J.Reports 1998, p.26, para.44)、リビアと米国、英国とで和解が成立し、本案判決が出されずに訴訟リストからはずれ、安保理の司法的コントロールの問題は結論がもちこされた。しかし、2005年9月21日に欧州共同体第一審裁判所が「Yusuf事件」において、オサマ・ビンラディンとその組織への制裁に関して個人に義務を課した安保理諸決議について、それらが国際法上の強行法規(jus cogens)、特に人権の普遍的保護を目的とした強行法規に反する場合には司法的コントロールが拡大されうる、と判示し(T-306/01, point 282)、大変注目されている(他にも同日の「Kadi事件」(T-315/01)第一審判決、「Hassan事件」(T-49/04)および「Ayadi事件」(T-253/02)2006年7月12日第一審判決)[53]

なお、EC(欧州共同体)やMercosur(南米南部共同市場)、CARICOM(カリブ共同体)、CAN(「アンデス共同体」; Comunidad andina)、SICA(「中米統合機構」; Sistema de la Integracion Centroamericana)は、域内に共同体をつくる「統合的組織」(les Organisations d'integration)[54]であり、通常の国際組織と区別する必要がある。
海洋法

海洋法あるいは国際海洋法(International Law of the Sea; Droit international de la mer)とは、領海の幅、大陸棚の資源利用、公海の利用に関するものなど海洋にかかわる国際法規の総称をいう。その歴史は古く、植民地時代の「閉鎖された海」(mare claustrum)からグローティウス(グロティウス; Hugo Grotius)の「自由海論」へと発展した背景がある。1958年の一連の条約、いわゆる「ジュネーブ海洋法条約」を経て、第三次国連海洋法会議の成果である1982年の「国連海洋法条約」(英:United Nations Convention on the Law Of the Sea; UNCLOS, 仏:Convention de Montego Bay; CMB)が現在の主要な海洋法の条約となっている。同条約は、深海底の地位について先進国と途上国との対立から発効が遅れていたが、1994年の「国連海洋法条約第十一部実施協定」の成立によって、発効し動き出した。「国連海洋法条約」が、「海の憲法」として他の特別条約に対して優越性を有するか否かという問題[55]は、近年、議論がさかんである(同条約282条を参照)。

領海については、国連海洋法条約は、沿岸国は12海里を越えない範囲で画定できるとする(3条)。領海は、領土と同じ地位にあり、沿岸国の主権が排他的に及ぶ。ただし、他国の船籍の無害通航権は保障されている(17条)。沿岸国の「基線」については、1951年の「漁業事件」(イギリス対ノルウェー)で、直線基線の方式が慣習法となっているか争われたが、国連海洋法条約では、直線基線を基本として、改めて詳細な規定がおかれている(7条)。

大陸棚の制度は、1945年の米国による「トルーマン宣言」に由来する。米国は、大規模開発から沿岸漁業資源を守るという目的で、当時の国際法を越える形で、その沿岸に隣接する海洋に保護領域を設け、そこでは沿岸国の主権が及ぶと一方的に宣言した。同宣言は、伝染性を有し[56]、他国も次々と同様の宣言あるいは法令の設定を行い、その結果、大陸棚制度は一般慣習法となった。国連海洋法条約も、大陸棚の制度を認め、基線からその領土の自然の延長をたどって大陸縁辺部の外延に至る海底及びその下は、沿岸国の主権下にあると定めた(76条)。沿岸国は、大陸棚にある天然資源の開発について主権的権利を有する(77条)。しばしば、国家間で、大陸棚の境界画定問題が起こり、そのうちのいくつかは国際司法裁判所で争われており、近年、この種の訴訟が増加している。

排他的経済水域(EEZ; Economic Exclusive Zone)も、大陸棚と同様に、沿岸国の基線から200海里まで認められている(55,57条)。57条では、排他的経済水域の海底上部水域、海底およびその下の天然資源の開発や海洋環境の保護等のための沿岸国の管轄権が認められている。このように、排他的経済水域の制度と大陸棚の制度は、重なる部分があるため、今日では、両者の「単一境界画定」(single maritime delimitation)が行われることがよく見られる(1984年「メイン湾における海洋境界画定事件」(カナダ/米国)国際司法裁判所小法廷判決ほか)[57]。また、沿岸国は、漁業資源の保存に関して「漁獲可能性」を決め、最良の科学的証拠によって生物資源のための適当な保存措置を執らなければならない(61条)。

公海(High Sea)は、今日の海洋法において、最も変動が激しい分野である。原則として、「公海自由の原則」に則り、全ての国は公海を自由に漁獲することが出来る(116条)。ただし、生物資源の保存のために必要な措置を執り、他国と協力する義務がある(117条)。この規定により、近年、沿岸国が排他的経済水域を越えて、自国に接する公海における一方的漁業制限措置・環境保護措置を執ることがしばしば見られる。例えば、カナダによる1970年の「北極海水域汚染保護法」や同国による1994年の「沿岸漁業保護法」(The Costal Fisheries Protection Act)である。後者について、1995年にスペイン船舶「エスタイ号」がカナダ政府の船舶によって拿捕されるという事件が起こった。同事件は、国際司法裁判所の「漁業管轄権事件」(スペイン対カナダ)として争われたが、裁判所はカナダの選択条項受諾宣言の留保を根拠に、管轄権がないと判示した。その後、カナダとECで和解が結ばれた(34 I.L.M. 1263(1995))。そして同年、1995年に公海における海洋資源保護を強化した「国連公海漁業実施協定」が成立するに至った。最近では、2003年にフランスが、自国の排他的経済水域を越えて、地中海にまで環境保護のための自国の管轄権を拡大する法律を制定し(Loi n°2003-346 du 15 avril 2003 relative a la creation d'une zone de protection ecologique au large des cotes du territoire de la Republique, R.G.D.I.P., 2004/1, pp.285-291)、議論になった。1999-2000年の「みなみまぐろ事件」(オーストラリア・ニュージーランド対日本)は、日本が実に100年ぶりに国際裁判に登場したことで話題となった。国際海洋法裁判所の仮保全措置命令では、日本に暫定的なみなみまぐろの漁獲の制限を命じたが(38 I.L.M.1624(1999))、続く、仲裁裁判所での管轄権判決では、「みなみまぐろ保存条約」(CCSBT)では当事国で選択された手段で紛争を解決すると規定されており、国連海洋法条約の下の義務的管轄権はないと判示し、前記仮保全措置を取り消し、日本の勝訴となった(39 I.L.M.1359(2000))。

深海底(The Area; la Zone)は、南極宇宙とともに、「人類の共同遺産」(common heritage of mankind)と規定されている(136条)。そのため、深海底の自由な開発を主張する先進国と、「機構」(The Authority; l'Autorite)による管理を主張する途上国との対立が長引き、国連海洋法条約は発効できずにいた。しかし、1994年の前記「第十一部実施協定」は、先進国の技術移転を削減することで元の部分を和らげる形で成立するに至った[58]。(国際化領域の項も参照。)

また、国連海洋法条約の下、1996年に国際海洋法裁判所(ITLOS; International Tribunal for the Law of the Sea)が設立され、活動している。すでにいくつかの拿捕事件などについて裁判が行われている。最近、日本の漁船がロシア当局に拿捕された事件である、「豊進丸号事件」(日本対ロシア)(No.14)と「富丸号事件」(日本対ロシア)(No.15)(ともに2007年8月6日判決)が争われた。前者では、日本の保釈金が大幅に減額されてロシアによる、漁獲物を含む豊進丸号の速やかな釈放(prompt release)及び乗組員の無条件の解放が示された(Judgment, para.102)。後者の事件は、すでにロシア最高裁判所で決定済みであり、日本はこれを争うことはできないと判示された(Judgment, para.79)。
国際化領域

「国際化領域」(les zones internationalisees)とは、国際的地位を与えられ、国際的管理の下におかれている領域をいう。古くからは国際河川ライン川ムーズ川など)、国際運河スエズ運河パナマ運河キール運河など)があるが、ここでは、その特徴が最も現れている、南極深海底宇宙を扱う。これら三つは全て、全人類の利益の追求、領域権原取得の禁止、平和的利用の原則(非軍事化)という特徴を有する[59]

南極(Antarctica)は、現在、1959年の「南極条約」によって規律されている。2008年6月現在、当初、南極地域における領土権を主張していた国(イギリス、ニュージーランド、フランス、ノルウェー、オーストラリア、チリ、アルゼンチンの7か国; 「クレイマント」)も含めて、締約国数は46か国である。その第一の目的は、「南極地域は、平和的利用のみに利用する」(1条)にある。南極地域における軍事基地や軍事演習は禁止される。また、同条約は、科学的調査の自由(2条)とそれについての国際的協力(3条)を規定する。そして、いかなる国による領土権・請求権の凍結が定められている(4条)。


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