国際法
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この勧告的意見の理由付けに対しては、批判もある[48]

国際機構で働く人については、「国際公務員法」という特別の分野となっている。国連では、職員が関わる争いについては「国連行政裁判所」が国連総会決議によって設立され、活動している。

外部法としては、まず、国際組織の「国際法人格性」(international legal personality; la personnalite juridique internationale)が問題となる。国際司法裁判所は1949年の「国際連合の任務中に被った損害の賠償」に関する勧告的意見において、(当時としては)国際共同体の大多数の国家に相当する50か国は、国際法に従って、客観的国際法人格を持つ実体を創設する権能(power)を有していたのであり、同時に国際請求をする権能を有すると述べた(I.C.J.Reports 1949, p.185; 皆川『国際法判例集』137頁)。ECも、その設立条約であるEC条約においてECは国際法人格性を有すると規定し(EC条約281条)、国際社会はこれに一般的承認を与えており、現在、ECは京都議定書世界貿易機関を設立する「マラケッシュ協定」の当事国となっている。

国連の対外的活動として最も重要なものは、「国際の平和及び安全の維持」に関する安保理の活動である。いわゆる「国連憲章第七章」に基づく行動である。七章に基づく安保理の行動は、冷戦が終結した1990/1991年以降、大変、活発になっている。その端緒は、1990年のイラクのクウェート侵攻の際の、1991年の安保理決議678に基づく多国籍軍の行動である。同決議は、憲章43条に基づく常備の「国連軍」がいまだ創設されていないことに鑑み、加盟国に「全ての必要な手段を用いることを許可する」(authorizes...to use all necessary means)とした。(米英仏サウジアラビアの集団的自衛権に基づく行動が、国連の強制行動へ転換したといえる[49]。)これは、朝鮮戦争において、米国の指揮下にある軍に国連旗の使用を許可した1950年の安保理決議84に端を発すると考えられる。この安保理決議678以降、「全ての必要な手段を許可する」という方式は繰り返し使用され、現在では完全に定着したと言える。

自衛権」(the right to self-defense)は、国連憲章51条で、個別的自衛(individual self-defense)、集団的自衛(collective self-defense)とも、「固有の権利」(inherent right; 仏語テキストでは「自然権」le droit naturel)と規定されている。特に「集団的自衛」が「固有の権利」とされている点について、この用語は国連憲章において初めて用いられたものだが、その先駆と言うべきものが戦間期における相互援助条約草案やラインラント協定の中に見られると指摘されうる[50]。2001年9月11日の米国同時多発テロ事件では、翌月に米国はアフガニスタンを攻撃した。学説上、これが国際法上の自衛権の行使であるとか(米国、英国の立場、A.J.I.L., Vol.96, 2002, pp.237-255.)、違法な武力行使であるとか[51]、自衛概念が一時的に「伸長」した[52]など様々な議論が行われている。この事件に関連して出された安保理決議1368では、その前文で加盟国の自衛が固有の権利であること確認している。国連憲章51条によれば、自衛権を行使した国はすみやかに安保理に報告しなければならず、米国は、アフガニスタン攻撃後、安保理に報告している。

近年、安保理の活動は急速に拡大し、「旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所」(安保理決議827)、「ルワンダ国際刑事裁判所」(安保理決議955)に見られるad hocな刑事裁判所の設立から、テロ行為を支援するいかなる措置もとらないよう加盟国に一般的な義務を課す「立法行為」(安保理決議1373)まで及んでいる。

このような安保理の活動の拡大に対して、司法的制御が必要であるという議論が起こっている。1992年「ロッカービー上空での航空機事件から生じた1971年モントリオール条約の解釈、適用問題に関する事件」(社会主義人民リビア・アラブ国対イギリス王国、社会主義人民リビア・アラブ国対アメリカ合衆国)(「ロッカービー事件」)国際司法裁判所仮保全措置命令では、安保理決議748について、国連憲章103条が憲章上の義務の他の国際義務に対する優越性を規定していることから、モントリオール条約よりも同安保理決議が優越するとし、同条約に基づく「一見した」(prima facie)管轄権を否認し、リビアの仮保全措置申請を却下した(I.C.J.Reports 1992, p.15, para.39)。同事件の管轄権判決では、リビアの請求は、安保理決議748及び883が出される前になされているという理由から、管轄権を認めたが(I.C.J.Reports 1998, p.26, para.44)、リビアと米国、英国とで和解が成立し、本案判決が出されずに訴訟リストからはずれ、安保理の司法的コントロールの問題は結論がもちこされた。しかし、2005年9月21日に欧州共同体第一審裁判所が「Yusuf事件」において、オサマ・ビンラディンとその組織への制裁に関して個人に義務を課した安保理諸決議について、それらが国際法上の強行法規(jus cogens)、特に人権の普遍的保護を目的とした強行法規に反する場合には司法的コントロールが拡大されうる、と判示し(T-306/01, point 282)、大変注目されている(他にも同日の「Kadi事件」(T-315/01)第一審判決、「Hassan事件」(T-49/04)および「Ayadi事件」(T-253/02)2006年7月12日第一審判決)[53]

なお、EC(欧州共同体)やMercosur(南米南部共同市場)、CARICOM(カリブ共同体)、CAN(「アンデス共同体」; Comunidad andina)、SICA(「中米統合機構」; Sistema de la Integracion Centroamericana)は、域内に共同体をつくる「統合的組織」(les Organisations d'integration)[54]であり、通常の国際組織と区別する必要がある。
海洋法

海洋法あるいは国際海洋法(International Law of the Sea; Droit international de la mer)とは、領海の幅、大陸棚の資源利用、公海の利用に関するものなど海洋にかかわる国際法規の総称をいう。その歴史は古く、植民地時代の「閉鎖された海」(mare claustrum)からグローティウス(グロティウス; Hugo Grotius)の「自由海論」へと発展した背景がある。1958年の一連の条約、いわゆる「ジュネーブ海洋法条約」を経て、第三次国連海洋法会議の成果である1982年の「国連海洋法条約」(英:United Nations Convention on the Law Of the Sea; UNCLOS, 仏:Convention de Montego Bay; CMB)が現在の主要な海洋法の条約となっている。同条約は、深海底の地位について先進国と途上国との対立から発効が遅れていたが、1994年の「国連海洋法条約第十一部実施協定」の成立によって、発効し動き出した。「国連海洋法条約」が、「海の憲法」として他の特別条約に対して優越性を有するか否かという問題[55]は、近年、議論がさかんである(同条約282条を参照)。

領海については、国連海洋法条約は、沿岸国は12海里を越えない範囲で画定できるとする(3条)。領海は、領土と同じ地位にあり、沿岸国の主権が排他的に及ぶ。ただし、他国の船籍の無害通航権は保障されている(17条)。沿岸国の「基線」については、1951年の「漁業事件」(イギリス対ノルウェー)で、直線基線の方式が慣習法となっているか争われたが、国連海洋法条約では、直線基線を基本として、改めて詳細な規定がおかれている(7条)。

大陸棚の制度は、1945年の米国による「トルーマン宣言」に由来する。米国は、大規模開発から沿岸漁業資源を守るという目的で、当時の国際法を越える形で、その沿岸に隣接する海洋に保護領域を設け、そこでは沿岸国の主権が及ぶと一方的に宣言した。同宣言は、伝染性を有し[56]、他国も次々と同様の宣言あるいは法令の設定を行い、その結果、大陸棚制度は一般慣習法となった。


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