国際女子スポーツ連盟
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8月7日、第8次IAAF総会でオリンピックに女子種目を開設するかどうかを巡って大論議となる。最終的に参加した17カ国の代表のうち、オーストリア・ベルギー・フランス・ドイツ・ギリシャ・オランダ・ノルウェー・ポーランド・南アフリカ・スウェーデン・スイス・アメリカの12カ国は動議に賛成。オーストラリア・フィンランド・イギリス・ハンガリー・アイルランドの5カ国は反対した。
8月27日、第4次FSFI総会がスウェーデンのイェーテボリで行われた。日本を含め17カ国の代表が出席。会長のミリア夫人がIAAFでの論議について報告。女子オリンピック大会について名称を「世界女子大会」とするよう申し入れられたことに対して討議、受け入れることとなった。またアムステルダムオリンピックでの女子種目が5つになったことについて、今後種目を拡大していく方針が確認され、メートル制の採用・投擲競技のルールなども定められた。
8月27日、第2回国際女子競技大会がスウェーデンのイェーテボリで開幕。日本からただ一人出場した人見絹枝が走り幅跳び5m50の世界新記録を含む活躍で個人優勝。
12月28日、IAAF理事会が開かれ8月の総会で示されたアムステルダムオリンピックでの女子5種目の採用について採決。フランス・ドイツ・スウェーデン・チェコスロバキア・ポーランドが賛成。イギリスは「WAAAに加盟している各クラブの満場一致の賛成が得られなかった」ため反対。(8月の総会でのイギリスの意見は「女性の競技者達は男性の組織に支配されるのを好んではいないし、男性の組織も女子の組織を支配するのを好まない」というものだった)その結果、イギリス女子陸上選手のアムステルダムオリンピック不出場が決まった。
1928年1月8日、FSFIの理事会がアムステルダムで開かれた。今後の方針として、定例のオリンピック大会に女子種目を必ず採用すること、その種目は10種目以上とすること、その内容はFSFIの技術委員会が決めることを採択した。
7月28日、アムステルダムオリンピックが開幕。女子の参加が認められた競技は体操・陸上競技・ダイビング・フェンシング・水泳。女子陸上競技の採用種目は100m、800m、400mリレー、走高跳、円盤投。女子陸上競技最初の金メダルは100mのベティ・ロビンソン(12秒2)。人見絹枝は準決勝で敗れたものの、800mで銀メダルを獲得した。この800mのゴール後、全力を使い果たした選手達がバタバタ倒れこみ運ばれていく姿が報道され、女子陸上競技を採用したIOCに対し体育指導者が抗議するなど世論が沸騰する。
8月6日、第9次IAAF総会が開かれる。1月のFSFI理事会採択について次回オリンピックでの女子競技は継続採用とされたが、10種目への拡大は否決。

IOCの決議

女子陸上競技に対するIOCの決議には進展が見られず、FSFIは態度を硬化させてゆく。

1929年4月8日、第27次IOC総会が開かれる。すべての女子競技をオリンピックから除外するかどうかが議事となるが、意見が分かれたためIOC理事会が国際競技連盟(IF)を交えて協議することが決定。
7月23日、IOC理事会が開かれる。その結果、女子競技として体操・水泳・テニス・スケートがオリンピック大会種目として承認される。この決定に対し、IAAFのアメリカ代表が女子の参加が認められない場合、次回のオリンピックにおいて男子陸上競技をボイコットするという強硬な反対を行った。
1930年5月22日、第28次IOC総会がベルリンで開かれる。女子競技については議事なし。
5月25日、第9回オリンピック会議がベルリンで開かれる。IOC委員の他各国オリンピック委員、IF代表者が集まり再度女子競技の取り扱いについて審議を行った。その結果女子の参加については「変更は行われず、維持されること」になったが、IOC会長バイエ・ラトゥールの「大会への女子の参加は、体操・水泳・テニス・スケートのような美的種目だけにするのが望ましい」とする提言も盛り込まれた。
9月6日、第3回国際女子競技大会がプラハで開幕。人見絹枝は個人2位となる。
1931年4月25日、第29次IOC総会がバルセロナで開かれる。大会に採用する女子競技について投票が行われ、スケート・体操・水泳については全会一致で・フェンシングが賛成17・反対2で、陸上競技が賛成16・反対3でそれぞれ承認された。
1932年7月28日、第30次IOC総会がロサンゼルスで開かれる。女子競技については議事なし。
7月30日、ロサンゼルスオリンピックが開幕。女子の参加が認められた競技は陸上競技・ダイビング・フェンシング・水泳。女子陸上競技の採用種目は100m、80mハードル、400mリレー、走高跳、円盤投、やり投。800m以上の長距離種目は採用されなかった。日本からは9人の女性が出場した。
8月8日、第11次IAAF総会がロサンゼルスで開かれる。FSFIが再度女子陸上競技を10種目に拡大するよう要求。受け入れられない場合女子陸上競技を全面的に廃止することを希望するが、どちらの要求も承認されなかった。
1933年6月7日、第31次IOC総会がウィーンで開かれる。女子競技については議事なし。
1934年4月25日、第32次IOC総会がアテネで開かれる。大会に採用する女子競技について投票が行われ、スケート・フェンシング・水泳については全会一致で、陸上競技が賛成11・反対9で、スキーが賛成9・反対8でそれぞれ承認された。
8月9日、第4回国際女子競技大会がロンドンで開幕。

調停とFSFIの消滅

紛争を調停するための動議がなされ、1936年FSFIの実質的な機能がIAAFに吸収される。

1934年ドイツ陸上競技連盟がFSFIに対し、オリンピックへの女子種目を10に拡大するために女子陸上競技をIAAFの完全な管理下に置くことを承認し、紛争の解決を図るよう公式に提案する。
これに対しFSFIは、IOC内に女性を指導する代表者が存在する条件ならば、国際女子競技大会の開催を中止すると申し入れた。
1935年1月、FSFI会長ミリア夫人がIOC宛にオリンピック大会におけるすべての女子競技の廃止を要請する手紙を出す。
2月25日、第33次IOC総会がオスロで開かれる。ミリア会長からの手紙に関する議事(FSFIが4年ごとに全女子競技を導入した女性の競技会を開催するため、オリンピックからの女子競技の全廃を要求)についてはIFの承認を要する問題であるため討議することはできないと結論づけた。
1936年2月11日、第34次IOC総会がガルミッシュ・バルテンキルヘンで開かれる。女子競技については審議なし。
7月30日、第35次IOC総会がベルリンで開かれる。女子競技については審議なし。
8月1日、ベルリンオリンピックが開幕。女子の参加が認められた競技は体操・陸上競技・ダイビング・フェンシング・水泳。女子陸上競技の採用種目は100m、80mハードル、400mリレー、走高跳、円盤投、やり投で前回と同じ。日本からは7人の女性が出場した。
FSFIとIAAFが交渉を行い、条件付きでドイツ陸上競技連盟の提案を受け入れると発表。条件は、FSFIが既に認定しIAAFに報告した女子の記録を世界記録として公認すること。オリンピック大会への女子10種目の採用。第5回国際女子競技大会(ウィーン)開催の承認について、IAAF総会で審議することの3点。
8月10日、第13次IAAF総会がベルリンで開かれる。1934年のドイツ提案に沿って女子陸上競技を完全に管理することが決定。オリンピックの女子種目の拡大については10種目での実施は公約されず、9種目での実施が提案されたのみ。国際女子競技大会の開催は否決された。IAAFは国際大会への選手の派遣を1国1組織だけ承認しており、この決定は各国女子選手の代表権がFSFIに加盟する女子陸上競技団体から、IAAFに加盟する既存の男子陸上競技団体に移行したことを意味した。FSFIは創設目的、機能ともIAAFに奪われる形となり実質的に消滅した。

日本の対応

日本においてFSFIに加盟し女子の陸上競技代表権をもっていたのは日本女子スポーツ連盟(略称:JWSF)であった。1926年大正15年)4月1日創設。会長は木下東作。国際女子競技大会への女子選手派遣、日本女子オリンピック大会の開催、派遣資金の調達、日本各地での高等女学校生徒を対象にした講演会の開催など、女性スポーツの促進活動を行った。一方男子については日本陸上競技連盟(略称:JAAF)が代表権を持っていた。オリンピックへの女子選手派遣については、アムステルダム大会・ロサンゼルス大会ともJWSFの合意の下、JAAFが行っていた。

JWSFの吸収に関しては、JAAF総会の議事録によれば1929年12月から公式に準備がなされ、1933年にはJAAF内部に女子競技委員会が設置されている。また1934年10月には「IAAFとFSFIの関係に従い、女子世界記録の公認申請はJWSFを経由する」決議もなされ、JWSF、JAAF双方がFSFI、IAAFの動きに呼応した。(ただしJWSFは組織の拡大をJAAFの全国組織統一に合わせた形で進めていた。)1935年、JWSFは名称を日本女子体育連盟に変更。1937年1月までにJWSFは女子の代表権をJAAFに委譲した。JWSFは同年実質的に消滅した。
参考文献

作成にあたって下記文献を参照しました。

岡尾惠市 「近代女子陸上競技成立の過程 -FSFI(国際女子スポーツ連盟)成立を経て第9回アムステルダム五輪に女子陸上競技種目が登場するまで-」 『立命館文学』 通巻536号、1994年11月。

來田享子 「国際女子スポーツ連盟の消滅と女子陸上競技組織の改編 -日本とイギリスの場合-」 『体育史研究』 通巻17号、2000年3月。










女子スポーツ
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関連項目

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アスリートの性的画像問題


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