非武装による恒久的・世界的な平和は理想であるが、今日の国際関係での達成は極めて困難である。その理由として、国際政治の観点から国際平和
を制度的に確立することの困難性が挙げられる。第一次世界大戦では、どの国も能動的に戦争を希望したわけでもなかったが、開戦と同時に外交上に制御不可能な戦争の連鎖が生起して、4年間に及ぶ総力戦となった。この反省によって国際連盟が発足しようとしたが、提唱したアメリカが国内的な政治情勢から加盟しないなどの問題があったために、世界的な国際機構として機能しなかった。文化面で成果を挙げるものの、ついに1931年の満州事変とその後の支那事変(日中戦争)における日本、またヴェルサイユ条約に違反するドイツ、そしてエチオピアを攻撃したイタリアに対する効果的な措置がとることはできなかった。第二次世界大戦は不戦条約の参加国により遂行され、再び国家総力戦を戦うこととなった。戦後の1945年10月に発足した国際連合は、国際社会の平和を維持して国際協力を進める国際機関として活動しており、国連憲章にも国際平和を破壊する侵略行為に対しては集団安全保障によって軍事的措置を含んだ対応が準備された。しかしながら、国際連合においても自由主義と共産主義の対決という新しい米ソ両国の対立が生まれ、当初構想されていた軍事参謀委員会と国連軍は成立せず、安全保障理事会の内部における拒否権を用いた政治的な駆け引きによって、国連の安全保障上の機能が実行不能に陥いることとなった。冷戦終結後は国連も湾岸戦争における多国籍軍の派遣、また紛争終結地域への平和維持軍派遣のように成果を挙げている。しかしながら、この国連の機能は国家の防衛を完全に肩代わりすることができるものでは決してなく、国連憲章で認められている地域的防衛機構による国際秩序の維持を認めているのが現状である。国防の負担は、まず国防費として表すことができる。適切な国防費と経済力との関係は明らかではなく、従って国防費を財政の中で何割にすべきであるという絶対的な基準はない。太平洋戦争(大東亜戦争)においては、日本は国民所得に対して非常に膨大な軍事費を投入しており、太平洋戦争が勃発した1941年には国民所得が358億円であり、陸海軍省費用、臨時軍事費、徴兵費を合わせた直接軍事費は125億300万円であり、その国民所得に対する割合は34.9%である。この割合はその後も増大し、1944年には129.2%にまで達した。平時の国防費の限界については研究中であり、定説はない。米国の場合では、年間で最低でも3.5%の経済成長を維持するならば、国防費負担の限界は18%から20%であるなどの意見がある。また冷戦期には、欧米諸国が国民総生産の4%程度の国防費を支出する傾向が見られた。
また、国防負担は金銭的なものだけではなく、人的な負担もある。国防は国民の総力を挙げるべきであると考える国家は憲法の中で兵役の義務を定め、また民間防衛を充実させている。民間防衛とは市民による防衛活動であり、後方における防空監視、通信、衛生活動、救助などを行う。また、普段は民間人であるが緊急時においては召集をかけられて作戦行動に投入される、予備役という制度もあり、定期的な教育訓練によって練度を維持する。
関連項目
異国船打払令
国家安全保障
軍事
軍隊
常備軍
志願制度 - 徴兵制度
戦争
平和
防衛学
世界各国の国防大臣一覧