国鉄103系電車
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^ 番号は従来車の続番。
^ JR西日本に継承された車両のうち、JR化後にWAU102形で冷房改造された車両については、側面の電動方向幕の取り付けが行われていない。
^ 東海道本線基準で山側。
^ クハ103-811・818は1984年2月のダイヤ改正に伴う山手線増発用としてATC設搭載工事を施工し、池袋電車区へ転属。
^ 後述する1200番台は東西線にシールドトンネルが少なく地上区間も多いことから、抵抗器の冷却についても問題なく、冷房取り付け改造も受けて2003年(平成15年)まで活躍している。
^ 当初AU75系→AU712。
^ 東西線乗り入れで運用された車両で唯一、AU75で冷房化改造が行われていた編成であった。
^ 国鉄では1980年代より1列車あたりの編成両数を減らし、代わりに運転本数を増やすことでサービス改善をする政策(フリークエント・サービス、広島シティ電車方式)を実行していた。具体的には長編成からモハユニットを抜取り、そこに新たに先頭車を連結するという方法が取られたので、この時期には全国的に先頭車が不足する傾向にあった。1984年2月1日国鉄ダイヤ改正1986年11月1日国鉄ダイヤ改正も参照。
^ ただし、冷房装置や側面行先表示機は未搭載。
^ 理由として、車体は新形であるが老朽化を含め下回りは旧性能電車のため検査周期が短く対費用効果の観点からも不利であったこと。埼京線開通の際に投入予定であった本系列が同じ路線を走行する場合に性能的にダイヤ編成上の障害となる恐れがあったためとされる。
^ 停車中、乗客が客用扉を1枚単位で自由に開閉できるようにする機能。主に冬期の車内保温の目的で装備される。
^ 予備品の台車をあらかじめ整備しておき、台車検査を受ける車両の台車を整備済品と交換してすぐさま検査を終了させる方法。検査を受ける車両から抜取られた台車は整備の後、次に検査を受ける車両の交換などとしてストックしておく。検査期間が短くなるという利点があるが、常時各形式の予備台車をストックしておかなければならないという欠点がある。
^ 予備車期間中に205系3000番台の車両故障で代走運用に投入され、これが本当の最終運用となった。
^ ラッシュ対応として、可能な限り客室に出っ張りを作らないように配慮。
^ 3500番台となった車両と同世代のクモハ103形ユニットは2011年3月廃車となった。
^ 粟生駅(三木鉄道廃止前は厄神駅も)で他社線乗り換え時には、2編成併結時でも無人駅と同様に1番前の車両の運賃箱でJR線の運賃を精算する必要があるため、貫通形にする必要がある。
^ クハ103-245 + モハ103-387 + モハ102-543 + サハ103-409 + サハ103-404 + モハ103-408 + モハ102-564 + クハ103-264
^ 2011年3月30日をもって廃車。
^ クモハ103-1・2・144・149・クハ103-74・81・92・503の8両。
^ 本系列の塗装変更が完了するまでは、「総武・中央線各駅停車」の透明ステッカーを205系編成の黄色帯の上部分に貼付して対応した。
^ 帯のスカイブルー化は301系の登場時より営団から依頼されていたが、国鉄側が拒んでいたために実現していなかったという。
^ 灰色で塗りつぶしていた時期もある。
^ この改造により「快速 中野」などの種別表示も追加。
^ 松戸転出車は、クモハ102形には電気連結器取り付けが見送られたほか、冷房電源のない車両ばかりで冷房化に支障があったことから1993年 - 1994年にかけてすべて廃車になり、製造年の古い1000番台より先に消滅した。モハ103・102-1044などの1000番台は2002年以降の廃車である。
^ 三鷹区では冷房用電源を装備していたMM'ユニット6組のみで、10両編成では2組の組成が必要なことから、第3 - 5編成が残存した。転出車の中にユニットサッシ車の第2編成が混ざっていたにもかかわらず、モハ103・102-1202(三鷹電車区に唯一残った非ユニットサッシ車)が残されたのは冷房電源のためであり、この2両は松戸転出車廃車後も2003年5月まで運用され続けた。
^ 元々A-A基準、AU75形集中式冷房装置装備で製造された車両であり、軽微な改造で編入。
^ この編成には両方の先頭車に幌が取り付けられた。
^ 構内配線の変更から折返し駅が多賀城から東塩釜まで延長されたため、運用増加による予備編成が確保された。
^ 当初は準備工事で営業運転開始時に設置完了。
^ 弱め界磁最終段の定格速度は101系の67.5 km/hに対して64.0 km/hで僅かに下回るが、電動機出力との相乗値では上回る。また100 km/h時のユニット当たり引張力が101系の約1,300 kgに対して約1,900 kg(111系とほぼ同じ)であることからも、103系の方が高速性能に優れることがわかる。
^ 検討時の平均駅間距離は赤羽 - 蒲田間の値で、京浜東北線全体では2 km台となる。
^ ブレーキ初速度が高い常磐線向けにこの台車を開発したのではなく、偶々開発終了と常磐線への投入時期が重なった。
^ MT55、MT46ともに弱め界磁定格のため100 %界磁に換算して比較すると、電動車1ユニット当たり103系が約9500 kgに対して101系は約6300 kgとなり約1.5倍の差がある。
^ 101系は限流値480 Aで63分、本系列は限流値415 Aで62分50秒の基準運転時分である[165]
^ もっとも近い特性の車両は東武8000系で、出力130kW、定格回転数1,750rpm(界磁82%)、歯車比は5.31。起動加速度は2.33km/h/sと低めだが、これは中間速度域の段数を増やし、駅間で『デラックスロマンスカー』1720系から“逃げ切る”ための設定だった。その一方、各停運用では103系よりさらに低速向けの2000系と同居したが、どちらも特に悪評は立っていない。阪和線と阪急電鉄ほど著名ではないが、この両者も常磐快速線と伊勢崎線の荒川橋梁上で比較対象とされがちな形式だった。
^ JR東日本運輸車両部車両開発プロジェクトシステム電機グループリーダー
^ こちらにも209系が103系比47 %の記述あり。
^ 鋼製車体や旧式な機器類に起因する点検費用増大は、本来、それを理由とした車両置き換えの動機となり得るものであるが、それは合理化と表裏一体の措置でもある。現場職員に膨大な余剰人員を抱え、その人事・労務対策に苦しんだ昭和40-50年代の国鉄では、大手私鉄と異なり、省人化のメリットを追求することが容易でなかった。
^ 寺前方からクハ103-15 + モハ103-15 + モハ102-15 + モハ103-16 + モハ102-16 + クハ103-16。元は中間に延命N40工事を受けたサハ102-10・13も組み込まれていたが、転出時に廃車。
^ 断流器を流れる大電流を遮断すると、断流器内の電極が離れているのにもかかわらず、アークと呼ばれる閃絡現象が起こり、電流が流れ続けようとする現象が起こるため、大電流を遮断する前に、一旦減流抵抗器を回路に直列に挿入して、電流値をある程度少なくしてから遮断を行う減流遮断方式に使用される抵抗器である。
^ ←西九条 クハ103-255 + モハ103-398 + モハ102-554 + モハ103-399 + モハ102-555 + クハ103-256(全車森ノ宮の生え抜き編成)。
^ ←西九条 クハ103-833 + モハ103-775 + モハ102-2032 + モハ103-782 + モハ102-2039 + クハ103-840 (ラッピング列車の運行開始に先駆け、宮原総合運転所から転属。)
^ ←西九条 クハ103-799 + モハ103-504 + モハ102-660 + モハ103-396 + モハ102-552 + クハ103-240 (ラッピング列車の運行開始に先駆け、クハ103-799が奈良電車区から転属。残り5両は森ノ宮の生え抜き編成。)
^ ←西九条 クハ103-823 + モハ103-763 + モハ102-2020 + モハ103-764 + モハ102-2021 + クハ103-830(ラッピング列車の運行開始に先駆け、日根野電車区から転属。)
^ ←西九条 クハ103-799 + モハ103-504 + モハ102-660 + モハ103-781 + モハ102-2038 + クハ103-240 (日根野からモハ103-781 + モハ102-2038が転属し、モハ103-396 + モハ102-552と差し替え)

出典^ a b c d 平石大貴「103系電車 新製車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』2018年1月号、12-13頁。
^ 平石大貴「103系電車 新製車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』2018年1月号、10頁。
^ 岡田直昭(国鉄車両設計事務所) 「301系軽合金電車詳説 (1)」『電気車の科学』1966年9月号、電気車研究会、pp.19 - 22。
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