国道66号線_(アメリカ合衆国)
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この議論は最終的に、国道60号線はバージニアビーチスプリングフィールドを、国道62号線はシカゴロサンゼルスを結ぶ国道として定める事で決着した。だが、アメリカ合衆国南西部を東西に貫くシカゴとロサンゼルスを結ぶこの国道には、62よりも覚えやすく、言いやすく、聞きやすいという理由でゾロ目の番号66があてられた。

国道システムが正式に創設されると、1927年オクラホマ州タルサで国道66号線協会(英語版)が発足した。この協会の目的は国道66号線の舗装促進、および利用者の増加を図ることであった。翌1928年には、同協会のプロモーションの一環として、バニアン・ダービー(en:Trans-American Footrace)という競走レースを執り行った。これはロサンゼルスからニューヨークまで大陸を横断するもので、シカゴまでは国道66号線を走るルートになっていた。ウィル・ロジャースを含む著名人たちが沿道に応援に駆けつけるなど、プロモーションは成功を収めた。同協会は1976年に解散するまで、沿道の産業界側の窓口としての役割を果たした。

交通量は日増しに増えていった。全体的に平坦な地形など地理的な条件にも恵まれ、トラック輸送には適した道路であった。1930年代には、土壌流出によりカンザスオクラホマテキサス各州からカリフォルニア州へ移住する農家が西へと向かうための道としての役割を担った。この様子をジョン・スタインベック怒りの葡萄で描いている。大恐慌時代には、この国道の存在は沿道の住民に安心感を与えた。小さな町村を縫うように走り、交通量も増加の一途をたどっていたため、沿道には各種商店やレストランなどビジネスを起こす機会にあふれていた。

創設された当時は、他の多くの国道と同じように、ほとんどは未舗装の埃道であった。しかし、国道66号線協会の努力により、1938年に国道66号線は全米の国道で初めてとなる舗装がなされた。Bloody 66(血まみれの66号線)と呼ばれるような危険な場所もあったが、ルートの変更などにより次第に危険なカーブがルート上から取り除かれていった。しかし、アリゾナ州のブラック・マウンテン山地(英語版)を越える1ヶ所だけは1953年までヘアピンカーブの連続する曲がりくねった道として残った。それでも国道66号線は人気の高い道路であり続けた。

第二次世界大戦中、カリフォルニア州で軍需産業が発達し、西への人口の動きはさらに加速した。そうした状況下で、国道66号線は軍用品の運搬路としての役割を果たした。国道66号線の近くにあったミズーリ州フォート・レオナード・ウッド陸軍基地は、軍の交通需要に応えるため、迅速に国道の拡幅を行った。

1950年代に入ると、国道66号線の主な通行者はロサンゼルスへのバカンス客へと取って代わられた。この国道はアリゾナ州内においてもグランドキャニオンの近くを通っていた。同州のバリンジャー・クレーターも人気の高い観光地であった。こうした観光需要の高まりにより、沿道にはモーテルや各種ショップが建ち並ぶようになった。また、沿道ではドライブスルーの設置や、マクドナルドの登場など、ファーストフード産業も生まれた。このような沿道の変化は、「ルート66」を単なる道路ではなく、アメリカ近代文化の縮図へと変貌させていった。
ルート変更ミシシッピ川にかけられたチェーン・オブ・ロックス橋(Chain of Rocks Bridge)。セントルイス市街地の交通渋滞を緩和するため、国道66号線のバイパスとして作られた。

1930年代、国道66号線には以下の4つの大きなルート変更がなされた。

1930年イリノイ州スプリングフィールドイーストセントルイス間において、国道66号線は東遷され、現在は州間高速道路55号線が通っている位置に定められた。もとの道路は現在イリノイ州道4号線となっている。

1932年セントルイスのダウンタウン(英語版)から州内のグレイサミット(英語版)に通ずる部分が創設時のマーケット通り(Market Street、en:Streets of St. Louis#Market_Street)とマンチェスター通り(Manchester Road、en:Missouri Route 100#Route description)から未完成だったワトソン通り(en:Watson Road)に改められた。現在、創設時の通りはミズーリ州道100号線(英語版)、ワトソン通りはミズーリ州道366号線(英語版)にそれぞれなっている。

1933年オクラホマ州エルリノ(英語版)・ブリッジポート(英語版)間において、国道66号線は南遷された。この変更により、それまで経由していたカルメット(英語版)やギアリー(英語版)は経由せず、2都市間が直線で結ばれるルートとなった。

1937年ニューメキシコ州サンタローザ(英語版)・ロスルナス間においてルート変更が行われ、アルバカーキへダイレクトに入るように改められた。それまでは北側を経由してサンタフェなどを通っていた。この変更により、ニューメキシコ州通過に要する時間が4時間短縮された。

また、国道66号線には沿道の大きな都市での渋滞を回避するため、バイパスや環状道路が設けられた。このような道路が設けられた都市には次のような例がある。

スプリングフィールド (イリノイ州)

セントルイス

スプリングフィールド (ミズーリ州)


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