国道58号
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沖縄県の嘉手納町 - 北谷町嘉手納基地沿いは、ヤシ並木の優れた街路樹景観が評価され、読売新聞社選定の「新・日本街路樹100景」(1994年)のひとつに選定されている[6]

毎年10月に開催される那覇まつりのメインイベントである那覇大綱挽は、那覇市久茂地交差点付近で、可動式の中央分離帯を撤去した上で行われる[注釈 3]
路線データ

一般国道の路線を指定する政令[7][注釈 4]に基づく起終点および重要な経過地は次のとおり。

起点:鹿児島市西郷隆盛銅像前交差点[1][注釈 5] = 国道10号交点、国道224号終点)

終点:那覇市明治橋 = 国道329号国道332号終点、国道331号起点)

重要な経過地:西之表市鹿児島県熊毛郡南種子町、同県大島郡笠利町[注釈 6]、名瀬市[注釈 6]、同郡瀬戸内町沖縄県国頭郡国頭村、同郡大宜味村名護市宜野湾市(大山)、浦添市(屋富祖)

総延長:881.9 km(鹿児島県:709.9 km、沖縄県:172.0 km)未供用延長(海上区間)を含む。[3][注釈 1]

重用延長:なし[3][注釈 1]

未供用延長:609.5 km(鹿児島県:591.0 km、沖縄県:18.5 km)[3][注釈 1]

未供用延長のうち海上区間:609.5 km(鹿児島県:591.0 km、沖縄県:18.5 km)[3][注釈 1]


実延長:272.9 km(鹿児島県:118.9 km、沖縄県:153.5 km)[3][注釈 1]

現道:240.7 km(鹿児島県:118.5 km、沖縄県:122.2 km)[3][注釈 1]

旧道:17.8 km(鹿児島県:0.4 km、沖縄県:17.4 km)[3][注釈 1]

新道:13.9 km(鹿児島県:- km、沖縄県:13.9 km)[3][注釈 1]


指定区間:鹿児島市山下町5番1 - 鹿児島市名山町12番1(西郷隆盛銅像前交差点(起点)[1] - 泉町交点の東)、沖縄県国頭郡国頭村奥字新田原541番の1 - 那覇市奥武山町51番(明治橋(終点))[8]

海上区間:鹿児島県鹿児島市名山町(泉町交点の東) - 鹿児島県西之表市西町、鹿児島県熊毛郡南種子町島間 - 鹿児島県奄美市笠利町里、および鹿児島県大島郡瀬戸内町古仁屋 - 沖縄県国頭郡国頭村奥

歴史沖縄県内での起点・国頭村奥にある記念碑。本土復帰した1972年に一般国道への指定を記念して建立された。

国道58号の沖縄県内部分は、米軍が整備・指定したHighway No.1(那覇市 - 国頭村)がその起源となる[9]。この道路は那覇軍港普天間基地嘉手納基地などをつなぐ、沖縄の大動脈である。なお「緊急時の滑走路としての利用も考えられて作られていた」と言われることがあるが、当時は沿線に7箇所の飛行場があり滑走路として使用する必要性はほぼなく都市伝説に過ぎない。1952年4月1日琉球政府発足後、琉球政府の道路法に基づき、読谷村大湾 - 名護町名護 - 国頭村奥は政府道一号線(政府道は日本の国道に相当)に認定されたが、那覇市明治橋 - 読谷村大湾は米軍が管理する軍道のままであった。なおこの時期は舗装はなされていたものの、歩道などの付属設備等はそれほど進んでいなかった。読谷村 - 名護町についても、政府道にはなっていたが、管理は米軍が行っていた。1972年4月25日、軍道の管理が琉球政府に移管された。以下に述べるように国道58号となった後も沖縄県内では一般には時に1号線と呼ばれた。

その年の5月15日沖縄返還と同時に「沖縄の復帰に伴う建設省関係政令の改正に関する政令」が施行され、政府道一号線を含む鹿児島県鹿児島市から沖縄県那覇市までの区間が一般国道58号に指定された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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