国道246号
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「ニーヨンロク」の通称で知られる[1]
概要

東京都神奈川県を結ぶ一般道路としては、国道15号(第一京浜)、国道1号第二京浜)と並ぶ重要な道路である。特に東京都心部から神奈川県厚木市付近までは片側2車線以上・立体交差中心の幹線道路として整備されている。神奈川県の県央、湘南、県西の各北側の地域と、静岡県の東部地域を経由し、終点の沼津市に至る。
路線データ

一般国道の路線を指定する政令[2][注釈 1]に基づく起終点および重要な経過地は次のとおり。

起点:東京都千代田区(三宅坂交差点 = 国道20号交点)

終点:沼津市(上石田交差点 = 国道1号交点、国道414号終点)

重要な経過地:東京都港区北青山一丁目)、同都渋谷区、同都目黒区、同都世田谷区神奈川県川崎市高津区)、同県横浜市、東京都町田市、神奈川県大和市、同県座間市、同県海老名市、同県厚木市、同県伊勢原市(田中)、同県秦野市、同県足柄上郡松田町静岡県御殿場市、同県裾野市、同県駿東郡長泉町

総延長 : 125.3 km(東京都 17.3 km、神奈川県 52.8 km、横浜市 11.6 km、川崎市 7.9 km、静岡県 35.7 km)[3][注釈 2]

重用延長 : なし[3][注釈 2]

未供用延長 : なし[3][注釈 2]

実延長 : 125.3 km(東京都 17.3 km、神奈川県 52.8 km、横浜市 11.6 km、川崎市 7.9 km、静岡県 35.7 km)[3][注釈 2]

現道 : 123.5 km(東京都 16.3 km、神奈川県 52.8 km、横浜市 11.6 km、川崎市 7.2 km、静岡県 35.7 km)[3][注釈 2]

旧道 : 0.8 km(東京都 - km、神奈川県 - km、横浜市 - km、川崎市 0.8 km、静岡県 - km)[3][注釈 2]

新道 : 1.1 km(東京都 1.1 km、神奈川県 - km、横浜市 - km、川崎市 - km、静岡県 - km)[3][注釈 2]


指定区間:東京都千代田区永田町一丁目1番5 - 沼津市大岡字下耕地2768番の3[4]

※東京都世田谷区玉川二丁目1507番3 - 川崎市高津区二子一丁目2411番1 - 同区二子一丁目1番3(二子橋経由の経路)を除く。


歴史
律令時代から戦国時代

律令時代の頃、畿内から東国を結ぶ東海道の道筋は足柄峠を越える「足柄道」があり、この道が現在の国道246号に近いところに沿って通っていた[5]。なお、都筑郡郡衙は国道246号至近にある。ただし、必ずしも重複していたわけではなく、国道246号の直接の祖が現れるのは江戸時代の頃となる。延暦19年(800年)から始まった富士山噴火による火山灰の堆積によって足柄道が使用できなくなり、代わりに箱根峠越えの東海道が切り拓かれた[5]。やがて、足柄道の復旧が行われたが、往時の勢いを取り戻すまでには至らなかった[5]
江戸時代

江戸時代に五街道の一つである東海道が徳川初代将軍家康によって整備されると、ほぼ足柄道に沿うかたちで新たに矢倉沢往還が整備され、東海道の脇往還として利用されるようになる。東海道同様、江戸と東海道沿道各地を結び、人や物資が往来し発展した。この矢倉沢往還は、現在の国道246号の原形となる経路をたどっている[6]

享保年間になると大山が盛んになり、江戸から山岳信仰のある大山に詣でるための街道としても賑わった。丹沢山地南端に位置する大山阿夫利神社への参詣のため、多くの庶民から人気を集め利用されるようになり、この頃より大山道(大山街道)とも呼ばれるようになる[6]。その名は、現在も神奈川県内の通称名や同県内および、東京都内の旧道などに残っている。
近現代

大山街道は明治大正の道路施策のなかでは一地方道の扱いとなったが、1952年昭和27年)の一級国道の路線指定に際しても、都県道に留め置かれた[6]。まだこの頃の大山街道は田畑を縫う細い砂利道であったといい、東京 - 横浜 - 沼津間には東海道を継承する一級国道1号や15号があったため、翌1953年(昭和28年)の二級国道の路線指定の対象からも漏れている[6]。国道として初めて指定されたのは、1956年(昭和31年)の二級国道の第二期路線指定で「二級国道246号東京沼津線」となったときである[7][注釈 3]。この頃までの神奈川県川崎市・横浜市の沿線は、交通の便が良くなかったことから農業主体の集落が多く、牧歌的な雰囲気を残していた。ちょうどこの頃から、並行するように東名高速道路の建設が始められ、東急グループによる田園都市線を中心とした開発が進められるようになる[8]。沿道の東京都の駒沢には、1964年東京オリンピックのスタジアム(駒沢オリンピック公園)も設置された[8]

1965年(昭和40年)の一般国道の路線を指定する政令で、一級・二級の国道区分が廃止されて一般国道に統合されたことに伴い、「二級国道246号東京沼津線」から「一般国道246号」となる[9]直轄国道となったこの頃より道路改良する土地に裕度があった国道246号は、輻輳が激しく改修の余地の小さい国道1号バイパス路線として注目され、重点的に道路改良整備が一気に進められた[8]多摩田園都市の開発とともに、沿線は急速に宅地化され交通量が増大したため、1974年(昭和49年)以降に東京・横浜バイパスが建設されている。この東京・横浜バイパスとして整備された区間の旧道は、のちに移管されて国道指定解除を受けている。
年表
国道指定以前

1920年大正9年)4月1日 - 『道路法』(当時)に基づく、「東京府告示第百六十二號」、「神奈川縣告示第百二十二號」および「静岡縣告示第百十九號」により、東京府道第1號東京厚木線、神奈川縣道厚木東京線・厚木御殿場線、静岡縣道小山厚木線・御殿場小山線・沼津御殿場線が指定される。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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