国譲り
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天津神の御子の仰せの通りに、この葦原中国を譲ります」と言い、建御雷神に降参した。
大国主神の国譲り

建御雷神は出雲に戻り、大国主神に再度訊ねた。大国主神は「二人の息子が天津神に従うのなら、私もこの国を天津神に差し上げます。その代わり、私の住む所として、天津神の御子が住むのと同じくらい大きな宮殿を建てて下さい。そうすれば私は百(もも)足らず八十?手(やそくまで)[注釈 6]へ隠れましょう。私の180柱の子神たちは、長男の事代主神に従って天津神に背かないでしょう」と言った。すると、大国主神のために出雲国の多芸志(たぎし)の小浜に宮殿が建てられ、水戸神の孫・櫛八玉神(くしやたま)が沢山の料理を奉った。

建御雷神は葦原中国の平定をなし終えると、高天原に復命した[1][2][3][4][5][6]
日本書紀(巻第二 神代下・第九段)
天穂日命と大背飯三熊之大人の派遣

天照大神の子の正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみ)は、高皇産霊尊の娘である幡千千姫 (たくはたちぢひめ)を娶り、天津彦彦火瓊々杵尊(あまつひこひこほのににぎ)が生まれた。高天原に住む高皇産霊尊(高御産巣日神)は、自分の孫をよく可愛がり崇めていたので、天津彦彦火瓊々杵尊を葦原中国の君主にしようと考えた。しかし、地上には蛍火のように勝手に光る神や、ハエのように騒がしい邪神が多くいて、草や木さえも言葉を話せる状態であった。そのため、八十諸神(やそもろかみたち)を集めて、「私は、葦原中国の邪神達を平定したいと思っている。誰を派遣すべきか」と問うた。すると神々は「天穂日命(あめのほひ)は立派な神です。試してみてはどうでしょう」と進言した。しかし、遣わされた天穂日命は国津神の長・大己貴神(おおあなむち、『古事記』の大国主神)に媚びてしまい、3年になっても報告に戻らなかった。次に天穂日命の子の大背飯三熊之大人(おおそびのみくまのうし、武三熊之大人(たけみくまのうし)とも)が遣わされたが、父と同じく報告に戻らなかった。
天稚彦の派遣と死鮎ノ瀬橋から望む長良川
「藍見川」は長良川の旧称とする説がある。

高皇産霊尊はふたたび神々を集めて遣わすべき者を尋ねると、皆は「天国玉の子・天稚彦(あめわかひこ)を遣わすべき」と答えた。天稚彦は、高皇産霊尊から授かった天鹿児弓(あめのかごゆみ)と天羽々矢(あめのははや)を持って葦原中国へ向かった。ところが任務を果たさずに顕国玉(うつしくにたま、大己貴神のこと)の娘・下照姫(高姫(たかひめ)または稚国玉(わかくにたま)ともいう)を娶って、葦原中国を支配しようとまで企んだ。

高皇産霊尊は長く報告が来ないことを怪しみ、無名雉(ななしきぎし)を遣わした。雉が天稚彦の門前にある湯津杜木(ゆつかつら)の梢に止まるのを目撃した天探女(あめのさぐめ)は天稚彦に「奇妙な鳥がカツラの木にいます」と告げた。すると天稚彦は高皇産霊尊から与えられた天鹿児弓と天羽々矢で雉を射抜いて、その矢は高皇産霊尊の所まで飛んで行った。高皇産霊尊は矢を見て、「この矢は昔、天稚彦に授けたもので、血に染まっている。国津神と戦っていたのだろうか」と言って、矢を投げ返した。その矢は新嘗祭の後に休んで寝ていた天稚彦の胸に命中して、彼は死んでしまった。

天にいる天稚彦の父・天国玉が夫の死を嘆く下照姫の泣き声を聞き、疾風(はやて)を遣わして死体を天に運ばせ、喪屋を作って(もがり)を行った。天稚彦の親友で、彼によく似ていた味耜高彦根神(あじすきたかひこね)は天に昇って弔いに訪れた時、天稚彦の親族や妻子は皆、「我が君は生きていた」と言って衣服にすがりついて喜びに沸いた。すると味耜高彦根神は「友達を弔うためにを受けるのを覚悟してここへ来た。どうして死人と間違うのか」と怒り、大葉刈(おおはがり、神戸剣ともいう)で喪屋を切り倒した。これが落ちて、美濃国藍見川(あいみのかわ)にある喪山になったという。
経津主神と武甕槌神の派遣・事代主神の服従稲佐の浜

高皇産霊尊は神々に今度はどの神を派遣すべきかと問うと、皆は磐裂・根裂神の子である磐筒男磐筒女の子・経津主神(ふつぬし)を薦めた。その時、天石窟(あまのいわや)に住む神、稜威雄走神(いつのおはしり)の子・甕速日神(みかはやひ)、甕速日神の子・?速日神(ひのはやひ)、樋速日神の子・武甕槌神(たけみかづち)がいた。武甕槌神は進み出て「経津主神だけが丈夫(ますらお)[注釈 7]で、私は丈夫ではないというのか」と抗議した。大変熱心に語るので、経津主神に副えて葦原中国を平定させることにした。

経津主神と武甕槌神は出雲国の五十田狹之小汀(いたさのおはま)に降り到って、十握剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さに地面に突き立て、その剣先にあぐらをかいて座り、大己貴神に「高皇産霊尊は皇孫(すめみま)を天から降してこの地に君臨しようと思っているため、地上を平定するために我々を派遣された。ご意向はどうだ」と問い詰めた。すると大己貴神は、息子に尋ねてから答えを出すと言った。

その時、その子の事代主神は出雲国の三穂之碕(みほのさき)に魚釣り(あるいは鳥の狩り)をしていた。そこで、2柱の使者は熊野諸手船(くまののもろたふね、天鴿船(あまのはとふね)とも)に使者の稲背脛(いなせはぎ)を乗せて事代主神の元へ遣わした。事代主神は使者に、「父は去るべきでしょう。私もそれに違反しません」と答えて、海の中に八重蒼柴籬(やえあおふしかき)を作り、船の端を踏んで姿を消した。
大己貴神の国譲り出雲大社の古代本殿の模型

稲背脛が帰って報告すると、大己貴神は2柱の神に「頼りの息子は去ってしまったので、私も去ることにします。もしも抵抗すれば、国中の神々も同じように戦います。しかし、私が身を引けば、従わない者はいないでしょう」と言った。そして国を平定した時に用いた広矛(ひろほこ)を2柱の神に授けて、「天孫がこの矛を以て国を治めれば、必ず平安になるでしょう。私は今、百(もも)足らず八十隈(やそくまで)[注釈 6]へ隠れます」と言い終えて、姿を消した。

すると、経津主神と武甕槌神の2柱は服従しない鬼神を処罰して、地上を平定した。 一書によると、2柱の神は邪神と草木・石を征伐した時、星の神・香々背男(ほしのかがせお)だけは最後まで抵抗した。そこで倭文神(しとりがみ)である建葉槌命を遣わせて服従させた。それで2柱の神は天に復命した。
第九段一書(一)
天稚彦銅矛島根県立古代出雲歴史博物館の展示)

一書によると、天照大神が天稚彦に「豊葦原中国は、私の子が治めるべき地である。しかし、強暴な悪い神々[注釈 8]がいるので、先に行ってこれを平定せよ」と命じて、彼に天鹿児弓(あまのかごゆみ)・天真鹿児矢(あまのまかごや)を授けて地上へ遣わした。しかし天稚彦は多くの国神(国津神)の娘を娶って、8年経っても報告に戻らなかった。

そこで天照大神は思兼神を召して、来ない理由を尋ねた。思兼神は、雉(きぎし)を遣わして天稚彦に聞かせよう、と進言した。派遣された雉は天稚彦の門の前の湯津杜樹(ゆつかつら)の梢に止まって、「天稚彦は何故、8年もの間、復命をしないのか」と鳴き問う。その時、国神の天探女が雉を見て「鳴き声の悪い鳥はこの木の上にいます。射殺しましょう」と言った。天稚彦は天鹿児弓・天真鹿児矢で雉を射抜いて、その矢は雉の胸を貫き遂に天神(天津神)の所にまで届いた。その矢を見た天神は「天稚彦に与えた矢が、何故ここにあるのか」と言った後、矢を手に取って「もしも邪な心で矢を射ったのなら、天稚彦は必ず害に遭うだろう。だがもし正しい心を以て射ったのなら、何も悪いことは起きないだろう」と呪いを掛けて矢を投げ返した。その矢は天稚彦の胸に命中して、彼は即死した。

天稚彦の妻子たちが天から降りて、棺を持ち帰り、天に喪屋を作って殯を行った。天稚彦の親友の味耜高彦根神も天に昇って友を弔い、大いに泣いた。ところが、天稚彦とよく似ていたため、天稚彦の妻子たちは「我が君は生きていた」と言って、その衣服にすがりついていた。すると味耜高彦根神は怒り「亡くなった友を弔うためにここへ来た。どうして死人と間違うのか」と言って、十握剣で喪屋を切り倒した。その小屋が落ちて美濃国の喪山となった。

ここでは、「天なるや 弟たなばたの うながせる 玉のみすまるの 穴玉はや み谷 ニ渡らす 味耜高彦根」という歌は葬式の参加者、あるいは味耜高彦根神の妹の下照媛が作ったものとされる。更にもう一つの歌を歌ったという。

阿磨佐箇? 避奈菟謎廼 以和多邏素西渡 以嗣箇播箇柁輔智 箇多輔智爾 阿弥播利和柁嗣 妹慮予嗣爾 予嗣予利拠祢 以嗣箇播箇柁輔智

天(あま)離(さか)る 夷(ひな)つ女(め)の い渡らす迫門(せと) 石川(いしかは)片淵(かたふち) 片淵に 網張り渡し 女ろよしに よし寄り来(こ)ね 石川片淵

(田舎の女が瀬戸を渡って石川の片淵に魚をとる。その淵に張り渡した網を引き寄せるように寄っておいで、石川の片淵よ)
経津主神と武甕槌神

その時、天照大神は思兼神の妹・万幡豊秋津媛命(よろずはたとよあきつしひめ)を正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊に娶せた。天照大神は彼に天降りを命じたが、天の浮橋に立った天忍穂耳尊は地上を見て、「未だに平定されていないこの醜い国は嫌だ」と言って、すぐに天に戻った。そのため、天照大神は武甕槌神と経津主神を派遣した。

2柱の神は出雲に降りて、大己貴神に「この国を天の神に譲るか」と問うた。大己貴神は「私の子の事代主は鳥を狩りをしに三津之碕(みつのさき)にいます。彼を尋ねてからご返事致します」と答え、使者を遣わして訪ねさせた。事代主神は「天神の要求されるところであれば、奉りましょう」と返事して、大己貴神はその言葉を報告した。2柱の神は葦原中国が平定されたことを復命すると、天照大神は天忍穂耳尊にふたたび天降りを命じた。


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