国葬
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したがって、今後国葬というものを、どちらを主体にして考えていくかということになりますると、なかなか、御意見のように、国をあげて喪に服するということになると、やはり一つの形が考えられるわけでありまして、この点は十分ひとつ検討すべきものと考えておりますので、さよう申し上げた次第であります。

ただいま御引用になりました吉田元総理の葬儀につきましても、国葬儀として取り扱うということになって、儀という字が入っておる。国葬そのものではないところに、その当時いろいろ検討いたしました結果、ああいう取り扱いになったと承っておるのでありまして、御意見もありますが、しかしこの点は十分検討いたしたいと思います。

上記答弁にもあるように、1967年(昭和42年)10月31日に行われた吉田茂元総理の葬儀について、政府は「国葬」と「国葬儀」は異なるという独自の見解を主張した。翌1968年(昭和43年)5月の衆議院決算委員会においても、当時の総理府総務長官である田中龍夫が以下のように答弁し、吉田の葬儀は行政措置としての「国葬儀」であるとした[16]

ただいま御指摘のように、今後これに対する何らかの根拠法的なものはつくらないかという御趣旨でありますが、これは行政措置といたしまして、従来ありましたような国民全体が喪に服するといったようなものはむしろつくるべきではないので、国民全体が納得するような姿において、ほんとうに国家に対して偉勲を立てた方々に対する国民全体の盛り上がるその気持ちをくみまして、そのときに行政措置として国葬儀を行なうということが私は適当ではないかと存じます。

したがって、「国葬」は単に国費を持って葬儀を行うにとどまらず、国民がその喪に服することまでもを要求するものであり、単に国家が費用を支出して行う葬儀については「国葬儀」として区別するべきであるとしている。その一方で、吉田の国葬儀当日の弔意表明について当時の佐藤内閣は、官公庁のみならず一般国民にも、黙祷や弔旗の掲揚、行事や歌舞音曲の自粛を要請しており国葬儀の定義は極めて曖昧であった[17]

2022年(令和4年)7月8日に銃撃を受け死亡した元内閣総理大臣の安倍晋三は、内閣府設置法第4条第3項第33号により国の儀式である国葬儀は行政権の作用に含まれるとして[18]、閣議決定により同年9月27日に日本武道館で「国葬儀」が開催された。葬儀委員長は内閣総理大臣の岸田文雄が、葬儀副委員長は内閣官房長官の松野博一が務めた[19][20]。国庫負担額は16億6000万円[10]。 「故安倍晋三国葬儀」および「安倍晋三銃撃事件」も参照

現在、内閣総理大臣経験者をはじめとした有力政治家の葬儀は、内閣、所属政党、所属議院、遺族のいずれかの組み合わせによる合同葬として行うことが多い。1975年(昭和50年)に死去した佐藤栄作は、戦後において存命中に大勲位を受勲した三人(吉田・佐藤・中曽根康弘)のうちの一人で、その葬儀は「自民党、国民有志による国民葬」として行われ、経費の一部を国庫から支出する旨閣議決定が行われた。国庫負担額は2004万円[10]。「国民葬」の名で呼ばれた先例には大隈重信のものがあるが、大隈の葬儀に国家は関与しておらず、佐藤の国民葬は公葬と民葬の中間的なものとなった[21]

1980年(昭和55年)に現職首相のまま急死した大平正芳は「内閣・自由民主党合同葬」で行われた。国庫負担額は3643万円[10]。1980年の大平以降は、首相経験者の葬儀が行われる際に内閣が関与する形式の葬儀が慣例化していった。ただし、元首相が最後に所属していた政党が野党であり政権に参画していない場合は葬儀に内閣が関与していない(例として1993年に死去した田中角栄[注 1]、2017年に死去した羽田孜[注 2]は内閣が関与しない形式の葬儀となった)。

また、元首相が最後に所属していた政党が与党として政権に参画している場合でも葬儀に内閣が関与しないこともある(例として1998年に死去した宇野宗佑[注 3]、2000年に死去した竹下登[注 4]、2022年に死去した海部俊樹[注 5]は内閣が関与しない形式の葬儀となった)。

また幣原喜重郎など現職の衆参議長・副議長が死亡した場合、議院の主宰による葬儀が行われる。また第二次世界大戦前後を通じて63年の議員経験をもつ尾崎行雄は特に衆議院葬が行われている。

また勲一等文化勲章などの勲章受章者の葬儀に天皇から文化庁など所管官庁を通して祭粢料が下賜されることがある(例:黒澤明青島幸男森繁久彌大滝秀治五代目 中村富十郎川上哲治山田五十鈴森光子四代目 坂田藤十郎石原慎太郎)。

第二次世界大戦前後を通じて、国葬は普通東京で行われる。例外的に島津久光は元の領地であった鹿児島で、元大韓帝国皇帝で朝鮮王族であった高宗純宗は出身地であった京城府(現在のソウル特別市)で行われた。
日本の国葬一覧西園寺公望の国葬(1940年)山本五十六の国葬(1943年)安倍晋三国葬儀(2022年)

日本における国葬の一覧年月日被葬者地位、備考
1878年明治11年)5月17日大久保利通従一位勲一等 内務卿(事実上の国葬、準国葬)
1883年(明治16年)7月25日岩倉具視正一位大勲位 右大臣
1887年(明治20年)12月18日島津久光従一位大勲位 公爵 左大臣
1891年(明治24年)2月25日三条実美正一位大勲位 公爵 太政大臣
1895年(明治28年)1月29日熾仁親王陸軍大将 大勲位功二級 参謀総長
1895年(明治28年)12月18日能久親王陸軍大将 大勲位功三級 近衛師団
1896年(明治29年)12月30日毛利元徳従一位勲一等 公爵 参議山口藩
1897年(明治30年)2月7日英照皇太后皇太后 大喪儀(事実上の国葬)
1898年(明治31年)1月9日島津忠義従一位勲一等 公爵 参議 旧鹿児島藩
1903年(明治36年)2月26日彰仁親王元帥陸軍大将 大勲位功二級 参謀総長
1909年(明治42年)11月4日[22]伊藤博文従一位大勲位 公爵 内閣総理大臣 元老
1912年大正元年)9月13日明治天皇天皇 大喪
1913年(大正2年)7月17日威仁親王元帥海軍大将 大勲位功三級 軍事参議官
1914年(大正3年)5月24日昭憲皇太后皇太后 大喪
1916年(大正5年)12月17日大山巌従一位大勲位功一級 公爵 元帥陸軍大将 内大臣
1919年(大正8年)3月3日李熈李太王(元韓国皇帝 高宗
1922年(大正11年)2月9日山縣有朋従一位大勲位功一級 公爵 元帥陸軍大将 内閣総理大臣 元老


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