国立科学博物館
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独立行政法人[7]化によって国から切り離されたが、その後も名称に「国立」を冠している。これは海外との関わりにおいて国の機関であることを示す必要があるために認められた特例である。

施設は、東京都の2か所と茨城県つくば市の1か所、計3か所に分散している。展示施設は、東京都台東区上野恩賜公園内に所在する上野本館、東京都港区白金台に所在する附属自然教育園、茨城県つくば市に所在する筑波実験植物園(通称、つくば植物園)と昭和記念筑波研究資料館(筑波実験植物園の敷地内、一般には非公開)がある。研究部門は、新宿区百人町(新宿分館)とつくば市(筑波実験植物園の敷地内)とに分散して所在していたが、2012年に筑波地区に集約された。

なお、上野本館と呼称される際は、上野地区の施設全体を指す場合と、その中の日本館と呼ばれている建物のみを指す場合とがある。

一般的に国立科学博物館と上野本館の施設は同義である。エントランス側に面している日本館と呼ばれている建物は当館のシンボルとして強く人々の間で印象づけられている。

近年の独立行政法人化によって、国としての役割を担うように強く求められている。行政改革の流れで国立博物館との合併や国立文化財機構への統合が取りざたされたが、現時点では統合されることなく運営されている。なお当館同様、日本科学未来館は国が関与する科学系の博物館ではあるが、互いに全く関係がない法人である。

館長は篠田謙一[8]2021年4月1日就任)。

なお本記事では、主として上野本館について触れる。それ以外の施設については、それぞれの項目を参照のこと。教育博物館

当館は1872年、湯島聖堂内に博物館を設立したことに起源をもつ。創立は1877年に教育博物館が設置されたときとしている。その後、高等師範学校の附属となり、博物館としては活動が停滞していた時期もある。大正時代に科学博物館設立の機運が高まったことを受けて、1930年上野公園内に新館(現在の日本館)が建てられ、その翌年には東京科学博物館と改称され、東京市の施設となった。1949年には国に移管され、現在の国立科学博物館となる。その後、自然教育園資源科学研究所を組み込んだ。筑波研究学園都市の開発に伴って、筑波実験植物園が附属施設として設置された。これによっておおまかな現在の拠点がそろうことになる。
年表

1871年 - 文部省に博物局を設置。

1872年

3-4月 - 湯島聖堂大成殿内にて国内初の博覧会開催。

5月 - 湯島聖堂内にて博覧会の一部資料を定期的に公開する「文部省博物館」を設置。


1873年 - 「文部省博物館」が太政官正院の博覧会事務局に併合。

1875年

2月 - 併合された博物館の一部を分離。小石川薬園と共に文部省の所轄となる。

4月 - 「東京博物館」と改称。所蔵資料を全て博物館事務局に移管したため、名称だけの博物館であった。

旧教育博物館書籍閲覧所書籍庫(現東京芸術大学赤レンガ1号館)
東京都内に現存する最古の煉瓦建築

1877年1月 - 上野山内、西四軒寺跡(現東京芸術大学の位置)に新館が一部竣工、「教育博物館」と改称(科博はこの年を創立年としている)。
―このときの書籍閲覧所書籍庫(1880年竣工、設計林忠恕)が現在、東京芸術大学赤レンガ1号館として残存し、使用されている。―2004年に本館(現日本館)が改装される前までは「教育博物館」の標柱が本館脇の中庭に現存していた。

1881年 - 「東京教育博物館」と改称。

1886年 - 文部省総務局の附属となり、館長制度が廃止、新たに主幹が置かれる。

1889年

6月 - 土地・建物を東京美術学校(東京芸術大学の前身)に明け渡し、博物標本などを帝国博物館東京国立博物館の前身)に移し閉館。

7月 - 高等師範学校東京教育大学の前身)の附属施設となり、高等師範学校に隣接する湯島聖堂構内に移転。


1890年4月 - 湯島聖堂構内で普通教育に関する資料を主とした一般公開を開始。

1912年11月 - 本館第一陳列館内に通俗教育館を附設し、一般公開を開始。
湯島聖堂構内にあった東京教育博物館。1920年撮影。『東京教育博物館一覧 大正九年』(国立国会図書館蔵)より。[9]

1914年6月 - 東京高等師範学校(高等師範学校から改称)から独立し、文部省普通学務局所轄の独立した「東京教育博物館」となる。

1917年 - 東京帝室博物館(東京国立博物館の前身)構内にあった教育学芸館を湯島聖堂へ移築し、新陳列館とする。

1921年6月 - 文部省直轄となり、再び「東京博物館」へと改称。

1923年9月 - 関東大震災による火災により施設と資料の全てを失う。

1924年3月 - 関東大震災に関する資料などを調査、収集した物を湯島聖堂構内に建てられた仮建物で公開。

1924年?1926年 - 東京帝室博物館の自然科学系の部門であった天産部より動物・植物・鉱物94,001点の資料譲渡を受ける。[10][11]。これに伴って東京帝室博物館の天産部は廃止

1927年 - 上野別館竣工(東京帝室博物館が管理していた竹の台陳列館を移築したもの)

1928年4月 - 上野新館(現日本館)起工[注 2]
建設中の東京博物館新館(現在の日本館)。1930年2月撮影。『東京博物館一覧 昭和二年度、三年度』(国立国会図書館蔵)より。[12]

1930年12月 - 上野新館(→日本館)竣工。
日本館

1931年

2月 - 「東京科学博物館」と改称。

7月4日-8月2日 - 上野新館仮公開。

11月2日 - 上野新館で行幸啓による開館披露。以降11月2日が開館記念日となる。一般公開は11月7日から開始


1945年

1月27日 - 東京大空襲による爆風の影響で上野別館に展示されていた標本150点が破損。

3月10日 - 閉館し、標本を近県6か所に疎開[13]

5月 - 建物がに徴用され、終戦まで高射第1師団司令部となる。上野別館北側取り壊し。

12月1日 - 一部公開を再開[13]


1948年1月20日 - 疎開した標本の引き揚げ完了[13]

1949年6月 - 文部省設置法により「国立科学博物館」設置。

1953年7月 - 理工学館(旧2,3号館、→たんけん館・むらさき館)起工。

1954年2月 - 理工学館(旧2号館)第1期工事竣工。

1954年5月29日 - 2号館の一部を一般公開開始。

1962年4月 - 港区にある国立自然教育園を統合し「附属自然教育園」を設置。

1965年 - 理工学館(旧2,3号館、→たんけん館)が完成。

1970年 - 極地研究センターが上野地区から板橋区の東京第二陸軍造兵廠跡に移転。

1971年4月 - 資源科学研究所を吸収合併。


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