国立天文台
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当初は都会を離れることを嫌がっていた職員やその家族も、関東大震災(1923年)の被災により、三鷹周辺への移住が進んだ[4]

東京天文台は、名古屋大学空電研究所や文部省緯度観測所(現在の水沢VLBI観測所)と移管統合され、文部省直属の研究機関である国立天文台となる[注 3]。行政改革により、分子科学研究所など4つの国立研究所と統合再編及び法人化され、大学共同利用機関法人自然科学研究機構国立天文台になる。
構成

国立天文台は、東京都三鷹市に本部を置き、日本各地や国外にも観測施設を設置し観測業務並びに機器開発、装置運用を実施している。大学共同利用機関法人自然科学研究機構を構成する大学共同利用機関の一つであり、総合研究大学院大学の専攻研究科を構成する。
歴代台長

国立天文台発足以降の、歴代台長(在任期間)の一覧

初代
古在由秀(1988年 - 1994年

2代 小平桂一(1994年 - 2000年

3代 海部宣男(2000年 - 2006年

4代 観山正見(2006年 - 2012年)

5代 林正彦(2012年 - 2018年)

6代 常田佐久(2018年 - 2024年)

7代 土居守(2024年 - )

国立天文台長は、4年間の任期制であり、再選により2年の延長が可能である。

前身の一つである東京天文台の歴代台長(在任期間)の一覧

初代 寺尾寿1888年 - 1919年

2代 平山信(1919年 - 1928年

3代 早乙女清房(1928年 - 1936年

4代 関口鯉吉(1936年 - 1939年、前職:中央気象台技師、後職:文部省専門学務局長)

台長事務取扱 福見尚文(1939年 - 1940年、東京天文台技師兼任)

5代 関口鯉吉(1940年 - 1946年、再任)

6代 萩原雄祐(1946年 - 1957年

7代 宮地政司(1957年 - 1963年

8代 広瀬秀雄(1963年 - 1968年

9代 古畑正秋(1968年 - 1973年

10代 大沢清輝(1973年 - 1977年

11代 末元善三郎(1977年 - 1981年

12代 古在由秀(1981年 - 1988年、国立天文台に改組)

沿革1880年、内務省地理局に導入されたトロートン&シムズ製天体望遠鏡。重要文化財国立科学博物館の展示[5]1921年に完成した緯度観測所旧本館(現:水沢VLBI観測所 奥州宇宙遊学館 )。登録有形文化財すばる望遠鏡を納める円筒形ドーム

1872年 - 海軍水路寮海洋情報部の前身)が東京府麻布区飯倉(現:東京都港区麻布台)に観象台を設置[6]

1872年 - 工部省測量司が葵町大和屋敷(現ホテル・オークラ用地)で気象観測及び天体観測を計画。

1874年12月9日 - 内務省地理寮(国土地理院の前身)量地課が御殿山にてトロートン&シムズ製望遠鏡で金星日面通過観測を行う。

1878年 - 東京大学理学部星学科観象台発足(現在の東京都文京区本郷)。

1888年 - 東京大学観象台、海軍省観象台、内務省地理局観測課天象部の三者が合併して、海軍省観象台の地に、東京天文台が置かれ帝国大学に属した。同時に、気象部門を中央気象台(現在の「気象庁」の前身)に分離。その後、内務省地理局の所掌事務であった天象観測及び暦書調製が文部大臣の管理となったことで、正式に東京天文台に移管される[7][8][9]

1894年 - 明治東京地震で非常な被害を被った建物があったが、日清戦争が始まる時期で、改築も覚束ない状況で仮修理を行う[10][11]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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