国立天文台
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1878年 - 東京大学理学部星学科観象台発足(現在の東京都文京区本郷)。

1888年 - 東京大学観象台、海軍省観象台、内務省地理局観測課天象部の三者が合併して、海軍省観象台の地に、東京天文台が置かれ帝国大学に属した。同時に、気象部門を中央気象台(現在の「気象庁」の前身)に分離。その後、内務省地理局の所掌事務であった天象観測及び暦書調製が文部大臣の管理となったことで、正式に東京天文台に移管される[7][8][9]

1894年 - 明治東京地震で非常な被害を被った建物があったが、日清戦争が始まる時期で、改築も覚束ない状況で仮修理を行う[10][11]

1899年 - 岩手県胆沢郡水沢町(現在の奥州市水沢)に臨時緯度観測所発足。

1909年 - 東京天文台の拡張のため、周辺の市街化が進み手狭な東京府東京市麻布区の敷地からの移転改築を迫られ、東京府北多摩郡三鷹村の土地を購入する[11][12]

1914年 - 三鷹で建設工事を開始する[13]

1920年 - 臨時緯度観測所が緯度観測所となる。

1922年 - 緯度観測所が万国緯度観測事業 (ILS) の中央局となる(1936年まで)[14]

1923年 - 関東大震災によって子午環が破壊される。

1924年 - 震災に伴う被害のため予定より遅れて、東京天文台を東京府東京市麻布区から東京府北多摩郡三鷹村(現:東京都三鷹市)の現在地に移転する[15][16]

1925年 - 理科年表刊行開始[17]

1943年 - 戦中統制経済によって、紙やその他物資が不足し、理科年表の編纂を中止。

1945年2月 - 火災により一部の資料を焼失。

1946年 - 理科年表の編纂を再開。射場保昭が私設天文台を廃止するのに合わせ機材や星図などを寄贈される。

1949年 - 名古屋大学空電研究所発足。

1960年10月19日 - 岡山天体物理観測所が開所[18]

1962年11月1日 - 埼玉県堂平山に堂平観測所設置。

1988年 - 東京大学東京天文台・緯度観測所・名古屋大学空電研究所第三部門を改組統合、大学共同利用機関「国立天文台」発足。

1997年 - ハワイ島ヒロ市に、日本初の海外研究施設であるハワイ観測所開設。

1999年 - 口径8.2メートル反射式天体望遠鏡「愛称:すばる望遠鏡」のファーストライト

2000年 - 堂平観測所閉鎖。同観測所を都幾川村に移管。村はのちに町制施行され「ときがわ町星と緑の創造センター」となる。

2002年 - チリアタカマ砂漠に、海外天体観測施設であるASTE望遠鏡設置。

2004年 - 行政改革に伴う統合計画によって、大学共同利用機関法人 自然科学研究機構 「国立天文台」発足。

2005年 - 沖縄県石垣市に一般公開型天体観測施設である石垣島天文台開設。

2010年 - 乗鞍コロナ観測所閉鎖。

2011年 - アタカマ大型ミリ波サブミリ波干渉計(アルマ望遠鏡)が科学観測を開始。

2018年 - 岡山天体物理観測所を廃止。ハワイ観測所岡山分室に改組。

2019年 - 重力波望遠鏡KAGRAが完成[19]

活動
概説アルマ望遠鏡

国立天文台は日本の天文学研究における代表的な研究機関として、天文学および天体物理学に関連する分野の研究教育活動をほぼ網羅する。また大学共同利用機関として、大規模な観測装置の開発と運用を行い、国内外の研究者からの提案に基づく「共同利用」を実施している。


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