また「Arbeiterpartei」の部分について「労働者党」ではなく「労働党」と訳す例もある[48]。
教育史学者の小峰総一郎によると、「?nationalsozialistisch“?の訳語として『民族社会主義の』『国家社会主義の』も誤りではないが、近年では『国民社会主義党(ナチ党)の』『ナチズムの』『ナチスの』のように、ヒトラーの『ナチ党』(=『国民社会主義ドイツ労働者党』 Nationalsozialistische Deutsche Arbeiter Partei <NSDAP>)を表す簡明な表現が一般的となっている。」と形容詞表現の用法について述べた[49]。
なお中国語では「民族社會主義コ意志工人黨」[注釈 3]や「國家社會主義コ意志工人黨」[注釈 4]や「國家社會主義コ國工人黨」[注釈 5]など。略称は「納粹黨」[注釈 6]。最初「Nazi」は上海語の発音に基づいて「南尖」([no t?i])と訳していたが、後に当時駐在ドイツ武官を務めていた国民革命軍少将の?悌が「納粹」と訳した。「納粹」([n?̂ ts?wê?])は「Nazi」([?na?tsi])という音を表すとともに、「精粋を納める」という意味を表す。肯定的な意味を持つ「納粹」という単語は「Nazi」を訳すときに使われていたが、現在では「納粹」が固有名詞として使われるようになり、肯定的な意味を持っていない。[要検証 – ノート] ナチス・ドイツ時代のメディアなどを研究する佐藤卓己は、「国民社会主義」と訳すべきと主張する[44]。佐藤は、「National」を「国家-」とするのは誤訳であり[44]、現代ドイツ史の専門家でこのように訳す者はいないと主張する[50]。佐藤はさらに、「国家- 」と誤訳され続ける背景には「国家の責任のみ追及して国民の責任を問おうとしない心性」があると主張する[44]。 ドイツ近現代史専門の石田勇治によると「National」は「国家(Staat)ではなく、国民あるいは民族という意味で用いられている」という[51]。石田は、「ナチズムは国家ではなく、国民・民族を優先する思想」であり、党名を「国家- 」と訳すとそのナチズムの本質を見誤ってしまうため、日本語訳は「国民- 」とすべきと主張する[51]。石田によれば、国民社会主義における「国民主義」とは「民族を軸に国民を統合する」という考え方であり、「社会主義」とは「マルクス主義・階級意識を克服して国民を束ねる共同体主義」を意味した[52]。両者についてヒトラーは、しばしば「同一である」と主張していたという[52]。 田野大輔は「ヒトラーは社会主義者だ」とする主張に反論するうえで、党名の訳語についても触れ、「『国家(Staat)』と『国民(Nation)』の混同を避ける目的から、近年では『国民社会主義』という訳語が一般的になっている」としている[53]。 小野寺拓也 田村栄一郎は「国家を民族の生存のための単なる手段とみなしている点では、これを『民族』社会主義として差支えなかろう。しかしこの場合も、ある人はこれを『国家』社会主義、他の人はこれを『国民』社会主義と訳している―大きな困難を伴うことが予想される。」と述べた[55]。 伊集院立
「国家社会主義」は誤訳か否か
「国民社会主義ドイツ労働者党」とする主張とその理由
「民族社会主義ドイツ労働者党」とする主張とその理由
山本秀行は「教科書などでは『国民』の訳が定着しているが、1935年以降については『民族』とした方が、ぴったりくるようにも思われる。」と述べた[57]。
経済学者の瀬戸岡紘は、「ファシズムにとって『階級』ならぬ『民族』を意識させ『民族』意識をテコとすることは決定的に重要だった」との理由から、「国家- 」ではなく「民族- 」の訳語を用いている[58]。
マルクス経済学研究者の岩田弘は、ナチスの民族主義や優生思想に即している「民族社会主義[59]」の訳語が適切と主張している[60]。
飯島滋明は「民族社会主義ドイツ労働者党」と訳し、「ヒトラー・ナチスが目指したのは優秀かつ健康な『アーリア人』による国づくりである。ユダヤ人などが含まれた『国民』『国家』を目指すものではない。そうである以上、『国家社会主義ドイツ労働者党』『国民社会主義ドイツ労働者党』と訳すのはナチスの意図をあいまいにし、適切でないように思われる。」と述べた[61]。
山本孝二・大木毅はリチャード・J・エヴァンズ(英語版)の『第三帝国の歴史』において「『ナチズム』の原語であるNationalsozialismusは『国民社会主義』、『民族社会主義』など、様々に訳し得る。体制期に展開された、いわゆるゲルマン系の他国民に対する政策などに鑑み、『民族社会主義』もしくは『ナチズム』とした。」と記し[62]、大木は『戦車将軍グデーリアン』において「民族社会主義ドイツ労働者党 (NSDAP) 」と訳した[63]。
思想詳細は「ナチズム」を参照
党内ではヒトラーの指導を絶対のものとして受け入れるという点においては、あまり異論はなかったが、ナチ運動の内実は地域ごとの党組織や党職能組織、突撃隊、党有力者がその時々の状況に応じて勝手に活動していることが多く、統一された運動とは言い難い。農民に対する物を除けばまとまった政策綱領のようなものは存在しなかった。しかしそれが党の各組織を競合的に発展させ、運動にダイナミズムを与えていた[11]。
世界恐慌による社会不安や議会政治の混迷の原因をすべてヴェルサイユ条約、ヴァイマル共和政、ユダヤ人、ボルシェヴィズムに帰せ、強力な指導者が導く「民族共同体」を樹立することが必要であるとする単純なスローガンや運動が持つ若々しさは恐慌に喘ぐ国民に現状突破のシンボルとして広く訴えかけるものがあった[11]。