派生用語として生まれた「ネオナチ」は、ナチズムとは別に極右民族主義や反共産主義などの極右思想の組織、また個人等を包括的に表す言葉として国際的に使用される。人種を問わず多岐に存在し、これら政治組織、軍事組織/準軍事組織、テロ組織等は、アメリカ合衆国国務省、連邦捜査局(FBI)、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)、日本の公安調査庁等が警告している[24][25][26][27][28][29][30][31][32]。「ネオナチ#「極右過激思想」の「ネオナチ」」および「ネオナチ#該当組織」も参照
ヒトラーは党名について「民族的 national」とは「民族全体に対する無限のあらゆるものを包む愛情、必要とあればそのために命をも投げ出すこと」、「社会主義的 sozialistische」 とは「民族同胞のための労働という倫理的義務」、「労働者 Arbeiter」とは「体を使って働かない人」に対して「体を使って働く人」、「労働を軽視するユダヤ人に対して労働を恥じないゲルマン人」を意味すると説明した[33]。一般にナチス、ナチ党、ナチス党などと呼ばれる(詳細は#名称を参照)。
日本では、国家社会主義ドイツ労働者党[34]、国民社会主義ドイツ労働者党、民族社会主義ドイツ労働者党というように少なくとも3つの訳が通用しており、それぞれ少しずつニュアンスが異なってくる[35]。また、国粋社会主義ドイツ労働者党などとも訳される(詳細は訳語参照)。
1919年1月に前身のドイツ労働者党(DAP)が設立され、1920年に改称した。1921年に第一議長に就任したアドルフ・ヒトラーは、党内でフューラー(独:Fuhrer、指導者、総統)と呼ばれるようになり、指導者原理に基づくカリスマ的支配を確立していった。
結党以来長らく野党であったが、1929年の世界恐慌以降国民の社会不安を背景に支持を拡大し、1932年7月の国会選挙で国会の第一党となった。
1933年1月30日にヒトラーが首相に任命されたことで政権与党となり(ナチ党の権力掌握、ナチス・ドイツ成立)、一党独裁体制を敷いたが、1945年の第二次世界大戦の敗戦(欧州戦線における終戦 (第二次世界大戦)#ドイツの降伏)で事実上消滅し、被占領中に連合国によって禁止(非合法化)された(連合軍軍政期 (ドイツ):非ナチ化)。 前身の党は「ドイツ労働者党」(ドイツ語: Deutsche Arbeiterpartei)であったが、1920年党の実力者となったヒトラーが改名を主張し、ルドルフ・ユング 「ナチ(Nazi、ナーツィ)」という略称は「Nationalsozialist」を短く縮めたものであり、「Sozialist」(対立党派であるドイツ社会民主党員および社会主義者)の略語である「ゾチ(Sozi、ゾーツィ)」との類推で造られた[37][38]。「ナチス(Nazis、ナーツィス)」は複数形である。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}元来はヴァイマル共和政時代に対立する党派がナチ党員および国民社会主義者に蔑称として付けたものである。[要出典]したがって、映画などの創作で、ナチ党員が自らを「ナチ」や「ナチス」と呼ぶのは本来は誤りであり、[要出典]実際には党名の略称である「NSDAP(エンエスデーアーペー)」、「NS(エンエス)」、或いは単に「Partei(パルタイ)」と呼び、党員同士は「党同志」を意味する「Parteigenosse(パルタイゲノッセ)」、もしくはその略語「PG(ペーゲー)」、「同志」を意味する「Kamerad(カメラート)」などと呼び合った。[要出典] しかし、ナチスという呼称はドイツ国外でも戦前から広まっており、党の通称として反対・賛成する勢力を問わず広く用いられた[36]。日本でもナチおよびナチスの呼称が当時から使用されている[注釈 1]。現在は他の非ドイツ語圏でもナチス・ドイツなどの呼称が広く使用されており、ドイツ語にも同様の「Nazi-Deutschland」などの用語もあるが、分断時代の西ドイツにおいても「NSDAP」などの呼び方が一般的であり、ナチスの名称はほとんど用いられなかった[36]。また上述のNSを接頭語にして、例えばドイツ歴史博物館
名称
正式名称
略称
訳語「ナチズム#呼称」および「国家社会主義」も参照
邦訳は、「Nationalsozialismus」の「National」の解釈の違いにより「国民社会主義ドイツ労働者党[41][注釈 2]」のほか、「国家社会主義[42]」、「国粋社会主義[43]」なども使用される。