国民国家
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注釈^ ドイツをはじめとして、オーストリア、スイス、オランダ、ベルギーなど、中央ヨーロッパには現在、連邦制の国家形態を採用する国家が多いが、これは、歴史的にみれば神聖ローマ帝国の遺産といえる。坂井(2003)p.227
^ ドイツの国民経済確立においては、1834年に発足したドイツ関税同盟の果たした役割が大きい。また、マシュー・ペリー来航後の幕末期の日本で攘夷運動が起こり、それが倒幕運動へ転換していったことは、江戸時代の日本では東廻海運西廻海運など国内航路の整備によって、遠隔地商業がさかんとなり、各地域がたがいに経済的に深くむすびついて国民経済の様相を示していたからであるという指摘がある。岡崎・佐藤(2000)
^ ビスマルクは、ドイツ人である以前にプロイセン人であったため、北ドイツ連邦の盟主となったプロイセンが南ドイツを支配することによってかえって統一ドイツのなかに埋没してしまうことを何よりも怖れていた。ハフナー(2006)p.65
^ 第一次大戦でオーストリア=ハンガリー帝国が崩壊すると、旧帝国のドイツ的部分は新オーストリアとなり、「ドイツ人の国民国家」が2つ並立することになった。また、ボヘミアモラヴィアシレジアでドイツ人が多数を占める地域(ズデーテン地方)はチェコスロバキアに編入され、ドイツ系住民が新オーストリアないしドイツへの編入運動を行っていた。
^ これらはいずれも1938年に実現し、オーストリアとズデーテンはドイツ領となった。
^ ワルター・ラカーは、戦後のドイツ人はユダヤ人の大量虐殺については多少なりとも良心の呵責を感じ、償いに応じようという気があったとしても、ロシアやポーランド、チェコスロバキアに対しては罪悪感はなく、むしろ被害感情があったと証言している。これら東欧諸国は、大戦にあっては敵国だったのであり、かれら(スラブ人)は何百万人ものドイツ人を故郷から追放し、略奪し、ときには生命まで奪って十分すぎるくらい報復したではないかというのが、戦後ドイツの論理だったのである。永井(1992)p.27
^ 「7つの国境」はイタリア、オーストリア、ハンガリールーマニアブルガリアギリシアアルバニア。「6つの共和国」はスロベニア、クロアチア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナモンテネグロマケドニア。「5つの民族」はスロベニア人、クロアチア人、セルビア人、モンテネグロ人マケドニア人。「4つの言語」はスロベニア語セルビア語クロアチア語マケドニア語。「3つの宗教」は正教カトリックイスラム教。「2つの文字」はラテン文字キリル文字。「1つの国家」はユーゴスラビア連邦。

出典

この節で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。ご存知の方は加筆をお願いします。(2022年5月)
^ a b c d e f g h i j 清水(2004)
^ 田中宇「覇権の起源」
^ 宮台・宮崎(2003)
^ 宮崎(1998)
^ a b c d e 坂井(2003)
^ a b ハフナー(2006)

参考文献

永井清彦『国境をこえるドイツ』講談社講談社現代新書〉、1992年7月。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 4-06-149107-5。 

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坂井榮八郎「第10章 分割ドイツから統一ドイツへ」『ドイツ史10講』岩波書店〈岩波新書〉、2003年2月。ISBN 4-00-430826-7。 

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姜尚中・宮台真司 『挑発する知――国家、思想、そして知識を考える』双風舎、2003年11月。ISBN 978-4-902465-00-6

清水知子 著「国民国家」、小学館 編『日本大百科全書』小学館〈スーパーニッポニカProfessional Win版〉、2004年2月。ISBN 4099067459。 

セバスチャン・ハフナー「ビスマルクのドイツ帝国建設」『ドイツ現代史の正しい見方』草思社、2006年4月。ISBN 4-7942-1489-8。 

関連項目

単一民族国家

ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体

アルフォンス・ドーデの『最後の授業


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