国民の力
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この結果、未来統合党は比例代表に特化した未来韓国党と合わせても改憲阻止ラインである100議席をかろうじて上回る103議席の確保に留まり、前回の総選挙で旧セヌリ党が得た122議席からも後退する結果となった[12][13][14]。選挙結果を受けて、黄教安は選挙当日夜に代表を辞任することを表明した[15]

選挙後の分析では、統合党の支持が60代以上の高齢者層に偏っており、都市の住民や若年層からは既得権益に固執する「シルバー政党」と見られている事、また候補者がセウォル号遺族に対する暴言を吐いたり直接行動で国会の審議を妨害したりする等不適切な行為の繰り返しで「反動に傾く政党」と有権者から見なされ、中道右派無党派の支持を失った事などが指摘された[16][17][14]。右派系の朝鮮日報は選挙結果について「文在寅政権もよくやったとは言えないが、未来統合党はダメだ」との声があったとし[16]中央日報も未来統合党について「党名は変えても心がけと行動は一つも変わっていなかった」と批判的に評価した[18]
党名変更と党立て直しの取り組み

総選挙後の2020年5月8日、未来統合党は当選者総会を開いて21代国会を率いる新たな院内代表に大邱選出で当選5回の朱豪英を、政策委員会議長に忠州選出で当選3回の李鍾培をそれぞれ選出し、新たな党指導部の体制が確立するまで朱豪英が党代表権限代行も兼務する事とした。[19]。また、5月14日には未来韓国党と早期に合併することで基本合意し[注 3][20]5月26日の合同総会で未来統合党への未来韓国党合併を正式に決定した後[21]5月29日に未来韓国党を吸収合併した。

同年5月22日、未来統合党は当選者総会で2021年4月7日までを任期とする非常対策委員長に金鍾仁を選出、金鍾仁は政策や党名の改正等の大幅な刷新を目指すとした[22]。この方針に基づき、未来統合党は同年8月13日から21日にかけて、国民を対象に新しい党名の公募を実施。9月2日に党名を「国民の力」に改名することを決定し、後に中央選挙管理委員会から新党名を承認された[23][24]

2021年4月7日次期大統領選挙の前哨戦と位置づけられるソウル市長補欠選挙釜山市長補欠選挙が同時に実施され、いずれも国民の力が勝利した[25]。次いで6月11日の党大会では、36歳で国政未経験の李俊錫を党代表に選出。韓国の主要政党では憲政史上初の30代党首だったこともあり、党の刷新を印象づけた[26]。更に、有力な次期大統領候補者と目される崔在亨尹錫悦が同年7月に相次いで入党し[27]、大統領選挙における「反文在寅」陣営の中心勢力となった。だが一方で、6月下旬[28]から始まった国民の党との合流交渉は両党の神経戦となり[29]、同年7月27日に実務交渉団が交渉の終了を宣言する事態となった[30]。これを受け、李俊錫は国民の党代表の安哲秀に決断を促したが[31]、安哲秀は8月16日に協議決裂を正式に宣言したため、第三勢力の取り込みには失敗した[28]
第20代大統領選挙での辛勝詳細は「2022年大韓民国大統領選挙」を参照

国民の力は2021年9月15日から党内選挙によって第20代大統領選挙の候補者を選別し始め[32]、同年11月5日尹錫悦を公認候補として選出した[33]。これ以降、与党・共に民主党の公認候補である李在明との選挙戦が展開されたが、論点が「政策」ではなく家族を巡るスキャンダルの攻防レベルに留まった[34]事から、選挙50日前の2022年1月18日時点ですら支持率1位が定まらない混戦模様が続いた[35]

2022年2月13日14日にかけて第20代大統領選挙の候補者登録手続きが行われ、国民の力を始めとする各党が登録を行った。その際に国民の党の公認候補者である安哲秀が尹錫悦に対し野党候補一本化を提案し[36]、一度は提案が撤回されたものの[37]、同年3月3日に安哲秀の出馬辞退と尹錫悦支持が発表された[38]


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