王室歌としてではなく、一国の国歌として初めて公式に規定されたのはフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」で、フランス革命後の国民公会(1795年)において、第一共和政下のフランスの国歌に定められた。19世紀以降、これに範をとる形で国歌を制定する国は徐々に増えていった。これはヨーロッパやラテンアメリカにおける国民国家の発生と軌を同じくするものであり、国王本人や王室ではなく、国家そのもの(および国民統合)の象徴を決定する必要に迫られたためであった。ただし1920年代までに制定された国歌は、新国家の独立や新政府の樹立に伴うか、またはそれらに引き続いて定められたものが多い。この例としてはアルゼンチン(1813年)、ペルー(1821年)、ベルギー(1830年)、ブラジル(1831年)、イタリア王国(1831年)、リベリア(1847年)、ギリシャ王国(1865年)、大日本帝国(1888年)、フィリピン(第一共和国、1898年)、ポルトガル(第一共和政、1911年)、トルコ(1921年)、ドイツ(ヴァイマル共和政、1922年)、アイルランド共和国(1926年)などがある。この例外はロシア帝国(1833年)、清(1911年)など比較的少数にとどまる。またこの時期に制定された国歌では、君主国においてはイギリス国歌に、共和国や革命政府においてはフランス国歌に、歌詞の内容のみならず曲調においても少なくない影響を受けたものが多い。
1920年版のオリンピック憲章により、オリンピック大会における金メダル受賞者に対しての国歌の演奏が規定された。これ以降、国際スポーツ大会において国歌が演奏される機会が増加していくこととなり、それまで国歌を持たなかった国々が国歌を制定する大きな動機づけとなった。1931年には、1776年の独立以来公式な国歌を持たなかったアメリカが「星条旗」を国歌として初めて法的に制定した。これに続いてメキシコ(1943年)、スイス(1961年)などの国が国歌の採用もしくは法制化を行なっている。第二次世界大戦期以降、とりわけ1960年代の植民地解体期以降に独立した国においては、独立と同時に国歌を制定することが一般的となった。 国歌の法的な位置付けは国によって大きく異なる。憲法において規定されている国(フランス、中国など)、法律で規定されている国(アメリカ、日本、ロシア、カナダなど)、大統領令や政令で規定されている国(韓国など)、慣習的に国歌とされているものの、何らの法的な裏付けが存在しない国(イギリス、ドイツ、スウェーデンなど)がある。 9割以上の国が長調の曲を採用している。その中でももっとも一般的なのはヘ長調であり、変ロ長調、ハ長調がこれに次ぐ。比較的珍しいのは嬰ハ長調、変ニ長調、ニ短調などである。使われている調別に国を色分けした地図 国歌のスタイルは行進曲形式、賛美歌形式のほか、アジアやアフリカ諸国のものでは民族音楽形式のものも多い。ラテンアメリカ、旧ソ連、一部ヨーロッパ諸国の国歌は比較的長いものが多く、ウルグアイ国歌は通しで演奏すると(演奏速度により)4分半ないし6分かかる。ギリシャ国歌(キプロス国歌も同じ)は非公式ながら158番までの詞がつけられている。一方でアジア、アフリカ、オセアニアでは比較的短いものが多く、日本国歌、ウガンダ国歌、ケニア国歌、サウジアラビア国歌などの演奏時間はいずれも30秒程度である。 国歌の中には世界的に著名な人物によって作詞・作曲がなされたものがある。例として、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンによって作曲されたドイツ国歌、ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトによって作曲されたオーストリア国歌、アラム・ハチャトゥリアンの作曲によるアルメニア・ソビエト社会主義共和国の国歌、ノーベル文学賞受賞者であるラビンドラナート・タゴールにより作詞作曲されたインドの国歌、バングラデシュの国歌などが挙げられる。しかし国外では有名でない人物により作詞・作曲された国歌の方が圧倒的に多く、また近代以前に作られた歌の中には作詞・作曲者が不明なものも存在する。このような例としては、作詞・作曲者ともに不明なイギリス国歌、作曲者が不明なスペイン国歌やオランダ国歌、古今和歌集の詠み人知らずの和歌から歌詞を取った日本国歌「君が代」などがある。また特に20世紀以降に作詞・作曲されたものの中には、個人としての作詞作曲者をあえて明示せず、「合作」としているものも存在する(南スーダン国歌の詞曲、トルクメニスタン国歌の歌詞、文化大革命期の中国国歌の歌詞など)。 国歌の作詞作曲はその国の国民によってなされたものが多いが、例外も存在する。イギリスのジョン・スタフォード・スミスにより作曲された「天国のアナクレオンへ」のメロディを流用したアメリカ国歌、フィンランド人のフレドリック・パシウスによる作曲のエストニア国歌などが例としてある。作曲が外国人による場合でも作詞は自国民によるケースがほとんどだが、パラグアイ国歌はウルグアイ人のフランシスコ・アクーニャ・デ・フィゲロア(ウルグアイ国歌の作詞者でもある)の作詞、イタリア人のフランチェスコ・カッサーレの作曲によるものであり、作詞作曲の双方が外国人によってなされている点で特異である。
法的地位
様式
作詞作曲
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