国家
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単一国家においては中央政府が唯一の主権を保持しており、各地方自治体にいくらかの権限を与えることになる[39]。これに対し連邦国家では、構成国家はそれぞれ主権と領域と国民を有する独立国家であるが、国家同士の自由意志による契約にもとづいて主権の一部を互いに委譲または委託して連邦政府を組織する、という形式をとる[40]。したがって、形式上では、連邦構成国はその意志によって主権を取り戻して連邦を離脱する権利を留保していることになる。しかし、多くの連邦国家においては連邦政府が強大な権限を有するようになって連邦が形骸化し、構成国は実質的には離脱の自由を持たない、というのが実態である。かつてこうした緩やかな国家連合的な形態で発足したアメリカスイスにおいても、スイスでは1847年分離同盟戦争[41]、アメリカでは1861年から1865年にかけての南北戦争でそれぞれ中央集権派が勝利して州の権利が制限され、単一の国家へと移行していった。

ただし、連邦国家において州の権利は一般的に強く、また政治的にもすでにまとまった政治単位として存在しているため、中央政府の統制がなんらかの理由で弱まった場合は実際に州が連邦から離脱することもあり得る[42]1991年にはソビエト連邦を構成する12の連邦構成共和国が連邦からの離脱を表明し、構成国の存在しなくなったソビエト連邦は崩壊することとなった。また、同じく1991年にはユーゴスラビア構成国のうちスロベニアクロアチアが連邦離脱を表明し、ほかの構成国も追随したものの、セルビアを中心とするユーゴスラビア政府はこれを認めず、長期にわたるユーゴスラビア紛争が勃発した[42]
国家の起源

国家の起源には諸説あり、定説はないと言っていい。それは特に現代において、国家の形が多様であり、ひとつのモデルで説明しきれないことを表している。しかし、国家を静態的ではなく、動態的に捉えることは非常に重要である。動態的な国家起源のモデルを設定してそれを理念型とすることで、多様な国家の成り立ちをよりよく理解することができるようになるからである。

国家起源の動態モデルの例としてカール・ドイッチュの説がある。

ドイッチュは国家の起源を社会的コミュニケーションの連続性から説明する。彼によれば、国民 (nation) とは次の2種類のコミュニケーションの積み重ねの産物である。すなわち、第1に、財貨資本労働の移動に関するものである。第2に、情報に関するものである。西欧における資本主義の発展に伴って、交通や出版、通信の技術も発達し、これら2種類のコミュニケーションが進展し徐々に密度を増すと、財貨・資本・労働の結びつきが周辺と比較して強い地域が出現する。ドイッチュはこれを経済社会 (society) と呼ぶ。また同時に、言語と文化(行動様式・思考様式の総体)における共通圏が成立するようになる。ドイッチュはこれを文化情報共同体 (community) と呼ぶ。

言語や文化など多くの共通点を持つ人間集団は「国民」(nation)と呼ばれ、この集団が実際に政府を樹立し成立するのが「国民国家」nation-stateである[43]

しかし、現代における国家は必ずしもこうした理念型に合致するものではない。まともなコミュニケーションの進展も存在せず、それ故に「国民」(nation) と呼べる実体が全く不在の場所に国家 (state) だけが存在するという場合もあれば、ひとつの国家 (state) の中に異なる政府の樹立を求める民族 (nation) が複数存在する場合もある。前者の典型的な例はアフリカであり、アフリカ分割時に各宗主国によって恣意的にひかれた国境線を踏襲したまま独立したため、国境線と民族分布とは多くの場合一致していなかった。独立後に各国政府は国民の形成を急いだが、国内に存在する各民族のナショナリズムを「トライバリズム」(部族主義)と呼んで非難し抑圧する一方で、指導者が自らの属する民族を重用し政府内を自民族で固めるといったことをしばしば行った。このため国民の形成はほとんどの国家において掛け声倒れに終わってしまい、逆に民族間の激しい抗争が繰り返されるようになった[44]。後者の例としては、第一次世界大戦後の東ヨーロッパが挙げられる。東欧に林立した新独立国は国民国家として構想され、どの国においても主要民族が人口の大半を占めていたものの、いずれの国家も国内に少なくない数の非主要民族を抱えており、国民統合を進めるため強硬な同化政策や排除を進める国家側と、それに抵抗する少数派とが激しく対立した。またこれらの少数派民族の中には、旧帝国時代には支配層だったドイツ人マジャール人などが含まれており、彼らは国土の縮小した自民族の国家と連携して戦後秩序の改正を求めるようになり、第二次世界大戦に少なからぬ影響を与えた[45]。第二次世界大戦後のヨーロッパにおいては、これまでの国民国家 (nation-state) を包括するような大きな主体の出現が議論されている。それに対して、さらに細分化された民族 (people) が自らの政府の樹立を望んで国民 (nation) となろうとしているようにも見える地域も無数に存在している。こうしたことはEUの発展するヨーロッパにおいても見られる。

静態的な国家論だけでは国家を捉え切ることは非常に困難であると考えられる。
国家の崩壊

国家はいかなる場合でも領域内において十全に統治権を行使できるというわけではなく、行政能力の不足などの様々な事情によって統治が行き届かない場合もある。このような国家は治安維持能力や行政サービス能力が低いため、国民に十分な治安や医療などを提供できない。こうした国家は「失敗国家」と呼ばれ、ひどい場合は暴力の独占を保つことができず、国土の各所に軍閥が割拠して内戦が勃発する。さらにこれが進行すると1991年以降のソマリアのように中央政府そのものが事実上崩壊し、無政府状態となる例も存在する[46]。こうした失敗国家では、たとえば2014年から数年間イラクシリアの一部に成立したイスラーム国のようにテロ組織が領域支配を行ったり、またソマリアにおいてソマリア沖の海賊の跳梁が起きたように[47]、非合法武力組織の浸透を許し周辺の治安悪化の大きな原因となることがある[48]
脚注[脚注の使い方]
注釈^ どの論者がヘーゲルの指摘を挙げたか出典を示さなければいけない。あるいはヘーゲルのどの本のどの章なのか示さなければならない。

出典^ a b ブリタニカ国際大百科事典、小項目辞典【国家】


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