国家
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また、2008年にセルビアから独立を一方的に宣言したコソボについては国家承認をめぐって国際世論が真っ二つに割れ、2020年9月時点では日本を含む100カ国が国家承認を行っている一方[31]、セルビアやロシア、中国など残りの約90カ国はこれを認めていない[32]。こうした国家は未承認国家と呼ばれ、旧ソヴィエト連邦地域に多いものの、世界中に点在している[33]
現代的な基準外の国家

要件を満たさない支配機構や政治共同体も存在しうる。国家は近代の歴史的産物(近代国家も参照)であり、それ以前には存在しなかった。例えば前近代社会において、しばしば多くの国家が多様な自治的組織を持つ多種多様な人間集団、すなわち社団の複合体として成立し、中央政府機構はこれら社団に特権を付与することで階層秩序を維持していた。こうした国家体制を社団国家と称し、日本幕藩体制フランスアンシャン・レジームが典型例として挙げられる。例えば、幕藩体制において公家の団体である朝廷とその首長の天皇幕府の首長に征夷大将軍の官位を与えることで権威を保証し、幕府は大名旗本の領国経営組織という武士の団体に主従制に基づく特権を付与して臣従と忠誠を求め、幕府や大名領国のような領主権力は百姓の団体である惣村町人の団体である(ちょう)に身分特権と自治権を付与することで民政を行っていた。そこには如何なる排他的な主権者も見出すことはできない。

こうした社団国家においては個々の社団が中央政府機構からの離脱や復帰を行う現象が見られ、また江戸時代琉球王国が日本と中華帝国もしくは)に両属の態度をとっていたように国民の固定化は不完全であった。当然、社団の離脱、復帰に伴い領域も変動しえた。

さらに権力に関しても、幕藩体制における各が独自の軍事機構を持ち、幕府の藩内内政への干渉権が大幅に制限されていたように、決して主権的ではなかった。

現代社会において近代国家の表看板を掲げていても、2021年にターリバーンが実効支配する前のアフガニスタンのように内部の実情は複数の自立的共同体が必ずしも国家機構の主権下に服さずに国家体制の構成要素となっている国家は存続している。今日の国際関係は、近代的主権国家間の関係を前提として成立しており、こうした国家の存在は様々な紛争の火種を内包している。さらに、この問題は同時に、近代的主権国家の歴史的な特殊性の問題点を投げかけているともいえる。
社会学的な定義

社会学における国家の定義は法学や政治学とは異なり、国家の権力の中身ではなく、あくまでその形式のほうに向けられている。社会学的な国家(ここでは近代国家)の定義でもっとも代表的なものがマックス・ウェーバーによるものである。ウェーバーは2つの側面から国家を理解していた。1つ目は、警察や軍隊などの暴力手段を合法的に独占していること[34]、そして2つ目は、官僚や議員など統治組織の維持そのものを職業として生計を立てる専門家によって構成されている政治的共同体であるということである。この定義を詳しく見ると、以下のようにまとめることができる。

(1)中世のヨーロッパでは、国家は軍事組織をほとんど独占しておらず、戦争は貴族の私兵や傭兵隊などによって賄われるのが通例であり、国家が直接的に訓練・組織化に関わることは少なかった。しかし、17世紀以降の絶対王政と国家間戦争の激化により、王国に排他的な忠誠を誓う「常備軍」を整備しはじめ、次第に底辺の家族や村落の中にまで徴税や徴兵の権力が介入していくようになる。それに伴って、国家に動員される民衆の間には自ずと政治意識や権利意識も生じ始め、国家の利益を直接的に代表するのは世襲身分による王家や貴族ではなく、われわれ平等な「国民」であるという理解が次第に形成され、これが18世紀末以降に革命を帰結させていくことになる。「国民」意識が教育制度などを通じて浸透するようになると、もはや国家が直接的な強制力を行使して兵士を徴収する徴兵制よりも、第二次大戦以降には「国民」の中から志願兵を募るという方向へと転換し、軍隊はより一層「専門化」していくことになる。

(2)中世以前の国家は、国王と臣下、領主、都市国家、地域共同体といった様々な中間集団との重層的な関係の中にあり、国家は家族・親族の領域と未分化の状態であった。しかし、戦争の規模の拡大と市場経済化および産業化の波は、国家と個人の直接的な関係と社会の均質的画一化を推し進めるものであり、これらに対応するためには、国家を統一的に運営するためのルール(法律)と、専門的な職業家(官僚・議員)を必要とするようになった。こうして、国家が統治組織として専門分化することにより、統治される対象としての「社会(市民社会)」が自律的な領域として分化していくことになる。

近年は、強力な官僚制と「物理的暴力の独占」を強調するというウェーバーの議論に対して、そもそも国家はそのように堅固な統一性をもった統治組織なのではなく、民意や社会の変動の前に不安定で不統一的なものであるという説明がなされることもある。現代社会を批評する議論の中には、国民国家が既に無意味になってしまったかのように語られることもあるが、社会学の国家論ではほとんど否定されている。
様々な国家論

国家というものの在り方をめぐっては、さまざまな国家論が立てられ、論争が行われてきた。

国家の起源や支配の正統性の根拠としては、いくつかの説が存在する。近代に入るとヨーロッパにおいて、君主の統治権は神から付与され、神以外の何者にも拘束されないとするという王権神授説が広まった。これに対し、各個人が社会契約を結んで所持する権利の一部を国家に委譲し、残余の権利の保障を受けるという社会契約説がトマス・ホッブズジョン・ロックジャン=ジャック・ルソーらによって唱えられ、近代民主主義国家成立の思想的基盤となった[35]

国家が社会にどこまで干渉するかをめぐっては、かつて19世紀においては制限選挙による社会上層のみの政治参加のもと、国家による社会への干渉を最小限にまで抑えた「自由主義国家論」が主流であり、防衛・安全保障および治安維持など最小限の役割のみを果たす小さな政府、いわゆる「夜警国家」が主流であった。これに対し、20世紀に入ると格差の拡大による貧困層の増大、およびそれによる社会主義・共産主義の勢力の増大に対抗するため、さらに選挙権が拡大され普通選挙が実施されることによって下層民にも政治参加の道が開かれたことから、「福祉国家論」による「福祉国家」など、国家が積極的に社会へと介入する大きな政府が主流となった[36]。ただしこの2つの考え方の対立はその後も続いており、どこまで国家の社会への介入を認めるかは各国の選挙においても主要な争点となり続けている。

また、権力の分立という観点においては、19世紀の小さな政府のもとでは立法を担う議会(国政議会)が優越する、いわゆる立法国家が主流であったが、20世紀に入ると大きな政府化による国家の機能の著しい増大とともに行政権が政策立案能力をも保持するようになり、いわゆる行政国家化が進んだ[37]


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