国家社会主義ドイツ労働者党
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

1924年2月10日5,402票7.4%6議席 (80議席)第6党[注釈 48]
1926年11月14日不出馬
1929年11月10日6,347票8.1%6議席 (80議席)第4党[注釈 49]
1932年11月13日27,689票33.1%27議席 (80議席)第2党[注釈 16]
1933年3月5日[注釈 24]38,217票42.8%22議席 (50議席)第1党
出典: ⇒Gonschior.de

メクレンブルク=シュトレーリッツ州議会

メクレンブルク=シュトレーリッツ州議会(ドイツ語版)におけるナチ党の党勢
選挙日得票得票率議席数 (総議席数)議席順位
1932年3月13日14,235票23.9%9議席 (35議席)第3党[注釈 50]
1933年3月5日[注釈 24]32,707票51.6%9議席 (16議席)第1党
出典: ⇒Gonschior.de

シャウムブルク=リッペ州議会

シャウムブルク=リッペ州議会(ドイツ語版)におけるナチ党の党勢
選挙日得票得票率議席数 (総議席数)議席順位
1928年4月29日1,690票6.8%1議席 (15議席)第3党[注釈 51]
1931年5月3日7,854票26.9%4議席 (15議席)第2党[注釈 16]
1933年3月5日[注釈 24]13,690票43.4%6議席 (12議席)第1党
出典: ⇒Gonschior.de

ザール地方議会

ザール地方議会(ドイツ語版)におけるナチ党の党勢
選挙日得票得票率議席数 (総議席数)議席順位
1932年3月13日24,455票6.7%2議席 (30議席)第4党[注釈 52]
出典: ⇒Gonschior.de

ダンツィヒ議会

ダンツィヒ議会(ドイツ語版)におけるナチ党の党勢
選挙日得票得票率議席数 (総議席数)議席順位
1927年11月13日(ドイツ語版)1,483票0.8%1議席 (120議席)第11党[注釈 53]
1930年11月16日(ドイツ語版)32,457票16.4%12議席 (72議席)第2党[注釈 16]
1933年5月28日(ドイツ語版)107,331票50.1%38議席 (72議席)第1党
1935年4月7日(ドイツ語版)139.423票59.3%43議席 (72議席)第1党
出典: ⇒Gonschior.de

類似政党「ファシズム#一覧」も参照

ドイツ本国だけでなく、国外にもナチズムに近い思想を持った政党が存在した。第二次世界大戦時、これらの政党はナチス・ドイツによる傀儡政権の支持政党としても活動したりした。オーストリア・ナチスとズデーテン・ドイツ人党は後にナチス党に合流している。
ヨーロッパ

オーストリア国民社会主義ドイツ労働者党(オーストリア・ナチ党)
(ドイツ語版) (英語版記事)

ドイツ国民社会主義労働者党(オーストリア、チェコスロバキア)

ズデーテン・ドイツ人党(チェコスロバキア)

矢十字党ハンガリー

国民社会主義ブロック (英語版記事)(スウェーデン

国民社会主義労働者党 (英語版記事)(スウェーデン)

デンマーク国民社会主義労働者党 (英語版記事)

国民連合 (ノルウェー)ノルウェー

国民社会主義同盟 (英語版記事)(イギリス

オランダ国民社会主義運動オランダ

国民社会主義オランダ労働者党(オランダ)

国民社会主義運動 (英語版記事)(ブルガリア

ギリシャ国民社会主義党ギリシャ

南北アメリカ

ドイツ系アメリカ人協会

新生ドイツ友の会(アメリカ合衆国

国家統一党(カナダ

チリ国民社会主義運動 (英語版記事)

アフリカ

牛車の番人
(アフリカーンス語版、英語版)(南アフリカ

灰シャツ隊(南アフリカ)

戦後
非ナチ化詳細は「非ナチ化」を参照

ドイツ国内では刑法第86条でナチズムプロパガンダ及びそれに類する行為が、民衆扇動罪で特定民族に対し憎悪を煽る行為が禁じられており、ドイツ社会主義帝国党など後継政党と見なされた党は即座に禁止されている。また、オーストリアハンガリーポーランドチェコフランスブラジル等でも同様にナチス関連のプロパガンダを禁じる法律が存在している。

日本では一時期「ドイツではナチス犯罪に時効はない」という報道が行われた事があったが、実際にはドイツ刑法はナチスとは関わりなく「謀殺罪(計画的殺人)」の時効が無いということである。その罪に該当しないナチス時代の犯罪は全て時効が成立している。また、ドイツのEU加盟後は同様の法律をEU圏内に広めることについての論議も行われている。

イスラエルホロコーストに関するナチス党戦犯を国家として訴追しており、現在でもナチ・ハンターによる戦犯捜索が続けられている。

ドイツ国内でも裁判は続いているが被告の高齢は顕著となっている。2021年にはシュトゥットホーフ強制収容所秘書を務めていた96歳の女性は、告訴されたが出廷を拒否[126]。また、ザクセンハウゼン強制収容所の看守を務めていた100歳の男性は、公判に出廷したものの証言を拒否した[127]
ネオナチ詳細は「ネオナチ」を参照

ナチス党が崩壊した後も、世界各地にはナチズムを受け継ぐと称した団体が多く存在している。また、ホロコースト否定など、ナチス・ドイツにおける犯罪を否定する動きも根強く残っている。

アメリカにおいては1953年海軍中佐ジョージ・リンカーン・ロックウェルアメリカ・ナチ党を結成した。これは1960年代にその党勢が最高潮に達し、多くの法的機関が党の危険性を警告したが、言論の自由を重視する世論によって、党の解散を免れその存在の継続が認められた。しかし、ロックウェルが暗殺されると「国民社会主義白人党」と改称し、その会員の大部分と財源の多くを失った。また分派としてアメリカ国民社会党などが存在した。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 一例として1933年(昭和8年)11月12日付で永井松三駐独大使が外務省に打電した電報には「ヒットラー及びナヂ」要人』と表記されているほか、11月18日の電報では「ナチ議員」という表記もある[39]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:377 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef