国家社会主義ドイツ労働者党
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1924年5月4日総選挙では急進右翼組織[20] (極右[8][9])、1930年9月の選挙戦以降、左翼以外の広範な支持を集める国民政党となり[21]ヴァイマル共和政末期には包括政党の色彩が強くなった[22]。その運動およびイデオロギー、思想原理、理念・支配形態一般をナチズムという[23]

派生用語として生まれた「ネオナチ」は、ナチズムとは別に極右民族主義反共産主義などの極右思想組織、また個人等を包括的に表す言葉として国際的に使用される。人種を問わず多岐に存在し、これら政治組織、軍事組織/準軍事組織テロ組織等は、アメリカ合衆国国務省連邦捜査局(FBI)、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)、日本の公安調査庁等が警告している[24][25][26][27][28][29][30][31][32]。「ネオナチ#「極右過激思想」の「ネオナチ」」および「ネオナチ#該当組織」も参照

ヒトラーは党名について「民族的 national」とは「民族全体に対する無限のあらゆるものを包む愛情、必要とあればそのために命をも投げ出すこと」、「社会主義的 sozialistische」 とは「民族同胞のための労働という倫理義務」、「労働者 Arbeiter」とは「体を使って働かない人」に対して「体を使って働く人」、「労働を軽視するユダヤ人に対して労働を恥じないゲルマン人」を意味すると説明した[33]。一般にナチス、ナチ党、ナチス党などと呼ばれる(詳細は#名称を参照)。

日本では、国家社会主義ドイツ労働者党[34]、国民社会主義ドイツ労働者党、民族社会主義ドイツ労働者党というように少なくとも3つの訳が通用しており、それぞれ少しずつニュアンスが異なってくる[35]。また、国粋社会主義ドイツ労働者党などとも訳される(詳細は訳語参照)。

1919年1月に前身のドイツ労働者党(DAP)が設立され、1920年に改称した。1921年に第一議長に就任したアドルフ・ヒトラーは、党内でフューラー(独:Fuhrer、指導者、総統)と呼ばれるようになり、指導者原理に基づくカリスマ的支配を確立していった。

結党以来長らく野党であったが、1929年世界恐慌以降国民の社会不安を背景に支持を拡大し、1932年7月の国会選挙国会の第一党となった。

1933年1月30日にヒトラーが首相に任命されたことで政権与党となり(ナチ党の権力掌握ナチス・ドイツ成立)、一党独裁体制を敷いたが、1945年第二次世界大戦の敗戦(欧州戦線における終戦 (第二次世界大戦)#ドイツの降伏)で事実上消滅し、被占領中に連合国によって禁止(非合法化)された(連合軍軍政期 (ドイツ)非ナチ化)。


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