国家社会主義ドイツ労働者党
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佐藤は、「National」を「国家-」とするのは誤訳であり[44]、現代ドイツ史の専門家でこのように訳す者はいないと主張する[50]。佐藤はさらに、「国家- 」と誤訳され続ける背景には「国家の責任のみ追及して国民の責任を問おうとしない心性」があると主張する[44]
「国民社会主義ドイツ労働者党」とする主張とその理由

ドイツ近現代史専門の石田勇治によると「National」は「国家(Staat)ではなく、国民あるいは民族という意味で用いられている」という[51]。石田は、「ナチズムは国家ではなく、国民・民族を優先する思想」であり、党名を「国家- 」と訳すとそのナチズムの本質を見誤ってしまうため、日本語訳は「国民- 」とすべきと主張する[51]。石田によれば、国民社会主義における「国民主義」とは「民族を軸に国民を統合する」という考え方であり、「社会主義」とは「マルクス主義・階級意識を克服して国民を束ねる共同体主義」を意味した[52]。両者についてヒトラーは、しばしば「同一である」と主張していたという[52]

田野大輔は「ヒトラーは社会主義者だ」とする主張に反論するうえで、党名の訳語についても触れ、「『国家(Staat)』と『国民(Nation)』の混同を避ける目的から、近年では『国民社会主義』という訳語が一般的になっている」としている[53]

小野寺拓也は、高校世界史教科書での具体的な採用状況を挙げたうえで(「国民社会主義ドイツ労働者党」(東京書籍帝国書院実教出版)、「国民(国家)社会主義」(山川出版社))、上記の2つの主張を踏まえて「国民社会主義」との訳語の方が適切である旨述べている[54]
「民族社会主義ドイツ労働者党」とする主張とその理由

田村栄一郎は「国家を民族の生存のための単なる手段とみなしている点では、これを『民族』社会主義として差支えなかろう。しかしこの場合も、ある人はこれを『国家』社会主義、他の人はこれを『国民』社会主義と訳している―大きな困難を伴うことが予想される。」と述べた[55]

伊集院立がエバーハルト・イェッケル(ドイツ語版)の『ヒトラー 全記録 1905-1924 (シュツットガルト、1980年)』に基づいて、ナチ党の名称はヒトラーの考えでは『国民社会主義ドイツ労働者党』ではなく『民族社会主義ドイツ労働者党』であったと主張した際、西川正雄との間に緊張が生じたといい、西川は「できれば国民社会主義にしてはどうだろうか」と述べたという[56]

山本秀行は「教科書などでは『国民』の訳が定着しているが、1935年以降については『民族』とした方が、ぴったりくるようにも思われる。」と述べた[57]

経済学者の瀬戸岡紘は、「ファシズムにとって『階級』ならぬ『民族』を意識させ『民族』意識をテコとすることは決定的に重要だった」との理由から、「国家- 」ではなく「民族- 」の訳語を用いている[58]

マルクス経済学研究者の岩田弘は、ナチスの民族主義優生思想に即している「民族社会主義[59]」の訳語が適切と主張している[60]

飯島滋明は「民族社会主義ドイツ労働者党」と訳し、「ヒトラー・ナチスが目指したのは優秀かつ健康な『アーリア人』による国づくりである。ユダヤ人などが含まれた『国民』『国家』を目指すものではない。そうである以上、『国家社会主義ドイツ労働者党』『国民社会主義ドイツ労働者党』と訳すのはナチスの意図をあいまいにし、適切でないように思われる。」と述べた[61]

山本孝二・大木毅はリチャード・J・エヴァンズ(英語版)の『第三帝国の歴史』において「『ナチズム』の原語であるNationalsozialismusは『国民社会主義』、『民族社会主義』など、様々に訳し得る。体制期に展開された、いわゆるゲルマン系の他国民に対する政策などに鑑み、『民族社会主義』もしくは『ナチズム』とした。」と記し[62]、大木は『戦車将軍グデーリアン』において「民族社会主義ドイツ労働者党 (NSDAP) 」と訳した[63]
思想詳細は「ナチズム」を参照

党内ではヒトラーの指導を絶対のものとして受け入れるという点においては、あまり異論はなかったが、ナチ運動の内実は地域ごとの党組織や党職能組織、突撃隊、党有力者がその時々の状況に応じて勝手に活動していることが多く、統一された運動とは言い難い。農民に対する物を除けばまとまった政策綱領のようなものは存在しなかった。しかしそれが党の各組織を競合的に発展させ、運動にダイナミズムを与えていた[11]

世界恐慌による社会不安や議会政治の混迷の原因をすべてヴェルサイユ条約ヴァイマル共和政ユダヤ人ボルシェヴィズムに帰せ、強力な指導者が導く「民族共同体」を樹立することが必要であるとする単純なスローガンや運動が持つ若々しさは恐慌に喘ぐ国民に現状突破のシンボルとして広く訴えかけるものがあった[11]。ナチ党はヴァイマル憲法体制を一括して全否定することによって自らを既存体制側政党と対決する基本的選択肢であることを示した。競合する他党を影響力を持つ社会的利害団体の傀儡に過ぎないと中傷して自らを唯一の国民運動と宣伝した[15]
反ユダヤ主義・反共主義

ヒトラーにとって反ユダヤ主義反共主義は一体である。ヒトラーはマルクス主義について「国際的な世界ユダヤ人が自由独立の国民国家の経済的基礎や国民的工業と国民的商業を破壊し、それとともに国家を超えた世界金融=ユダヤ主義のために自由な諸民族を奴隷化するのに利用する経済的武器」と断じている[64]

ナチ党内の多数派によって唱えられた党の目標として「労働者階級の国民化」という要求があった。これはナチ党は労働者大衆をマルクス主義的国際主義から解放して「ドイツ的社会主義」へ導く労働者党であるべきという主張であった。ヒトラーははっきりとこの立場を代表しており、「(労働者を)国民的に感じ、国民的であることを望む団結した価値ある要因として民族共同体に連れ戻すこと」がナチ党の活動の最も重要な目標の一つとしている[65]

与党となった後には、ドイツ社会民主党から没収したカール・マルクスの生家を党機関誌の印刷所として利用した。
民族共同体

ヒトラーは「ユダヤ人とマルクス主義者の国際連帯によるドイツ民族の分断(階級闘争)」に対抗するため民族共同体構想を提唱した。「公益を私益に優先させる」民族共同体によって国内を平等化あるいは協調的な形にまとめあげ、国民の諸階層が調和した社会を作る。それにより国内の階級闘争は止揚され、階級を超えた「国民」が創造される。そうすれば「国民」は国内の利害対立から解放されて一丸となって国民全体の利害追求(対外的な膨張)に向かうことができるという理念である[66]

ヒトラーは「都市の人間でも、田舎の人間でもなく、肉体労働者でも、ホワイトカラーでも、熟練工でも、農民でも、学生でも、ブルジョワでもなく、あるいは特定のイデオロギーの追従者でもなく、我々はみな民族の一員である」「今まで常に我々を分け隔ててきた職業や階級といった全ての理念を超えて単一に結合された国民が存在しないなら、そしてそれが存在するまでは民族共同体はあり得ない」「国家社会主義は、社会生活上好ましくない対立に橋を架け、平等化し、協調的な形に全体をまとめることを目標としている」と論じる[67]


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