国家元首
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アラビア半島所在の諸国(サウジアラビアアラブ首長国連邦を構成する7首長国オマーンカタールクウェート)のスルターンは、絶対君主制の君主の典型である。君主の下に行政の実務を担当する首相が置かれる場合もあるが、君主が首相を兼任していたり、君主の一族(皇太子など)が首相となっている場合も多く、こうした事例では事実上、首相の権限は君主大権の中に包括されている。

アラブ首長国連邦の国家元首は大統領である。これは国家の最高意志決定機関である連邦最高評議会(FSC)で互選されるため、形の上では君主ではない。しかし、連邦最高評議会は絶対君主制を採る7首長国の首長から構成されるとともに、実際には大統領はアブダビ首長、副大統領兼首相はドバイ首長が世襲により継ぐのが慣例化している。さらに、アブダビは連邦の最大国家であるとともに連邦の中心国家である[9] ため、アブダビ首長が兼ねる連邦の大統領は事実上、絶対君主制国家の君主に比肩する強大な権限を行使している。
立憲君主制国家の元首
君主の政治的権限が強い立憲君主制国家の元首

議院内閣制を採用する立憲君主国であり、行政を担当する首相が存在するが、国家元首である君主(国王)が国政の実権を握っている場合。

ヨルダン・ハシミテ王国国王などが、これに分類される。
君主が儀礼上の存在となっている立憲君主制国家の元首.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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議院内閣制を採用する立憲君主国であり、行政は議会に指名される首相に委ねられ、国家元首である君主(国王)は国政の実権を有さない場合。

イギリスオランダノルウェーデンマークスペインカンボジアタイなどの国王が、これに分類される。

憲法上、国家元首に期待される役割は、内閣の助言と承認に基づく首相を始めとする官吏の任免や、外国元首・大公使の接受といった儀礼的なものである。これらの国の中には、イギリスの国王のように法律上は強力な権限を与えられているケースもあるが、そうした権限は長年の不行使により形骸化しており、実際には行使されないのが通例である。上記のような理由から政治的発言の自制が求められる。

アンドラ公国では、成立の歴史的な経緯によって、フランスの大統領とウルヘル司教がアンドラの君主たる「共同公」となる。行政の実権は議会が指名する首相にあり、共同公の権限は儀礼的なものに限られる。さらに、共同公がアンドラに来訪することはほとんどなく、それぞれの代行者が来訪して、または駐在代理官が委任を受けて、その権限を行使する。

イギリス連邦(コモンウェルス)所属の国などの中には、イギリス国王(現在は国王チャールズ3世)を自国の国家元首として戴き、国王から任命された総督が元首権を代行するところがある。これらは、英連邦王国(イギリス連邦王国、コモンウェルス・レルム、イギリス自治領とも称される)と通称されている。アンティグア・バーブーダオーストラリアバハマバルバドスベリーズカナダグレナダジャマイカニュージーランドパプアニューギニアセントクリストファー・ネイビスセントルシアセントビンセント・グレナディーンソロモン諸島ツバル、がこれにあたる。また、それに準ずる事例として、イギリス連邦加盟国であるニュージーランドと自由連合を組むクック諸島ニウエもまた、イギリス国王を自国の国家元首としている。

ただし、チャールズ3世がイギリス連邦という単一の国家の君主なのではない。チャールズ3世がイギリス国王アンティグア・バーブーダ国王オーストラリア国王バハマ国王、……を兼位するという形式をとっている。

総督の人選については、現代では他の大権行使同様に、当該国の首相の助言どおりになされる。国王個人やイギリス政府の意向はほぼ問われず、通常は当該国国民が指名される。

形式上、総督は強力な大権を国王から預かるものの、実際にはもっぱら儀礼的な役割を担当し、大権行使については基本的に内閣の助言どおりに行うべきとする憲法的慣行が確立している。ただし、1975年のオーストラリアでは、政治的混乱をうけて総督が首相を罷免し、議会の解散を命じるという事件が起こり、憲法危機と呼ばれ問題化された。

君主および総督の保持する大権は憲法的法律や憲法的慣行によって強く制限されるが、わずかではあるが憲法上制限されていない権限が残されている。これは留保権限(英語版)と呼ばれ、君主および総督の裁量によって行使できる。

英連邦諸国でイギリス同様にウエストミンスター・システムを採用する国では一般に、首相指名選挙を行わず、元首(もしくは元首代理)が自らの判断で首相を任命する。ただし内閣は下院の信任を確保する必要があるため、下院多数派の指導者が明らかである場合はその者を指名するほかなく、実質上の裁量の余地はない。下院過半数を掌握する指導者が存在しない場合、複数の下院指導者のうち元首等により選択された者が首相に任命される。

英連邦の共和国でもインドなどでは大統領が上記のような役割を担うが、ナイジェリアのようにアメリカ合衆国型の大統領制を採用し、行政権を握る大統領が上院の承認を経て閣僚を任命する国もある。


リヒテンシュタインの公(侯)は絶対君主制の君主とされているが、現在の公であるハンス・アダム2世摂政アロイス・フォン・リヒテンシュタインは政治の実権を徐々に首相に譲り、自らを立憲君主制国家の国家元首へと変貌させつつある。

上記の通り、このタイプの国家の君主は儀礼的役割のみを果たすことが通例であるが、政争やクーデターによる国政の混乱時には、仲裁者としての役割を期待され、権限を行使する場合もある。

タイの場合、1946年から2016年まで在位した国王ラーマ9世プーミポンアドゥンラヤデートがしばしばこうした役割を演じた。

スペインでは、1981年2月23日に勃発したクーデターの際、当時の国王フアン・カルロス1世は、全軍と国民に呼びかけて民主制の維持を図り、これによって反乱を失敗に追い込んだ。一方で、2017年のカタルーニャ自治州の独立住民投票の際には、当時の国王フェリペ6世が「カタルーニャ州政府はスペイン国家に対し許しがたい不誠実な態度をとった」と、カタルーニャ州政府と当時のカルレス・プッチダモン自治州首相に対する批判と敵対を示す演説を行い、当時のバスク政府首班イニゴ・ウルクリュをはじめ、国内外からの批判と失望に晒された。


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