国事行為
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憲法上、栄典の授与の実質的決定権の所在を直接定めた明文規定はないが、日本国憲法第7条や行政権の主体であることなどを根拠として内閣に属するものとされる(通説・実務)[14]。栄典の授与はいかなる特権も伴わない(第14条3項後段)。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する(第14条3項後段)。なお、憲法第7条第7号の規定は天皇以外の機関(内閣総理大臣や都道府県知事など)によって授与される栄典を設けることを禁じるものではない[14]


批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること(第7条第8号)

批准書など外交文書の認証を行う。法律に定めるその他の外交文書として外国の領事官に交付する認可状の認証に関する法律による外国の領事官に交付する認可状がある。


外国の大使及び公使を接受すること(第7条第9号)

駐日大使に対する信任状捧呈式の挙行が代表例国賓としての外国元首への会見などは国事行為でなく公的行為と位置付けられている。


儀式を行うこと(第7条第10号)

本条の「儀式」は天皇が主宰して行う国家的性格を持つ儀式をいう[15]。これに対しては他人が主宰する儀式への参列もこれに含むとする反対説もある。本条の儀式としては、天皇の即位に伴う「即位の礼剣璽等承継の儀・即位後朝見の儀・即位礼正殿の儀・祝賀御列の儀・饗宴の儀)」(皇室典範第24条)、天皇の崩御に伴う「大喪の礼」(皇室典範第25条)、「新年祝賀の儀」などの国家的儀式等が挙げられ、日本国憲法第20条第3項に基づき宗教的色彩は排除されるとともに[15]、費用は公金である宮廷費から支出されている[15]。一方、元始祭皇霊祭など皇室の私事で行われるものは純然たる私的行為であり、皇室の信仰方法に基づいて行われても憲法上の疑義は生じず[4]、費用も御手元金である内廷費で賄われている[4]天皇の退位等に関する皇室典範特例法に基づく、第125代天皇明仁退位に伴う「退位の礼(退位礼正殿の儀)」や、文仁親王立皇嗣に伴う「立皇嗣の礼」も国事行為として位置づけられる[16]。なお皇太子徳仁親王と小和田雅子の結婚の儀のように、皇太子の結婚関連儀式の一部が国事行為として扱われ[17]、事前の国会では国事行為扱いが適切かについて野党より質問があった[18]


国事に関する行為を委任すること(日本国憲法第4条第2項)

国事行為臨時代行に対する国事に関する行為を委任して臨時に代行させる旨の勅書を交付する行為と、国事に関する行為の委任を解除する旨の勅書を交付する自体は、天皇の国事行為と考えられている。ただし、国事行為の委任については、国事行為に含まれないとする見方もある。
内閣の助言と承認
「助言」と「承認」の関係

国事行為は内閣の助言と承認に基づかなければならず、内閣が国事行為の責任を負う(第3条)。条文の文言上は、国事行為に先立つ「助言」と、国事行為の事後の行為である「承認」の2つの行為が必要とも考えられる。しかし、およそ国事行為は内閣の意思に基づいて行われるとの趣旨であるとみて両者を統一的にとらえ「助言」と「承認」それぞれ別の閣議に基づく必要はないとみるのが一般的であり[2]、実際上もそのような取扱いがされている。
内閣の助言と承認の性質

国事行為について天皇が国政に関する権能を有しないとすると、「内閣の助言と承認」は国事行為との関係でいかなる意味を有するのか、具体的には、「内閣の助言と承認」に従うというのは国事行為の実質的決定権の所在が内閣にある(場合も含む)と理解するのか、「内閣の助言と承認」自体も形式的なものなのかが、問題となる。

このような問題が生じるのは、国事行為の中にはその実質的決定権の所在について憲法上明文がないもの(国会の召集、衆議院の解散など)があったり、内閣以外に実質的決定権があったりする(内閣総理大臣の指名、国務大臣の任免)にもかかわらず、条文上は内閣の助言と承認に従うことになっているためである。
本来的形式説(
小嶋和司など)
天皇の国事行為は本来的に形式的・儀礼的・名目的なもので、内閣の助言と承認についても実質的決定権を含むものではない。内閣総理大臣の任命の実質的決定権については国会にあり(日本国憲法第67条)、このことからみても、そもそも内閣の助言と承認には実質的決定権を含むものではない(実質的決定権の所在とは切り離されているものである)という。なお、内閣の助言と承認には実質的決定権は含まれないと考える場合、国会の召集や衆議院の解散など実質的決定権の所在について憲法上明文がないものについて、実質的決定権の所在の根拠を憲法第7条とは別の根拠に求めて確定する必要がある。例えば国会の召集権については内閣にあるものと考えられているが、内閣の助言と承認には実質的決定権を含まないとすると、歴史的にみて内閣に帰属してきたという沿革や日本国憲法第53条の類推などに実質的決定権の根拠を求めることになるが、ドイツのように自律召集制を採用している国もあり、これらの理由は内閣に召集の実質的決定権を認める根拠としては弱いとされる[19]
結果的形式説(宮沢俊義など)
天皇の国事行為は本来的には必ずしも形式的・儀礼的・名目的なものではないが、内閣の助言と承認には実質的決定権が含まれており、内閣の助言と承認に基づいて行われることから、結果的に天皇の国事行為は形式的・儀礼的なものとなる。国事行為が本来的に形式的・名目的な行為であるなら、これに対して内閣の助言や承認を必要とすることは無意味であり、また、本来的形式説のように考えるのであれば4条と3条の規定は順序が逆になるはず(国事行為の性質が決まった上で内閣の助言と承認を要するという順序になっているはず)であるという。宮沢俊義は内閣の助言と承認は内閣に実質的な決定の余地がある場合に限るとし、国会の指名に基づく内閣総理大臣の任命や内閣総理大臣の専権に属する国務大臣の任命については不要とみていた。しかし、日本国憲法第3条の「国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要」という文理解釈との整合性の点で問題があるとされ、結果的形式説からも近年はこのような立場はとられず、内閣の助言と承認はすべての国事行為に必要とされるが、内閣の助言と承認は国事行為の種類ごとに憲法・法律に規定に服しながら行われるのであり、内閣の実質的決定権の裁量には国事行為の種類によって広狭の幅があるものと解釈されている(例えば、衆議院解散については内閣に広い裁量が認められるが、内閣総理大臣の任命については国会の指名に基づくので内閣にはほとんど裁量の余地がないことになる)[20]
内閣の責任

天皇の国事行為について内閣は責任を負う(日本国憲法第3条)。この日本国憲法第3条に定める国事行為についての内閣の責任及び日本国憲法第4条に定める政治的諸関係からの厳格な隔離の結果として天皇は政治的に無答責となる[5]。この内閣の責任の性質は天皇の国事行為についての代位責任ではなく助言と承認を行ったことについての内閣の自己責任である[21]。また、内閣の責任の相手方は国民であり直接的には国民を代表する国会に対して政治的責任を負う[21]
国事行為に関する天皇の実質的権能

日本国憲法第4条は、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」と規定しているが、上記に掲げた日本国憲法上の「国事行為」には国会の召集や衆議院の解散など政治的機能に対して行うものがある。

この点につき、憲法草案の審議の過程では、天皇の意思が政治的決定に影響を及ぼすことも考えられ、第4条の趣旨につき、国事行為の他は国政に関する権能を有しないと解する見解もあった(国務大臣金森徳次郎の答弁)。このような解釈は第4条の文言からは無理とされており、国事行為を行う場合か否かを問わず国政に関する権能を有しないと解する見解が支配的である。

内閣法制局衆議院内閣委員会での答弁で以下の見解を示している[22][23][24]

国事行為に際しての内閣の助言と承認に対して、天皇はこれを拒否する権能、変える権能はない

海外旅行は国事行為に含まれないので、内閣の助言と承認に拘束されることなく、理論上、終局的には天皇の意思によって決定することになる

内閣の助言と承認事項が著しく国民のためにならず、天皇の良心に反する場合、天皇は国事行為について内閣に質問をすることができる

なお、天皇の政治的無答責は「象徴」としての地位に内在するものではなく日本国憲法第3条に定める国事行為についての内閣の責任と日本国憲法第4条に定める政治的諸関係からの厳格な隔離から導き出されるものと解されている[5]
国事行為の代行詳細は「国事行為臨時代行」を参照

皇室典範の定めるところによって摂政が置かれている場合、摂政は天皇の名においてその国事に関する行為を行う(日本国憲法第5条前段)。


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