図像解釈学
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ヴァールブルク研究所の伝統を継いだゴンブリッチは、パノフスキーの想定している「絵画の意味の三つの層」のすべてが、論理的には破綻しうると指摘している[5]

たとえば公共の場に掲げられた壁画作品のような場合、どこからどこまでを「意味の領域」と考えればよいのか(第1段階への批判)。

言語による描写は絵画による描写ほど、細部を正確に表現することができない。したがってどのような文献(テクスト)も、美術家の想像力に広い余地を残す。つまり作品と文献の慣習的な結びつきは一つには決まらない(第2段階への批判)。

そもそも「意味」という言葉は、言葉ではなく絵画作品に適用されると、きわめてつかみどころがない。誰にとっての意味なのか。作者とは誰なのか、注文主か、美術家か。また制作される過程で「意図した意味」は変わることがないのか(第3段階への批判)。

しかしゴンブリッチはこのようなイコノロジー的手法の限界を認識しながらも、一次史料の厳密な踏査によって依然として美術史研究に適用しうると述べていた。Albrecht Durer, Christ as the Man of Sorrows

より厳しい批判が、近年フランスの美術史家ジョルジュ・ディディ=ユベルマン( fr:Georges Didi-Huberman) によって行われている。

ディディ=ユベルマンは主著の一つ『イメージの前で』(1990) において、まさにパノフスキーによる《メランコリアI》解釈を例にとって、パノフスキー流の見方が完全に成り立つ一方、この版画が制作された当時に広まっていた、座り込み頬杖をついた姿勢で表現される「メランコリー的キリストの図像」に範をとったとする解釈も同様に成り立つと指摘する[6]

これは図像というものが解釈の複数性を免れないにもかかわらず、パノフスキーの「イコノロジー」に従うと、その可能性を切り詰めて一つの解釈だけを選び取ってしまう、という批判だった。またディディ=ユベルマンは、パノフスキーの考える「意味」という概念そのものについても疑念を示している。何をもって「意味」と考えるべきかはまったく自明ではなく、芸術作品には意味作用しか存在しないかのような前提も自明ではない、という批判である[7]

日本の美術史家・岡田温司も、同様の文脈で、パノフスキーが絵のなかのイメージを何らかの思想内容を運ぶ媒体でしかないかのように扱っている、と批判している[8]

このほかにも、イコノロジーは作品の意味だけに研究対象を限定することで様式や個人的表現としての芸術を無視する「イコノロジー的縮小」に過ぎないとか、逆にすべてが何かを象徴すると考える「過剰解釈」を生んだ、などとも批判された[9]

近年ではイコノロジーに代わる方法論として、「イコニーク」(イムダール)や「美術史的解釈学」(ベッチュマン)などが提案されているが[10]、決定打はなく、現在でもイコノロジーは美術史学にとって様式論と並ぶ主要な方法論でありつづけている。.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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脚注[脚注の使い方]^ “イコノロジー iconology”. コトバンク. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. 2019年8月23日閲覧。
^ Silvia Ferretti, Cassirer, Panofsky and Warburg: Symbol, Art and History, Yale UP, 1989.
^ エルヴィン・パノフスキー「序論」(『イコノロジー研究 ルネサンス美術における人文主義の諸テーマ』浅野徹ほか訳、筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2002, pp. 27-81)
^ この《メランコリアI》の解釈例は、以下を参照:アーウィン・パノフスキー『アルブレヒト・デューラー』中森義宗・清水忠訳, 日貿出版社, 1984, pp. 157-172.;若桑みどり『イメージを読む 美術史入門』筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2005, pp. 155-197;井面信行「イコノロジー」(神林恒道ほか編『芸術学ハンドブック』勁草書房、1989, pp. 33-38)
^ ゴンブリッチ「イコノロジーの目的と限界」鈴木杜幾子訳(『シンボリック・イメージ』平凡社、1991, pp. 21-58. 初出1974年
^ ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『イメージの前で 美術史の目的への問い』江澤健一郎訳、法政大学出版局、2012
^ ディディ=ユベルマン、前掲
^ 「目に見えるものは目に見えないものより、物質は精神より、イメージは概念より、表層は深層よりずっと劣るもので、前者(可視的なもの=物質=イメージ=表層)は、後者(不可視なもの=精神=概念=深層)へと高められて置き換えられてこそ、真に意義あるものとなるという大前提が、暗黙のうちで「イコノロジー」という方法を支えているのです」(岡田温司『「ヴィーナスの誕生」 視覚文化への招待』みすず書房、2006, p.66)
^ ヤン・ビアウォストツキ「イコノグラフィ」(フィリップ・P・ウィーナー編『西洋思想大事典』第1巻、荒川磯男ほか訳、平凡社、1990)
^ Max Imdahl, Giotto Arenafresken. Ikonographie, Ikonologie, Ikonik, Auf. 3, Munchen; Wilhelm Fink, 1980; 三木順子『形象という経験―絵画・意味・解釈』勁草書房, 2002年; Oskar Batschmann, Einfuhrung in die kunstgeschichtliche Hermeneutik: Die Auslegung von Bildern, Auf. 5, Berlin: WBG, 2001.

参考文献

エルヴィン・パノフスキー「序論」(『イコノロジー研究 ルネサンス美術における人文主義の諸テーマ』浅野徹ほか訳、筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2002, pp. 27-81)

ゴンブリッチ(鈴木杜幾子訳)「イコノロジーの目的と限界」(ゴンブリッチ『シンボリック・イメージ』遠山公一ほか訳、平凡社、1991, pp. 21-64)

ヤン・ビアウォストツキ「イコノグラフィ」(フィリップ・P・ウィーナー編『西洋思想大事典』第1巻、荒川磯男ほか訳、平凡社、1990)

若桑みどり『イメージを読む 美術史入門』筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2005

岡田温司『「ヴィーナスの誕生」 視覚文化への招待』みすず書房、2006

稲賀繁美「 ⇒
"イメージ解釈学の隠蔽に西欧二十世紀文化史の犯罪を摘発する"」(『あいだ』No.128, 2006年, pp.22-26)

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