芝山鉄道線建設に伴い地権者である用地内農家が売却に応じたことから、反対同盟(熱田派)によって2000年(平成12年)に曳家により西へ約100メートル移動され、現在地は一坪共有地・社会党オルグの所有地となっている[45][46]。なお、芝山鉄道線はこれを曲線で迂回するように建設されている。ペンションを含む敷地は、かつて空港の監視塔によって警備が行われていたが、空港内道路の整備によって現在は撤去されている。
近年ではイベントもしばしば行われており、例年7月および8月にレイブイベント「タイガー&ドラゴン」を開催している[50]。
三里塚芝山連合空港反対同盟(旧熱田派)らのボランティア団体「地球的課題の実験村」も活動に使用している[51]。
その他(成田新法未適用)
北原派系
青行隊東峰団結小屋[25]
岩山闘争記念館[25]
熱田派系
朝倉団結小屋[25]
朝倉第一テント村[25]
東峰団結小屋[25]
白桝団結小屋[25]
プロレタリア団結小屋[25]。
労青団団結小屋[25]
前衛中谷津団結小屋[25]
加茂団結小屋[25]
坂志岡団結小屋[25]
木の根団結小屋[25](木の根労学共闘団結小屋)
一坪共有者の家[25]
野戦病院(芝山町香山新田内[25])
脚注[脚注の使い方]
注釈^ この処置に対し、熱田派支援の戦旗荒派は団結小屋の武装解除を批判した[21]。
^ 改築は、大工で後に熱田派事務局長となり成田空港問題シンポジウムを主導した石毛博道が行ったが、石毛はその後「成田第3滑走路実現を目指す有志の会」の設立に関わるなど、地域振興のために空港拡大を推進する立場に転じている[45][46][47][48]。
^ 反対同盟はこれを闘争のシンボルとして建設しようとしたが、風車の倒壊を懸念する木の根住民の反対にあい、場所を移して建設された。遊んでいた子供が風車に巻き込まれて大怪我を負ったこともあった。風車は何度か破損と再建を繰り返したが、やがて壊れたまま放置された[49]。
出典^ 毎日新聞(夕刊)1978年4月15日
^ 伊藤睦 編『三里塚燃ゆ―北総台地の農民魂』平原社、2017年、182頁
^ “資料編1 。成田空港?その役割と現状? 2018年度”. 成田空港. 2019年9月10日閲覧。
^ 北原鉱治『大地の乱 成田闘争―三里塚反対同盟事務局長の30年』 お茶の水書房、1996年、111頁。
^ 成田空港内の団結小屋、強制撤去に着手
^ ⇒成田空港:空港反対派団結小屋訴訟あす判決 地上権の有無が争点に/千葉毎日jp 2010年2月24日
^ ⇒成田空港:団結小屋の撤去命令、地上権を認めず…千葉地裁毎日jp 2010年2月25日
^ ⇒成田空港 新誘導路、許可へasahi.com 2010年5月25日
^ ⇒団結小屋撤去、仮執行認める=成田空港誘導路、湾曲解消へ―東京高裁asahi.com 2011年5月20日
^ ⇒成田空港反対派「団結小屋」の強制撤去始まるasahi.com 2011年8月6日
^ a b c d 公安調査庁 1993, p. 85.