団結小屋
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2012年(平成24年)8月12日に、中心的な建物のプレハブ2階建てが全焼した[28]成田国際空港の安全確保に関する緊急措置法(成田新法、旧「新東京国際空港の安全確保に関する緊急措置法」)第3条第1項の規定に基づく使用禁止命令によって、「岩山団結小屋」とともに使用禁止になっている[29]
熱田派系の団結小屋
労農合宿所(現・横堀農業研修センター)

1977年5月5日、三里塚闘争のため「三里塚闘争に連帯する会」などが千葉県山武郡芝山町香山新田に開設された。

1982年8月、第四インターから派遣されていた常駐者の男性活動家による女性利用者への強姦未遂事件(ABCD問題)が発生している。

1989年10月22日に発生した火災で建物が全焼したが、熱田派は取得分の土地を囲い込もうとした空港公団を排除し、合宿所を再建した[14]

1997年5月4日、労農合宿所としての閉所式が行われ[30]、その後は横堀農業研修センターとして活動し[21]、旧熱田派が新年旗開きなどで使用している[31]

近くには「横堀共同墓地」も存在する。
横堀団結小屋(横堀インター団結小屋)

1971年に現地権者の父親が反対運動のために提供した約500平方メートルの土地に平屋と2階建ての建物が建設された。2000年に地権者が居住者(旧熱田派関係者)に対して土地明け渡しなどを求めて提訴し、2003年に勝訴が確定。2009年には旧熱田派を提訴し、2012年4月に東京高裁で仮執行を認める判決を受け、2012年11月28日、千葉地裁が強制撤去。人が住んでいる反対派の建物撤去としては10年ぶり。旧熱田派の本部を兼ねていたが、強制撤去により、本部は横堀鉄塔内の「案山子亭」に移転した[32]
横堀現地闘争本部横堀現地闘争本部

空港第2ターミナル南東の芝山町香山新田、周りを誘導路で囲まれた空港用地内に存在していた。空港第2ターミナルの南側展望デッキより眺めることができたが、施設は塀で完全に囲まれ、外側からは建物を目視できない状態になっていた。

反対同盟によって1982年(昭和57年)に建設され、1983年(昭和58年)の同盟分裂後は熱田派の闘争拠点となった[33]1998年(平成10年)以降は使われておらず、2007年(平成19年)にはNAAが空港敷地外から出入り出来ない状態にした[34]

横堀現地闘争本部の撤去をNAAが求めた裁判で、撤去と土地の明け渡しを命じた判決が確定[35][36]2017年(平成29年)5月30日深夜から31日未明までに強制撤去された[37][38][39]。撤去時、内部からは「横堀反対同盟」と書かれた看板等も発見された[39]
横堀鉄塔横堀鉄塔(2009年)上部構造物撤去後の横堀鉄塔(2018年)

「横堀大鉄塔」とも。空港敷地内の芝山町香山新田の空港用地内のC誘導路(旧:横風用滑走路予定地)の隣接地に存在する。この建物が存在するため、隣接する誘導路は迂回する形をしている。すべての方角は空港敷地内で囲まれており、建物へは地下道を通って到達する。鉄塔周辺の半分はフェンスで囲まれている。外観から「象の檻」と呼ばれることもある。

鉄塔内に、沖縄靖国訴訟原告団の団長で彫刻家の金城実が制作した『抗議する農民』と言う像が存在する[40]。空港第2ターミナルの南側展望デッキより眺めることができる。

鉄塔と同じ敷地内に「案山子亭」と言う小屋(反対同盟熱田派の本部「横堀団結小屋」を兼ねる)や、他界した活動家らの墓地が存在する[41][42]。また、鉄塔に隣接して一坪共有地(横堀一坪共有地)が存在しており、航空写真・衛星写真から見ると、土地がくぼんでいることが確認できる[43]。2021年現在、窪地は空港会社によって埋め立てられて、駐機場となっている。

鉄塔の最上部は老朽化に伴い旧熱田派が撤去した[44]
プロ青同団結小屋

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労活評団結小屋

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横堀団結の砦

戦旗・共産同の拠点であったが、1990年11月27日に除去された[11]
木の根ペンション木の根ペンション

成田市木の根にある、空港敷地内のC誘導路(旧:横風用滑走路予定地)の隣接地に存在する。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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