団地
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住宅検討委員会の審議の結果、1918年の『チューダー・ウォルターズ報告』では1エーカー当たり12戸の低密度の間口の広い庭付き住宅の建設などが提言された[4]

第一次世界大戦を契機とする公的介入政策の結果、『チューダー・ウォルターズ報告』に沿った公共賃貸住宅の大量供給が実現し、田園郊外型の住宅団地が採用されたことで過密の中心市街地から都市周縁への住民の大規模な分散が生じた[4]。ロンドン州議会が大戦間期に供給した82,000戸のうち、61,000戸は主として15の比較的小規模な郊外型住宅団地のcottageestatesに建設された[4]。その例外がロンドン州の郊外に開発されたベコントリー団地であり、戸数25,039戸、収容人口112,570人で当時としては世界最大の住宅団地であった[4]。一方で住宅供給には限界もあり、高水準の住宅だったため相対的に高家賃となり、入居者の階層が限定され、さらに1930年代にスラムクリアランスが本格化したことで低所得層の中には生活費の高騰により貧困に陥ったり旧市街に戻る者もいた[4]

第二次世界大戦後、1956年の法改正でイギリスの公営住宅政策は、一般的ニーズへの対応から大都市のスラムクリアランス事業に重点を移し、住宅の形態もハウス系の公営住宅は大幅に減少し、中高層住棟が大幅に増加した[5]。しかし、1950年代後半以降に建設された公営住宅、特にスラムクリアランス事業と大規模公営住宅団地の建設に対して、無神経なプランニング、プアなデザイン、非人間的な立ち退きなど住民等への配慮を欠くとの指摘がなされた[5]

1980年代初頭になると第二次世界大戦後の復興期に建設された住宅の老朽化が進み、さらに団地の社会的環境の荒廃が重要な政策課題として浮上した[5]。イギリス政府は1980年代の初めから公営住宅団地の再生事業を開始し、コミュニティ参加と自立自助、公営住宅の民営化を基本としたが、これらの物的環境の改善対策と同時に、雇用対策、職業訓練、青少年教育、犯罪防止など多面的な対策を実施した[5]

1985年には地理学者アリス・コールマンが研究レポート『ユートピアへの審判?計画住宅地のビジョンと現実』を発表すると、首相のマーガレット・サッチャーの支持を受け、コールマンの指導の下でデザイン改善実験プロジェクトDICE(Design Improvement Controlled Experiment)が行われた[5]
フィンランド

フィンランドでは巨大な規模の団地はみられず、そのため団地の更新も全面的な建て替えではなく部分的改修によることが多い[6]。ヘルシンキ市では1990年代末に1960年代に建設された団地の更新が必要となり、都市計画局を中心に郊外住宅団地の調査や目録作成、報告書の作成が行われている[6]
スウェーデン

スウェーデンでは多くのヨーロッパ諸国とは異なり、第二次世界大戦での直接的な被害を受けなかったが、1960年代から70年代初頭にかけての社会民主労働党政権下で10年間で100万戸を建設する「ミリオン・ホームズ・プロジェクト」が実施された[6]。ミリオン・ホームズ・プロジェクトでは短期間に大量の住宅を建設するため、あらゆる合理化が行われ、郊外の住宅団地には巨大長大高層住棟が出現した[6]。しかし、エリアによっては建設直後から大量の空き家が発生し、1990年代にはユーゴスラビアボスニア・ヘルツェゴビナの紛争による難民を受け入れたが、言語や雇用などの面で社会的に疎外感のある状況に置かれ、物理的にも交通な不便な地が多かったため陸の孤島のような状況となり課題となっている[6]
オランダ

オランダではル・コルビジェの設計によりアムステルダムの南東約7.5kmに、総戸数14,000戸、計画人口6万人の大規模高層団地ベルマミーア団地が建設された[7]。しかし、ベルマミーア団地では治安が悪化して問題団地と呼ばれるようになったため、高層住宅の撤去や売却(民間の低層住宅への建て替え)、住民の社会的・経済的諸条件の改善の施策、団地の管理の強化など再生事業が行われた[7]

オランダの内陸都市アームスフォートでは、地域で消費する電力量の50%を太陽光発電でまかなう画期的なソーラーシステム団地が誕生している[8]
旧ソ連

1960年代のソ連政府はフルシチョフカロシア語: хрущёвка; IPA: [xr?????fk?])という集合住宅をソ連邦内に数多く建設した。低コストで、パネル工法あるいはレンガで作られており、3階から5階建てである。建設にはその名前にある通り、ニキータ・フルシチョフが監督している。もともとこの建物は、成熟した共産主義によって住宅不足が軽減されるまでの、一時的な住宅であると考えられていた。フルシチョフは20年以内に社会主義から共産主義に移行できると予測した。その後、レオニード・ブレジネフは各家族に「1人1部屋の確保と1部屋分の追加」を約束したが、今日も多くの人がフルシチョフカに住み続けている。
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