団地
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オランダではル・コルビジェの設計によりアムステルダムの南東約7.5kmに、総戸数14,000戸、計画人口6万人の大規模高層団地ベルマミーア団地が建設された[7]。しかし、ベルマミーア団地では治安が悪化して問題団地と呼ばれるようになったため、高層住宅の撤去や売却(民間の低層住宅への建て替え)、住民の社会的・経済的諸条件の改善の施策、団地の管理の強化など再生事業が行われた[7]

オランダの内陸都市アームスフォートでは、地域で消費する電力量の50%を太陽光発電でまかなう画期的なソーラーシステム団地が誕生している[8]
旧ソ連

1960年代のソ連政府はフルシチョフカロシア語: хрущёвка; IPA: [xr?????fk?])という集合住宅をソ連邦内に数多く建設した。低コストで、パネル工法あるいはレンガで作られており、3階から5階建てである。建設にはその名前にある通り、ニキータ・フルシチョフが監督している。もともとこの建物は、成熟した共産主義によって住宅不足が軽減されるまでの、一時的な住宅であると考えられていた。フルシチョフは20年以内に社会主義から共産主義に移行できると予測した。その後、レオニード・ブレジネフは各家族に「1人1部屋の確保と1部屋分の追加」を約束したが、今日も多くの人がフルシチョフカに住み続けている。
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定義

住宅団地の定義は行政の法文上の規定を欠いているため、研究者による定義も面積、戸数、人口などの基準に違い少しずつ違いがある[1]。なお、建物の区分所有等に関する法律の第二章に「団地」の規定があり、65条に「一団地内に数棟の建物があつて、その団地内の土地又は附属施設(これらに関する権利を含む。)がそれらの建物の所有者(専有部分のある建物にあつては、区分所有者)の共有に属する場合」の規定があるが、「団地」そのものを直接定義しているわけではない。国土交通省の住宅団地数の推計では、「1.同一敷地内に計画的に建てられている二棟以上の共同住宅群で、2.分譲敷地を含むおおむね50戸以上のもののうち、3.当該敷地が区分所有者等により共有されていると推定されるもの」と定義されている[9]
団地設計

建築基準法では、一敷地一建築物が原則であり、建築基準法第86条第1項の一団地建築物設計制度と同法第86条第2項の連担建築物設計制度は、特例的に複数建築物を同一敷地内にあるものとみなして建築規制を適用する制度となっている。

団地設計の定義については、渡邉高章「日本住宅公団黎明期における団地設計活動に関する研究」で説明されており、「団地設計とは土地利用計画、道路設計から住棟の配置計画までいたる一連の設計活動を指すものである。」とされている。それに対し、配置計画については「住棟を敷地内にプランニングしていく作業を指し、必ずしも道路設計と一体化していないことが多い。」としている。
歴史

団地や「ダイニングキッチン」の概念を生み出した日本住宅公団初代設計課長の本城和彦から聞き取りを行った建築史家の藤森照信によると[10]、「団地」とは「集団住宅地」の略であり、これを住宅営団の内部で略して「団地」と言っていたらしい。「集団住宅地」の語の初出は1939年に日本建築学会主催で開かれたコンペ「労務者向集団住宅地計画」であり、これが戦後の1955年、日本住宅公団の「公団住宅」として実を結んだ。「団地」の語の初出は1958年に刊行された住宅公団のパンフレットである。団地の設計に当たっては西山卯三の「食寝分離論」が取り入れられた。

1955年日本住宅公団によって建設が始まった公団住宅は、水洗トイレ風呂ダイニングキッチンベランダなどを取り入れ、近代的なものとして憧れの住宅だった[11]

1960?1970年代までに建設された団地は5階建てまでになっているのが多く、エレベーターが設置されていないものが多い(集合住宅では、5階までであればエレベーターの設置が義務づけられておらず、6階以上でエレベーターを設置する義務がある。設置されていてもカゴのサイズがあまり大きくないこともあり、引越しなどで家具を搬出入する際の弊害になることがある)。

また後述の建て替えにも関係するが、住居者の高齢化などにより、階段の昇り・降りに対する負担が大きくなっていることも踏まえ、既存の建物に後付けする形でエレベーターやスロープ・手すりなどを設置する工事を進めている。具体的には3?5階の居住者の高齢者世帯率の高い住居から優先して施工するが、建物の老朽化や、耐震補強などの工事を行う場合は、その工事の進捗状況に応じて実施するが、建物の構造上の問題や物理的な問題などで設置できない場合があったり、維持費の都合上家賃や共益費などの値上げを含めた負担増などの問題もある[12]
建て替え1950年代日本住宅公団によって立てられ、老朽化した荻窪団地(建て替え後シャレール荻窪)


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