団地
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国土交通省の住宅団地数の推計では、「1.同一敷地内に計画的に建てられている二棟以上の共同住宅群で、2.分譲敷地を含むおおむね50戸以上のもののうち、3.当該敷地が区分所有者等により共有されていると推定されるもの」と定義されている[9]
団地設計

建築基準法では、一敷地一建築物が原則であり、建築基準法第86条第1項の一団地建築物設計制度と同法第86条第2項の連担建築物設計制度は、特例的に複数建築物を同一敷地内にあるものとみなして建築規制を適用する制度となっている。

団地設計の定義については、渡邉高章「日本住宅公団黎明期における団地設計活動に関する研究」で説明されており、「団地設計とは土地利用計画、道路設計から住棟の配置計画までいたる一連の設計活動を指すものである。」とされている。それに対し、配置計画については「住棟を敷地内にプランニングしていく作業を指し、必ずしも道路設計と一体化していないことが多い。」としている。
歴史

団地や「ダイニングキッチン」の概念を生み出した日本住宅公団初代設計課長の本城和彦から聞き取りを行った建築史家の藤森照信によると[10]、「団地」とは「集団住宅地」の略であり、これを住宅営団の内部で略して「団地」と言っていたらしい。「集団住宅地」の語の初出は1939年に日本建築学会主催で開かれたコンペ「労務者向集団住宅地計画」であり、これが戦後の1955年、日本住宅公団の「公団住宅」として実を結んだ。「団地」の語の初出は1958年に刊行された住宅公団のパンフレットである。団地の設計に当たっては西山卯三の「食寝分離論」が取り入れられた。

1955年日本住宅公団によって建設が始まった公団住宅は、水洗トイレ風呂ダイニングキッチンベランダなどを取り入れ、近代的なものとして憧れの住宅だった[11]

1960?1970年代までに建設された団地は5階建てまでになっているのが多く、エレベーターが設置されていないものが多い(集合住宅では、5階までであればエレベーターの設置が義務づけられておらず、6階以上でエレベーターを設置する義務がある。設置されていてもカゴのサイズがあまり大きくないこともあり、引越しなどで家具を搬出入する際の弊害になることがある)。

また後述の建て替えにも関係するが、住居者の高齢化などにより、階段の昇り・降りに対する負担が大きくなっていることも踏まえ、既存の建物に後付けする形でエレベーターやスロープ・手すりなどを設置する工事を進めている。具体的には3?5階の居住者の高齢者世帯率の高い住居から優先して施工するが、建物の老朽化や、耐震補強などの工事を行う場合は、その工事の進捗状況に応じて実施するが、建物の構造上の問題や物理的な問題などで設置できない場合があったり、維持費の都合上家賃や共益費などの値上げを含めた負担増などの問題もある[12]
建て替え1950年代日本住宅公団によって立てられ、老朽化した荻窪団地(建て替え後シャレール荻窪)

高度経済成長期に数多く建てられた団地は、2000年代頃から老朽化とともに住民が高齢化し、バリアフリーや引越し時における負担の観点から大きな課題を抱えるようになった。また治安も懸念されるようになった。そのため建て替えが相次いで行われるようになった。容積率に余裕を持って建てたものが多く、住宅需要の高い地域であれば高層化して戸数を増やし、余った敷地を売却して分譲住宅を建設し資金を賄うなどの手法で団地建替えが増加した。

建て替え後は一新したイメージを出すため「団地」という名称を使わないことが主流となっている。
建て替えられた団地


草加松原団地 - かつて東洋一の団地と称されたが、コンフォール松原となった。また、最寄りの松原団地駅も獨協大学前駅に改称された。

上野台団地 - コンフォール上野台。他分譲住宅地。

豊四季台団地 - コンフォール柏豊四季台。

赤羽台団地 - ヌーヴェル赤羽台。街並みがグッドデザイン賞を受賞。

桜上水団地 - 都内最大の団地建替え事業。桜上水ガーデンズとなった。

桜堤団地 - サンヴァリエ桜堤

ひばりが丘団地 - ひばりが丘パークヒルズ。他分譲地。

諏訪二丁目住宅団地 - Brillia多摩ニュータウン。日本最大級の分譲団地一括建替え事業。

多摩平団地 - 多摩平の森

原宿団地 - ザ・神宮前レジデンス。

小杉御殿団地 - 公団住宅の建て替え第1号となった団地。

志賀団地 - 中部地域初の公団住宅であり、中部地域の建て替え第1号の団地でもあり、アーバンラフレ志賀となった。

星ヶ丘団地 - L字型ポイントハウスが最初に建設された団地だったが、アーバンラフレ星ヶ丘となった。

鳴海団地 - L字型ポイントハウスが最後に建設された団地だったが、アーバンラフレ鳴海となった。なお、1970年代以降に建てられた住棟は建て替えられておらず現存。

鳴子団地 - スターハウス、ボックス型ポイントハウスという2つのポイントハウスが混在した団地だったが、一部の住棟は建て替えられアーバンラフレ鳴子となった。

金岡団地 - 日本住宅公団による公団住宅第1号だったが、サンヴァリエ金岡となった。

香里団地 - 日本住宅公団が開発した郊外型大規模住宅団地の先駆けだったが、香里ヶ丘みずき街(旧A地区)、香里ヶ丘けやき東街(旧B地区)、香里ヶ丘さくらぎ街(旧C地区)となった。なお、D地区とE地区棟は建て替えられておらず現存。

春日丘団地 - サンヴァリエ春日丘。

阪南団地 - サンヴァリエあべの阪南。

大橋団地 - 日本住宅公団福岡支所下において、賃貸住宅として最後にスターハウスが建設された団地だったが、アーベインルネス大橋となった。


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