因島市
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2006年1月10日、隣接する豊田郡瀬戸田町と共に尾道市編入されたことに伴い消滅した[3]
地理


牡蠣山(標高408.1m)

奥山(観音山、標高390.5m)

天狗山(標高290.5m)…中庄地区にある山。

青影山(城山、標高275m)

龍王山(権現山、標高243m)

白滝山(標高226.9m)…重井地区

天狗山(浅間山、標高207.5m)…土生地区にある山。

山伏山(標高188.6m)

向山(標高183m)

大楠山(標高166m)

馬神山(標高95.9m)…重井地区



重井川


大川



因島

生口島の一部、すなわち旧豊田郡東生口村
本土と陸続きとなっていない有人島

細島
本土と陸続きとなっていない無人島

小細島

地ノ雀島

沖ノ雀島

ハカン島

四十島

八重子島

弁天小島



町名

同市被編入日の2006年1月10日以降は、旧来の町名に因島を付加して尾道市の町名を冠する。土生町を例として挙げると、2006年1月10日以降は因島土生町となる。以下に、同市被編入前日までの町名を列挙する。

因島島内

土生町(はぶちょう)

中庄町(なかのしょうちょう)

田熊町(たくまちょう)

三庄町(みつのしょうちょう)

外浦町(とのうらちょう)

鏡浦町(かがみうらちょう)

椋浦町(むくのうらちょう)

因島および細島、小細島、地ノ雀島、沖ノ雀島、ハカン島、四十島

重井町(しげいちょう)

因島および八重子島

大浜町(おおはまちょう)

生口島の一部、すなわち旧豊田郡東生口村域

洲江町(すのえちょう)

生口島の一部と弁天小島、すなわち旧豊田郡東生口村域

原町(はらちょう)

因島市の象徴
市章

市章の制定年月は1954年5月1日である[1][4]造船すなわちスクリュー農業を表徴化したものである[1]
市花

市花は除虫菊で、制定年月は1983年11月12日である[1][4]

青い海に映る可憐な白い花が観賞用として市民に親しまれることが所以である[1]
市木

市木はクロガネモチで、制定年月は1983年11月12日である[1][4]

古称であるクロガネは市の主要産業の造船と深い関係があることが所以である[1]
シンボルマーク

シンボルマークの制定年月は1993年5月1日である[1][4]

柑橘をモチーフとし、水軍と花、フルーツを謳いデザインされたものである[1]
沿革
因島市成立以前

1889年明治22年)4月1日 - 市町村制施行。因島市域には当時いずれも御調郡に属する大浜・重井・田熊・中庄・土生・三浦・三庄の各村と豊田郡東生口村が存在した。

1918年大正7年)1月1日 - 土生村が町制施行して土生町になる。

1921年(大正10年)6月1日 - 三庄村が町制施行して三庄町になる。

1945年昭和20年)7月29日 - 因島空襲が起きる。死者70名、重軽傷者2名。

1948年(昭和23年)5月3日 - 三浦村が三庄町(椋浦)と中庄村(鏡浦・外浦)に分割され、消滅する。

1949年(昭和24年)4月1日 - 田熊村が町制施行して田熊町になる。

因島市成立以後

1953年(昭和28年)5月1日 - 御調郡の田熊・土生・三庄各町および大浜・重井・中庄各村、豊田郡東生口村が対等合併して因島市が成立する。同日、因島市立土生小学校講堂で市庁舎開庁式を挙行[5][2]

1953年(昭和28年)5月17日 - 市制施行後の初選挙である市長と市議会議員のダブル選挙を実施し、市議会を開会[5][6]

1964年(昭和39年)3月 - 因島鉄工業団地協同組合が設立される[2]

1965年(昭和40年)4月 -因島鉄工業団地協同組合の参加事業所工場が操業を開始する[5][2]

1967年(昭和42年)2月 -現在の尾道市役所因島総合支所となっている因島市役所新庁舎を着工する[5][2]

1968年(昭和43年)1月11日 - 因島市役所新庁舎を落成する[5][2]

1968年(昭和43年)1月18日 - 因島市役所新庁舎での執務が開始される[5][2]

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}1970年(昭和45年) - 因島市の人口が最盛期を迎え、当時の人口は約45,000人となる[要出典]

1983年(昭和58年)12月4日 - 因島大橋が開通し、向島を介して本土と陸続きになる[7]

1987年(昭和62年) - 日立造船が因島から撤退する(その後造船業以外の事業を継続)[要出典]

1991年(平成3年)12月8日 - 生口橋が開通し、生口島と陸続きになる[7]

1999年(平成11年)5月1日 - 西瀬戸自動車道(瀬戸内しまなみ海道)が全通し、四国と橋で結ばれる[8]


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