回鶻
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^ 『隋書』列伝第四十九 北狄、『北史』列伝第八十七 鉄勒
^ 『旧唐書』列伝第一百四十五 迴?
^ 『新唐書』列伝第一百四十二上 回鶻上、列伝第一百四十二下 回鶻下
^ 『新唐書』列伝第一百四十二上 回鶻上には「又請易回?曰回鶻、言捷鷙猶鶻然。:(武義成功可汗が)“回?”という字を変えて“回鶻”としたいと請うたが、この字義は鶻(はやぶさ)のようなすばやい猛獣という意味である。」とある。
^ 『旧唐書』列伝第一百四十五 迴?には「元和四年、藹徳曷里禄没弭施合蜜毘伽可汗遣使改為迴鶻、義取迴旋軽捷如鶻也。:元和4年(809年)、藹徳曷里禄没弭施合蜜毘伽可汗(保義可汗)は(唐に)遣使を送って(国名を)“迴鶻”と改めさせた。その意味は鶻(はやぶさ)のように飛びまわり、軽やかで速やかという意味である。」とある。
^ 『突厥与回?史』第八章
^ 『回?史』第1章
^ 最盛期の匈奴単于国は中央ユーラシア東部全域を支配していたので、その支配下の諸民族もすべて匈奴国民となった。
^ 『魏書』・『北史』
^ 『周書』・『北史』・『隋書』・『旧唐書』
^ 『魏書』列伝第九十一、『北史』列伝第八十六
^ 『隋書』列伝第四十九 北狄、『北史』列伝第八十七、『旧唐書』列伝第一百四十九下・列伝第一百四十五、『新唐書』列伝第一百四十二上
^ イルテベル(頡利発、Iltabar)とは、突厥可汗国の統制下において、突厥可汗によって各部族長に与えられた称号の一つ。
^ 『旧唐書』列伝第一百四十五 迴?、『新唐書』列伝第一百四十下 突厥下・列伝第一百四十二上 回鶻上
^ a b c d 『旧唐書』列伝第一百四十五 迴?、『新唐書』列伝第一百四十二上 回鶻上
^ 『突厥与回?史』
^ 『旧唐書』列伝第一百四十五 迴?、『新唐書』列伝第一百四十二上 回鶻上、『資治通鑑』巻238-241
^ 遊牧国家の習慣の一つにレビラト婚というものがある。レビラト婚とは、夫に先立たれた妻が、その息子や弟に再び嫁ぐというものであり、これには血統を絶やさない目的がある。ただし、嫁ぎ先は血の繋がっていない息子に限る。
^ 『旧唐書』列伝第一百四十五 迴?、『新唐書』列伝第一百四十二上 回鶻上・列伝第一百四十二下 回鶻下
^ 「?」は「厂+盍」と書く。
^ 『旧唐書』列伝第一百四十五 迴?、『新唐書』列伝第一百四十二下 回鶻下
^ 宮脇 2002,p41
^ ⇒10世紀から11世紀における「九姓タタル国」[リンク切れ]
^ a b 『回?史』
^ a b 『回?史』第四章
^ 『新唐書』回鶻上に「薬羅葛回?姓は、僕骨・渾・抜野古・同羅・思結・契?などの六種夷と数に列さず」とあり、九姓鉄勒と九姓回鶻は異なることを示している。また、『回?史』第二章において「九姓とは北東アジアの遊牧民にとって象徴的な数字である九や十を使用した一種の雅号であって、中枢氏族が九つだったわけではない」としている。
^ 『回?史』第二章一、『突厥与回?史』第八章
^ 『通典』、『集史』ウイグル部族志
参考資料
『魏書』(太祖武帝紀、列伝第九十一 高車)
『隋書』(列伝第四十九 北狄)
『北史』(列伝第八十六 高車)
『旧唐書』(列伝第一百四十五 迴?)
『新唐書』(列伝第一百四十下 突厥下、列伝第一百四十二上 回鶻上、列伝第一百四十二下 回鶻下)
三上次男・護雅夫・佐久間重男『人類文化史4 中国文明と内陸アジア』(講談社、1974年)
山田信夫『北アジア遊牧民族史研究』(東京大学出版会、1989年、ISBN 4130260480)
宮脇淳子『モンゴルの歴史 遊牧民の誕生からモンゴル国まで』(刀水書房、2002年、ISBN 4887082444)
小松久男『世界各国史4 中央ユーラシア史』(山川出版社、2005年、ISBN 463441340X)
森安孝夫『興亡の世界史05 シルクロードと唐帝国』(講談社、2007年、ISBN 9784062807050)
林幹『突厥与回?史』(内蒙古人民出版社、2007年、ISBN 978-7-204-088904)
楊経敏『回?史』(広西師範大学出版社、2008年、ISBN 978-7-5633-7451-9)
⇒白玉冬「10世紀から11世紀における九姓タタル国」[リンク切れ]東洋文庫『東洋学報』第93巻、2011年6月.
関連項目
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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