四條畷市
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市域の3分の2は生駒山地の一部である北生駒山地である。標高は最高標高が361.0mで最低標高が3.0mであり、周囲が25.1kmである[2][9]

山:飯盛山

川:天野川・岡部川・清滝川・権現川

池:室池

峠:清滝峠


面積

18.74
km2[10]

四條畷地区 - 10.766 km2[11]

田原地区 - 7.974 km2[11]

面積の変遷

1890年8月1日 - 町村制施行して、10.85 km2になる。[10]

1961年6月25日 - 田原村を編入して18.90 km2になる。[10]

1988年10月1日 - 国土地理院による面積を改定して0.16 km2狭くなって、18.74 km2になる。[10]

広袤(こうぼう)

国土地理院地理情報 によると四條畷市の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは7.3 km、南北の長さは5.4kmである。[3][5]
隣接している自治体

交野市大東市寝屋川市奈良県生駒市

歴史
紋章

町章は
1961年に田原村の編入合併を記念して2回にわたって公募で募集して同年12月に議会によって制定された[12][12][13][14]。 市章は市制施行に合わせて住民意識の向上のために公募で募集し、募集した結果、「し」と畷の「ナ」を鳩に図案化したもので未来に向かって羽ばたく姿を意味して、1970年7月1日の市制施行の日に合わせて制定された[3][15][16][17][18]


四條畷町章

四條畷市章

市制施行前

1348年正平3年/貞和4年) - 四條畷の戦い[2](讃良郡四條村 (現:大東市))

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、讃良郡砂村・岡山村・中野村・清滝村・逢阪村・蔀屋村・南野村の区域をもって甲可村が発足。

1896年(明治29年)4月1日 - 讃良郡甲可村の所属郡が北河内郡に変更。

1925年(大正14年)7月1日 - 四條畷警察署が設置される[3]

1932年昭和7年)4月1日 - 甲可村が改称して四條畷村となる。

1947年(昭和22年)7月1日 - 北河内郡四條畷村が町制施行して四條畷町となる[3]

1953年(昭和28年)5月1日 - 片町線忍ケ丘駅が開業する[3]

1959年(昭和34年)7月 - 上下水道が完成する[3]

1961年(昭和36年)6月25日 - 北河内郡四條畷町が田原村を編入[19][20]

9月16日 - 第二室戸台風により被害を受け、同年9月18日災害救助法の適用を受ける[21][21]


1963年(昭和38年) - 国道163号が開通する[3]

1964年(昭和39年)11月5日 - 役場の新庁舎が完成し、業務を開始する。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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