四国中央市
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四国全体からみれば宇摩地方は、高松自動車道松山自動車道徳島自動車道高知自動車道が結節しており、四国の県庁所在地松山市高松市徳島市高知市)すべてにアクセスしやすい交通の要所である。そのため、将来的に道州制が導入された際に州都または道庁所在地になるという将来構想を込めて、「四国中央市」の市名が採択された[1]
地理国道319号から市街を望む土居町から赤星山を望む

高速道路が交差する交通の要衝であり、60km 南に高知市、70km 北東に高松市、80km 西に松山市、100km 東に徳島市が位置する。高速道路網の整備により、川之江ジャンクション川之江東ジャンクションを持ち、四国の「エックスハイウェイ」が交差する中心地となっている。

市の南部に東西に連なる法皇山脈の山々が屏風のようにそそり立っている。平地は山地の北側に細長く展開し、北は燧灘に面している。中央構造線が山すそに沿って、東西に走っている。法皇山脈の南側に吉野川の支流の一つである銅山川が東流し、そのさらに南には高知県との境をなす四国山地の山々が連なっている。

山: 峰畑山・塩塚峰三傍示山・佐々連尾山・赤星山・翠波峰・西赤石山東赤石山西赤石山二ッ岳・ハネヅル山など

河川: 銅山川金生川・関川など

湖沼: 金砂湖(柳瀬ダム湖)・法皇湖(富郷ダム湖)

ダム: 新宮ダム柳瀬ダム富郷ダム

気候

全般には温暖で穏やかな瀬戸内型気候に属する。北に海(燧灘)、南に山(法皇山脈)という地形から、日本海側気候の特徴も若干持つ。

年平均気温 - 16.4℃(四国中央)

年平均降水量 - 1444.4mm(四国中央)、2173.5mm(富郷)

年間日照時間 - 1736.0時間(四国中央)

松山高松など、瀬戸内の他の都市に比べて、日照時間が2割程度少ない。これは平野部が狭く、燧灘を吹き渡って来た風が法皇山脈にぶつかり上昇して雲を発生させやすいためである。移動性高気圧型のときに顕著で、午前中はほとんど曇っており、気温が上がる昼前になってようやく雲が消え晴れてくる。同じ燧灘に面している新居浜西条は平野部が広いため日照時間が長い。

平野部は気温が下がりにくい。冬の最低気温は松山や宇和島とあまり変わらず、冬日は1年に8回程度である。これに対し山間部の新宮町や富郷町は冷え込みが厳しい。また、山間部には湿った空気が集まりやすく、降水量が平野部の1.5倍に達している。

春先を中心に、やまじ風という南寄りの突風(日本三大局地風の一つ)が吹き、農作物や家屋が被害を受けることがしばしばある[2]

四国中央(1991年 - 2020年)の気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
最高気温記録 °C (°F)20.3
(68.5)23.7
(74.7)27.6
(81.7)29.8
(85.6)32.2
(90)35.2
(95.4)38.3
(100.9)37.9
(100.2)37.2
(99)32.3
(90.1)25.8
(78.4)23.3
(73.9)38.3
(100.9)
平均最高気温 °C (°F)9.3
(48.7)10.0
(50)13.6
(56.5)19.3
(66.7)24.2
(75.6)26.8
(80.2)31.0
(87.8)32.2
(90)28.1
(82.6)22.6
(72.7)17.0
(62.6)11.8
(53.2)20.5
(68.9)
日平均気温 °C (°F)5.9
(42.6)6.2
(43.2)9.3
(48.7)14.4
(57.9)19.3
(66.7)22.7
(72.9)26.9
(80.4)27.9
(82.2)24.1
(75.4)18.6
(65.5)13.2
(55.8)8.3
(46.9)16.4
(61.5)
平均最低気温 °C (°F)2.6
(36.7)2.6
(36.7)5.2
(41.4)9.9
(49.8)14.8
(58.6)19.3
(66.7)23.5
(74.3)24.4
(75.9)20.7
(69.3)15.0
(59)9.5
(49.1)5.0
(41)12.7
(54.9)
最低気温記録 °C (°F)?3.5
(25.7)?5.4
(22.3)?3.1
(26.4)0.7
(33.3)5.4
(41.7)11.8
(53.2)17.0
(62.6)17.9
(64.2)10.6
(51.1)6.7
(44.1)0.2
(32.4)?2.3
(27.9)?5.4
(22.3)
降水量 mm (inch)44.9
(1.768)56.2
(2.213)94.9
(3.736)89.2
(3.512)113.2
(4.457)175.8
(6.921)198.7
(7.823)162.6
(6.402)232.5
(9.154)142.5
(5.61)69.5
(2.736)64.5
(2.539)1,444.4
(56.866)
平均降水日数 (?1.0 mm)7.28.310.69.69.412.610.88.710.68.77.49.1112.9
平均月間日照時間107.1117.4159.0184.5194.4130.7166.5194.9134.8138.4112.698.41,736
出典1:Japan Meteorological Agency
出典2:気象庁[3]

富郷(1991年 - 2020年)の気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
降水量 mm (inch)68.2
(2.685)79.6
(3.134)135.5
(5.335)125.7
(4.949)143.6
(5.654)221.6
(8.724)309.2
(12.173)305.9
(12.043)371.5
(14.626)181.9
(7.161)96.5
(3.799)96.9
(3.815)2,173.5
(85.571)
平均降水日数 (?1.0 mm)10.210.612.410.910.213.412.811.312.99.99.210.6135.1
出典1:Japan Meteorological Agency
出典2:気象庁[4]

歴史
有史以前

市域で発見された遺跡から、この地方に人が住みはじめたのは1万2000年以上前と考えられる。最初に人が住んだのは金生川流域の丘陵地帯で、その後縄文時代から弥生時代にかけて海岸の平野部に生活の範囲が広がっていった。

古墳時代中期には木梨軽皇子の墓といわれている東宮山古墳が作られている。古墳時代後期の6世紀になると丘陵地帯に古墳が作られるようになった。7世紀前半には四国最大級の石室を持つ宇摩向山古墳が作られた。急峻な山地と狭く長い平野のため、大きな権力を持つ社会の形成は遅かったようである。
古代

大化の改新後、この地域は宇摩郡と呼ばれるようになり、古代官道など交通網の整備によって南海道に伊予国大岡駅が設けられ、中央から伊予・土佐への交通の分岐点となった。この宇摩郡と四国中央市の市域はほぼ一致する。
近世
江戸時代

1636年、一柳直盛が伊勢国神戸藩から西条6万8600石に封ぜ られた。ところが直盛は封地に赴く途上で病没してしまう。直盛の領地は3人の子に分知され、川之江2万8600石は次男一柳直家の所領となった(川之江藩)。しかし直家も1642年に病没し、養子一柳直次への相継が幕府に認められず播磨国へ転封となった。所領は幕府に収公されて伊予松山藩に預けられ、松山藩は川之江代官所を置いて幕府領を管理した。

その後、宇摩郡の幕府領は西条藩や今治藩の所領の代替地として与えられたので、幕末期の宇摩郡は徳川幕府今治藩西条藩の領地が複雑に入り組む状態となった[1]

一説によると宝暦年間1751年 - 1764年)に宇摩地方の製紙業の基礎が築かれた[1]
近代

明治維新後の1878年、郡区町村編制法が施行されると現在の四国中央市域に宇摩郡が設置された。郡役所は人口が最も多く、商業施設も集積しており、また天領時代に代官所が置かれた川之江村に設けられた。しかし、位置的には宇摩郡の東端に近かったため、西部の三島・土居の住民が国・愛媛県に郡役所移転を要望し続けた[1]明治維新後、交通手段が徒歩から船や鉄道に変わると、川之江の交通の要衝としての重要性は相対的に低下した。

1889年 町村制の施行により、郡内の51村が合併し23村になった。川之江・二名・金生・上分・金田・川滝・新立・上山・松柏・三島・中曽根・ 中之庄・寒川・豊岡・金砂・富郷・野田・津根・小富士・土居・満崎・関川・ 別子山(1898年から1952年にかけて、三島・川之江・上分・金生・寒川は町制を施行)

天領だった川之江は、幕末土佐藩が駐留した縁で、土佐出身の板垣退助率いる自由党系とのつながりが深かった。一方、三島は進歩党系に接近し、進歩党系松方正義政権下の1897年に宇摩郡役所の三島村移転を成功させた。


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