喪服
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[注釈 1]。この当時、参列者が喪服を着ることはなく、親族だけが着るものであった。現代でもこの白喪服の名残りとして、親族が黒喪服の衿や肩に白い布をかける風習が残る地域がある[9]
黒喪服

明治11年大久保利通の葬儀の際多くが黒の大礼服で出席し、上流階級において黒が喪の色として認識され、次第に明治期を通じて黒に変わっていった。和服では、男性は紋付地黒の羽織袴、女性は黒色の紋付が着用されるようになった[10]

昭和30年代には、喪主や親族以外は洋服の喪服を着用するようになった。このころからジェットなどの黒色のネックレスが、昭和39年ごろからは真珠のネックレスが喪服のアクセサリーとして用いられるようになった[11]

日本の葬儀で着るブラックスーツは、今日では日本独特の風習である。[12]

昭和41年8月にイギン京塚昌子[13]、昭和50年には東京ソワール浅丘ルリ子を専属モデルとして起用して既製品喪服の広告を打ち[14]、既製服の洋装喪服が一般化した。一方、地方では白喪服の風習が残る地域もあった[9]
和装の喪服

黒喪服

現代の和服での喪の礼装である。
五つ紋をつけ、黒の帯を合わせる。

関東では羽二重、関西では一越ちりめんで作る。を染めた上から黒に染めると関東風、を染めた上から黒に染めると関西風になる[15]

黒喪服は、明治維新後に西洋のブラックフォーマルにならったものである。以前は白の下着を重ねていたが、昭和10年頃より不幸が重なるという迷信から省略されるようになった。帯についても、現在は同様の理由で袋帯を避け、名古屋帯を合わせるようになった[16]


色喪服

法事や通夜のときに着る喪の略礼装である。黒地か寒色の帯を合わせる。故人が亡くなってから何年後の法事から色喪服を着用するかは、地方により異なる[17]


脚注[脚注の使い方]
注釈^ 喪服の白色のことを忌み言葉で「イロ」と呼び、東北など、現代でも喪服のことを「イロ」と呼ぶ地方もある[9]

出典^ a b c d 造事務所『日本人が知らないヨーロッパ46カ国の国民性』PHP研究所、2015年、139頁
^ a b c 山縣亮介, 鷲津かの子, 石原久代「 ⇒服装のディテールとフォーマル性との関係」『名古屋学芸大学メディア造形学部研究紀要』第6号、名古屋学芸大学メディア造形学部研究紀要委員会、2013年3月、111-122頁、.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISSN 1883-5694、NAID 120005306528、2021年9月23日閲覧。 
^ a b 内村理奈「 ⇒モードになった花嫁衣装と喪服 : フランス19世紀後半の雑誌と作法書の比較から」『日本女子大学大学院紀要. 家政学研究科・人間生活学研究科』第25号、日本女子大学、2019年、155-164頁、ISSN 1341-3813、NAID 120006648561、2021年9月23日閲覧。 
^ 寺西千代子 『世界に通用する公式マナー プロトコールとは何か』 文春新書
^ youtube
^ a b c 鄭幸枝『使える・話せる・中国語単語 日本語ですばやく引ける』語研、2002年、145頁
^ a b c d e 『類聚近世風俗志 : 原名守貞漫稿』喜多川守貞著、更生閣書店、昭和9
^3 葬具の用意 3-(3)死装束と喪服
^ a b c d 小泉和子編『昭和のキモノ』河出書房新社〈らんぷの本〉、2006年5月30日。ISBN 9784309727523。 
^ 増田美子・編 2010, pp. 327?330.
^ 増田美子・編 2010, p. 382.
^ [1](外務省)
^[2]
^[3]
^ きものコーディネート 1995, p. 29.
^ 田中敦子・編著 2006, p. 147.
^ きものコーディネート 1995, p. 28.

参考文献

文化出版局, ed. (1979年). "喪服". 服飾辞典. 東京: 文化出版局. ISBN 4579500121

増田美子・編 編『日本衣服史』吉川弘文館、2010年。ISBN 9784642080316NCID BB00892243。 

『きものコーディネート : 保存版きものに強くなる』世界文化社〈家庭画報特選〉、1995年。全国書誌番号:96014769。 

田中敦子・編著『きものの花咲くころ : 「主婦の友」90年の知恵』主婦の友社、2006年。ISBN 4072532444NCID BA79425823。 

関連項目

礼服

ブラックスーツ

紋付羽織袴

制服学生服ブレザーセーラー服学童服

死に装束

数珠


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