妻の小野寺えい子とは『バトルフィーバーJ』でともにミスアメリカを担当しているが、小野寺は結婚を意識するようになったのは『電子戦隊デンジマン』(1980年)辺りからではないかと述べている[12]。
『超電子バイオマン』では、初回のラストで靭帯を切ってしまい、激しいアクションができなくなったため吊りのアクションが多くなったという[3]。
キングギドラ役での起用は同作品の特技監督である鈴木健二が白亜紀型キングギドラの走って飛び上がるアクションができる小柄なアクターを探していた際に、若狭新一が喜多川がブルース・リーのものまねで出演していたCMを見たことから出演依頼が来たとされる[8][17]。喜多川自身は記念になるからという軽い気持ちで引き受けたという[3]。ゴジラシリーズでは、戦隊シリーズではなかったミニチュアセットの破壊シーンの撮影では、失敗すると多くのスタッフに余計な苦労をさせてしまうため「緊張のあまり腹が痛くなった」という[18]。
『ゴジラ2000 ミレニアム』では、スーツ製作時に喜多川の型取りを行ったが、石膏が徐々に固まることに閉所恐怖症のような恐怖を感じ、二度とやりたくないと思ったことを述懐している[9]。実際にスーツを試着したときも、呼吸ができず死ぬ思いであったという[5][9]。ゴジラについては、自身がスタントマンとして20年間培った技術が一切通用しなかったと語っている[5]。『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(2003年)では、特殊技術の浅田英一からVSシリーズでの薩摩剣八郎のような動きを求められ抵抗があったが[1]、続く『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)では遠慮なくなんでも言い合える関係になっていたという[2]。『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』では、喜多川から型をとったダミー人形の通称「キタガワ君」が用いられた[19]。
ゴジラシリーズでは待ち時間が長いため、喜多川はその合間に造形スタッフの助言を受けながら、周辺の道具などを用いてゴジラなどの造形物を制作していた[20]。
指導側に立つようになった後も、『手裏剣戦隊ニンニンジャー』や『動物戦隊ジュウオウジャー』などで人手が不足したときに戦闘員などを演じている[3]。喜多川は、若人と仕事をするのは楽しいが、気を使わせているのは申し訳ないと述べている[3]。
出演作品
特撮テレビドラマ
アクマイザー3(1975年 - 1976年) - 兵士アグマー[出典 9]
超神ビビューン(1976年 - 1977年)
透明ドリちゃん(1978年)
宇宙からのメッセージ・銀河大戦(1978年 - 1979年) - ガバナス兵[3]、ベルダ人[3]
スパイダーマン(1978年 - 1979年)
メガロマン(1979年) - 黒星怪獣、黒星族兵士
メタルヒーローシリーズ
世界忍者戦ジライヤ (1988年) - 漢忍緑龍[21]
機動刑事ジバン(1989年) - 第9話ゲスト
特警ウインスペクター(1990年) - 人面コウモリ(第29話)
特捜エクシードラフト(1992年) - 亜川の部下(第27話)
スーパー戦隊シリーズ
秘密戦隊ゴレンジャー(1976年 - 1977年)
ジャッカー電撃隊(1977年) - 戦闘員
バトルフィーバーJ(1979年 - 1980年) - バトルケニア(代役)[出典 10]、ミスアメリカ(一部)[出典 11]
電子戦隊デンジマン(1980年 - 1981年) - @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}デンジブルー(代役)[要出典]
太陽戦隊サンバルカン(1981年 - 1982年) - バルシャーク(第1話)[要出典]