政治思想としては自然法論が発達し、とくに社会契約説が流行した。また理性の普遍性や不変性は人間の平等の根拠とされ、平等主義の主張となって現れた。一般的に性善説的傾向が強く、この時代の自然法はほぼ理性法と同義である。理性を信頼する傾向は往々にして実践理性(すなわち良心)の絶対化に進み、政治思想において急進的な傾向を生むこととなった。しかし自然状態に対する分析的研究や認識論の深化によって実践理性の共通性・絶対性は次第に疑われ始めることになる。経験法則の認知主体としての純粋理性と道徳法則の実践主体である実践理性との分裂傾向は徐々に大きな問題となり、啓蒙思想の存立基盤を揺るがすこととなった。 これらの啓蒙思想が展開されたのは、絶対王政の貴族たちが主催する個人的な社交場であるサロンであったり、アカデミーや科学協会といったような新しいタイプの知的専門機関であった。旧来の神学的な大学と啓蒙思想は対立関係にあることも多かったが、啓蒙思想を積極的に取り入れる新しい種類の大学も各地に登場した。旧来の大学でも従来もっとも権威があった神学部を学問的中心から外し、新しいカリキュラムを導入することがおこなわれるようになった。 17世紀後半にトマス・ホッブズやジョン・ロックが展開した経験論的な認識論や道徳哲学、理性・自然法・社会契約的な政治思想が、イギリス及び西欧における啓蒙思想・啓蒙時代の幕開けとなる。ちなみにロックは、『市民政府二論』を著しており、その中に「人はみんな平等です。国民は人の権利を守らない政府を変更しても良いのです。」と記してある。 スコットランドにおける啓蒙思想は、ジョン・ロックの思想を第3代シャフツベリ伯爵経由で継承したフランシス・ハッチソンに始まる。彼の道徳哲学は、イギリス経験論の最後に列せられるデイヴィッド・ヒュームや、古典派経済学の祖であるアダム・スミスにも影響を与える(道徳感覚学派(モラルセンス学派))。 また、ヒュームの懐疑論に対抗する形でスコットランド常識学派(コモンセンス学派)という一派も形成され、啓蒙思想の一翼を担った。 18世紀にイギリスから伝播して始まったフランスの啓蒙思想は、イギリスより旧弊批判が激しい過激なものとなって発展・普及し、フランスを啓蒙思想の中心地へと押し上げることになった。そして、やがて起こることになるフランス革命やその後の共和主義的近代化改革の思想的基盤ともなった。 主な啓蒙思想家は以下の通り。 ドイツの啓蒙思想は、クリスティアン・ヴォルフ等によって整備され、イマヌエル・カント等によって発展された他、ゴットホルト・エフライム・レッシングのような人物も加わりつつ形成された。
啓蒙思想の舞台
歴史
イギリス
スコットランド「スコットランド啓蒙」も参照
フランス
シャルル・ド・モンテスキュー
ジャン=ジャック・ルソー
ヴォルテール
ドゥニ・ディドロ
エティエンヌ・ボノ・ドゥ・コンディヤック
ニコラ・ド・コンドルセ
ドイツ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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