唯一神
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初期のメッカ時代には、その時期ではおもに「主」と「アッラー」が、用いられているとされる[16]。また、「われ」と言ったり、「われわれ」と言ったりする場面が数多くある[17]

神の存在について、ムスハフ解釈本では、二種類の姿が啓示されている。一つには、神は、「超越的・遍在的な人格神」としての姿であるとしている。これは、現代の宇宙論にも通用する姿であるといえる。もう一つは、神は、人間の上空にあって、全ての存在を支配している「高み座に座している人格神」であるとしている。そのどちらも、ムスハフでは、慈悲の神の姿として啓示されている[注 9]

啓示宗教における実存的な神としてみた場合、イスラームにおける「超越的・遍在的な人格神」は、ユダヤ教・キリスト教における「在りてある神」という神観念と同じであると見ることができる。
真理を破棄する神としての唯一神

イスラーム教の「ナスフ」についても参照

論理的な観点からすると、絶対者としての神の属性としては、慈悲・真理・善・調和等の具現、だまして支配しない、啓示に矛盾がないなどがあげられるようだ[注 10]

イスラームの場合、唯一神としての神の啓示の中に、「この宗教の啓示には矛盾が含まれている」という言葉が下されている[注 11]
矛盾した啓示を語る霊的存在

また、「神以外の存在から啓示が出ている場合、その啓示には、いろいろな矛盾が見つかるはずである」(コーラン4章84節)、という啓示は、偶像の存在を認めているという点で、拝一神教に近いといえる[注 12]。この啓示は、コーラン2章 106節の啓示とは正反対の位置にあることがわかる。「(この宗教の)神の啓示には、矛盾があるときがある」という言葉には、矛盾した啓示も神からの啓示であるとしているためである。このことから、ムハンマドに下された神の啓示には、二種類の神の姿が表れていることになる。一つには、矛盾のない神の啓示(拝一神教)であり、これは、クルアーンにおける最初期の啓示に当たる。もう一つは、矛盾した言動により最初期の教えを破棄(ナスフ)する、神ならざる的存在の啓示(唯一神)である。唯一神は、メディナ時代の啓示に見られる神観念であると見ることができる。
神の直接の啓示としてのクルアーンについての見解

アブラハムの神とされる唯一神は、霊的存在である天使ガブリエルを通して、直接、ムハンマドにクルアーン(ウスマーン版ムスハフ)(ムスハフ解釈本)として、多くの言葉を啓示している。アッラーとしての唯一神は、平和の神であると同時に、他宗教と戦争をする神でもある。ここに、大きな矛盾が存在するため、各宗教の信者の「アッラー」及び「ムハンマド」に対する見方は、様々なものとなっている。
イスラーム圏内における見解

メディナ時代の10年間において、イスラーム信者は、自分の周りに何か問題が起きると、それをムハンマドに相談することができた。そして、ムハンマドに相談するだけで、神様の方からそれに関する「啓示」が下されたとされる。その場合、信者は、別に改めて神にお伺いを立てなくても良かったと言われている。そして、そのお告げが、信者の問題に対する答えに該当していた、という現象が起きていた場合があったとされる。そのため、ムハンマドが生きていた間は、彼が生きた法典としての立場にあった。その後、神の啓示で、「何か問題があればムハンマドに聞け」という啓示があった。この啓示は、ムハンマドを立法者としての立場に立たせ、彼を王として決定づける方向に進んだ。
絶対的聖典を否定できない社会、での見解

クルアーンの示す神の啓示に基づいて国を維持してゆくためには、クルアーンに含まれる矛盾をそのままにしておいたのでは、国家が成り立ってゆかないと言える。神の真理とされるクルアーンに矛盾があると感じるのは、その背信者の解釈の仕方が誤っている、とされている。クルアーンには誤りがないとか、預言者に誤りはないというのは、帝国となった後の為政者が決めたことである。[注 13]
メッカ初期の教えとスーフィズムにおける見解

スーフィズムとは、個人的、実存的なイスラームであり、メッカ期の啓示の精神を原点として発展してきたものであると言える[18]

スーフィズム等の歩んできた「内面へのみち」というのは、だいたいにおいて、メッカ期のイスラーム信仰の系統であると言える。メッカ期のイスラームの特徴としては、人間の個人個人の宗教的実存の在り方に直面したものであった。罪を自覚した人間が、神の呼びかけに対して、どう応えてゆくかというものであった[19]

宇宙の内面的真理に通じていて、奇跡を行う能力を備えた人を聖者として信仰するスーフィズムもある。本来の自己存在がもともとは神と一体化したものであるということを知ることを目的として、霊性現成のために、内的に神と会えるように、修行をする。また、クルアーンには、2章109節や50章15節などに見れるように、「神が人間の内側に存在する性質もあること」を示す章句もある[20]

悟りの項目を参照
神の慈悲に基づく、現代的な見解

現代において、マララ・ユサフザイは、イスラーム教は平和の宗教であるとしている。彼女は、宗教という枠を越えた、世界規模での教育の普及を訴えている。彼女は教育を通して、ムハンマドやイエスやブッダから思いやりの心(慈悲の心)を学んだとしている。世界中の人々が、神の心の現れともいうべき「他を思いやる心で生きることができる」ように、教育の普及に向けた活動をしている[21]
クルアーンの啓示において、敵視されている宗教の見解
ユダヤ教の場合

ムハンマドの当時、ユダヤ教徒はムハンマドを預言者として認めなかった。その理由としては、ムハンマドの、ユダヤ教に関する啓示に問題があったことと、当時彼が九人の妻を持っていたことがあげられている。「結婚のことばかり考えている神の使徒というのは、ありえない」というのがユダヤ教徒の主張であったとされている[22]。しかし、聖書の間違いや重婚のことはムハンマドから出たことではなくて、メディナにおける神の啓示から発生した事態であると言える。そう見てくると、ユダヤ教徒とイスラーム教徒との関係悪化となった最初の原因とは、メディナ期における啓示の内容に問題があったことであると理解することが出来る。また、ムハンマドはメディナに移住するにあたって、アンサールだけではなく、同じ神を信じているユダヤ教徒からも、経済的な援助をしてもらえるものだと考えていたようである。神の啓示が、ユダヤ教とは違って行ったので、ムハンマドは、ユダヤ教徒から援助を受けられず、また、預言者としても認められないこととなった。そして、金銭的な問題が絡んでいたこともあり、ムハンマドとユダヤ教徒との事態の悪化は深刻となったようだ[23]
キリスト教圏の場合

ムスハフは、キリスト教圏では、偽りの本とラベル付けされている。ムスハフでは、キリストは十字架では死んでおらず、身代わりの弟子が死んだ、という見解を啓示している。それらの見解は、神の自己認証だけを証拠として啓示されているので、虚偽の書と指摘される素地は、啓示自体の中にあるようだ。またそうした考え方は、ムハンマドの住んでいた地域には、異端的なキリスト教が広まっていたためだという解釈もなされている[24][注 14]。また、聖書の記述について下された啓示が、誤った歴史認識による、矛盾を含んだ真理として記録されていたケースがある。(三位一体を神、イエス、マリアとするなど)。

キリスト教の立場からすると、ムスハフは、過激派を生み出す悪しき宗教書と受けとめられている[25]
異教徒・多神教徒とされていた民族(日本など)における見解

神がかり宗教(「巫者を神が支配する宗教」)としての側面を持つ一神教

『クルアーン』の初期の啓示は、偶像崇拝や、聖石崇拝における砂漠の巫者特有の「啓示」の表現形式であるサジウ体で行われた。偶像崇拝や、聖石崇拝や多神教は、クルアーン以前から行われていた伝統的な砂漠の宗教である。クルアーン以前の巫者は最も下等な偶像崇拝である聖石崇拝を主に活動していたとする見解がある。ムハンマドの場合、神が啓示するというのは、神が預言者に憑依するという形式で行われることが多かった。その状態は、第三者から見ると偶像崇拝や聖石崇拝の巫者と大して変わりがなかったと言える。そのことから、一神教を掲げるムハンマドは、自分が聖石崇拝者と同類に見られることを嫌ったとされる[26]

メディナ時代に入ると、神の啓示は、旧約聖書に出てくるような内容を、「散文体」で啓示した。ムハンマドは、カアバ神殿で行われていた偶像崇拝の一部である聖石信仰と一神教習合したとも言える。メディナ時代の神は、偶像崇拝者を敵とみなしてはいる。しかし、当時のアラブの偶像崇拝の伝説をイスラームの土台に据えることによって、「絶対的一神教」と神がかり宗教(「巫者を神が支配する宗教」)との融合が図られたとする見解もある[27]。また、ムハンマドの宗教は、クライシュ族に信仰されていた宗教の一派の信仰を、拡張したものである、とする見解もある[28]


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