唯一の神
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なお、マルコ福音書に出てくる終末については、エルサレム神殿崩壊を世の終わりの出来事と理解する筆者の見方や古い注によって編集されており[39]、 不明瞭な記述となっている。世の終わりについて、ナザレのイエスは天のみ使いさえも計り知ることのできないほどの深遠な事態であるとしているのに対して、パウロは、自分が生きているうちに主の来臨の時はやってくるとしていた。テサロニケ第一の手紙が書かれてから40年ほどしてからヨハネ福音書が書かれた。ヨハネ福音書[注 30]はイエスの終末観と共通の部分があると思われ、世の終わり・裁きの時という概念は明瞭になっていない。人々がイエスの啓示に対して下す判断が、その人の運命を決定するとされ、悪人を裁いて滅ぼすためではなく、救うために布教していることが記されている[40]ヨハネ福音書では、裁きはもう来ているとされていて、この世の支配者はすでに裁かれたともされている。[40]
キリスト教グノーシス主義(一元論的)
キリスト教アリウス派

西暦325年、教会会議がローマ皇帝コンスタンティヌスの命の下に、小アジアのニケアに召集された。長老アリウスの見解は、イエスは神に創造されたものであり、御父に従属するという聖書の啓示に即した見解であった。
複合的な唯一神
キリスト教

キリスト教の神は、ユダヤ教における唯一絶対の神を神としている。それと合わせて、神より来るとされている霊的存在についても、唯一神としている。さらには、歴史上の人間を唯一神と同格の神として信仰している。神の子は複数の人間を指すのではなく一人の人間を指している。

啓示宗教としてみた場合、キリスト教においては、三位の神が、それぞれに啓示を下すとされている。啓示を受け取るのは、信者個々人や、教会組織がそれを受け取る。神の場合、キリストの場合、聖霊の場合、各聖人の場合があり、それを受け取る側が、神の啓示であると認識する構図となっている[注 31]

新約聖書においては、三位一体の神という啓示はない。また、十字架による贖罪や、無原罪のマリアという啓示もない。

神の啓示に基づくとされる新約聖書には、イエスは神に創造されたものであり、御父に従属するという見解がある。また、聖霊に対する罪という観念において、イエスは三位一体とはならないことを述べている。そうしたことから考えると、三位一体説は、啓示宗教というよりも、人為宗教的な教説であると見ることができる。
人間であったイエスを神と見る信仰の始まり

若年の助祭長であったアタナシオスは、イエスと神は同じであり、同一の存在であると唱えるようになる。他方、長老アリウスをはじめとする人々は、イエスは神に創造されたものであり、御父に従属するという聖書見解を守った。西暦325年、こうした論争を解決するための教会会議がローマ皇帝コンスタンティヌスの命の下に、小アジアのニケアに召集された。異教徒であったコンスタンティヌスはこの会議において,アタナシウスの側を支持した。その結果、聖書に忠実に従おうとしたアリウスの述べた見解は異端と宣言された。

それと関係のあることとして、カトリックにて用いられている十戒には、偶像崇拝の項目が省かれている。
唯一神(イスラーム教)の啓示に見るキリスト教の唯一神

イスラームの神の啓示によれば、人間を神とすることは、偶像崇拝であり、また、聖母等の、仲介者による罪のとりなしは意味がないとされている。新約聖書において、三位一体の神という神の啓示がないのと同じく、神が三であるとする神観念は、誤りであると啓示されている。イスラームの神が認めているのは、一なる神という神の姿である。

歴史的に見ると、ムスハフは、神がかりの状態になった人間が、恍惚状態のなかで口走った言葉を書物にしたものである。啓示をしたのは誰か、ということについて、客観的にはっきりしたことを証明することはできない。それは、知ることのできない何者かが為したことである、とする見解がある。啓示全体が下された20年余りの時期を、三期に分ける研究の仕方が一般的であるとされている。最初期の啓示の文体は、荘厳で詩的なものであった。それは、シャーマンや巫者が用いるところの、「カーヒン」と呼ばれる、神霊的言語形式であったとする見解がある。啓示してくる霊的存在のなすがままに、ムハンマドは、異様な言葉を吐くという状況であったとされる。激しい苦痛と苦悩のうちにそれは行われた[41]。最初期の時代の啓示には、神の威厳が大変強く現れているとされている。宗教的緊張感を伴った、これらの神的な啓示は、最初期の時期に特有のものであるとされている。しかし、やがて、メディナ期になると、ムハンマドの問題提起に応じて、神の「お答」が下されるという、弛緩して身体的にもゆるやかな散文形式の啓示となったとされる[25]

啓示が下された当時、それらの啓示がすべて神よりもたらされたものと判断したのは、ムハンマドである。ほとんど場合、彼の自己意識は喪失した状態で、神の言葉を口が勝手に語る、という状態だったようだ。しかし、ムハンマドは霊の声を聴くことはできたが、霊を見ることは時々しかできなかったようだ。はじめて啓示が下されたとき、彼は自分が悪霊につかれたものと判断した。それが神よりの啓示であると直感したのは、彼の妻であった[42][注 32]

イスラーム世界の大きな矛盾の一つに、イスラム教とキリスト教とは同じ一神教を掲げている、兄弟ともいえる間柄であるのにも関わらず、敵同士の関係になっている、という点がある。この矛盾点が生じた原因に関してみるならば、「神以外の存在から、啓示が出ている場合、矛盾が生じる」ということが原因であると見ることができる。

イエスの存在は、イスラーム教とキリスト教という二つの世界観における、大きな共通項であるとする見解がある[25]。ムスハフによれば、歴史的な存在としてのナザレのイエスは人類の教師としての存在であるとしている。そのナザレのイエスの本質的な教えと、ムハンマドに下されたクルアーンの初期の教えとの間には、矛盾は見当たらないと見ることができる。そのため、ムスハフの本来の教えは慈悲の教えであるという見解に矛盾はないと見ることができる。

ムスハフにおいて、イエスの本質は、神から発する言葉(神的なロゴスの意)であるとされる。歴史的存在としてのナザレのイエスは、現世にても天の世にても神の高き誉を受けている。イエスの存在は、神の存在のすぐ近くに存在している、と解釈されている [25]

57章27節において、神は、「イエスを預言者として召し出し、福音を授け、これに従う人々には、慈悲の心とやさしい気もちとを置いた」、ということを言っている。これは、神の啓示がキリスト教と対立するようになってからの啓示である。このことは、キリスト教によって変化する前の歴史的存在としてのイエスの教えは、ムスハフの説く教えと同じであったということを示している。また、ムスハフの中において神は、キリスト教の説く三位一体説は、人間であるイエスを神としているので、これは誤りであるとしている[43] 。その意味からすると、人間であったイエスを神の息子としての神の子であるとすることや三位一体の教説を主張している四福音書は、重大な誤りを含んでいるといえる。それは宣教のための物語である、とする見解もある[注 33]。四福音書にはそれぞれに記述の食い違いがあるという点を、イスラームにおけるナスフによって言い換えると、それは、「啓典の歪曲」に当てはまるようだ。特に、ある同じ文書を見て作られたとされる共観福音書については、自分たちの宗派に合った伝承に、彼らの作者の手が加えられた物語であると言える。「啓典の歪曲」が多くみられる新約聖書は、神がイエスに下した啓示をそのまま記した言行録ではないといえる。共観福音書の作者は、神がイエスに下した啓示を歪曲して、自分たちの宗派に合った宣教物語を作成したと言えるようである[注 34]。イスラームの啓示において、新約聖書の啓示は歪曲されているという判断が下されていることと、イエスは神の被造物であるという聖書にもとづく見解は、同じものであるといえる。こうしたことから考えると、啓示宗教としてみるならば、唯一神を複合的にした三位一体説は、人為宗教的な神観念であるといえる。
キリスト教系新宗教における唯一神
セブンスデー・アドベンチスト教会
エホバの証人

エホバの証人における神は、ユダヤ教の唯一の神と同じとされている。神より来る霊的存在や、救済者については、キリスト教と同じで、これらも唯一神であるとされている。キリスト教との相違点は、この世における、この組織の頂点に位置する統治体のうえに、イエスキリストが臨在しているという点である。

エホバの証人の信仰している神の呼び方はエホバであるとしている。エホバ神は、旧約聖書でいうヤハウェのことである。エホバ神は、「最後の時」を、1914年から起こしたとされている。エホバの証人の組織は、その観念への対応から初期の聖書研究会によって構築されたものであるが、統治体の上にのみイエス・キリストが臨在しているとしている。[注 35]。その、神とイエスの啓示が、信仰の基盤とされている。実際の信仰生活において、ヤハウェと、エホバの神との大きな違いは、「最後の時」を発動しているかどうかというところにあるといえる。

また、統治する王イエス・キリストは、これまでのキリスト教世界について、自分の父なる神の敵対者とみなしているとしている。[45]
その他のキリスト教系新宗教
末日聖徒イエス・キリスト教会

ユダヤ教と同じ唯一神を神としている。天の父とされる唯一神は、完全な肉体を持っているとされている。神より来る霊的存在は、唯一神とは別個の存在であるとされている。人間として生まれた救済者は、唯一神の長子であるとされている。新約聖書とは異なる一冊の聖なる書物を神より啓示されたとしている。(その原本は現在存在していない。)また、教祖は預言者であるとされている。
その他

世界平和統一家庭連合
広義の意味における唯一神

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