唯一の神
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罪を自覚した人間が、神の呼びかけに対して、どう応えてゆくかというものであった[19]

宇宙の内面的真理に通じていて、奇跡を行う能力を備えた人を聖者として信仰するスーフィズムもある。本来の自己存在がもともとは神と一体化したものであるということを知ることを目的として、霊性現成のために、内的に神と会えるように、修行をする。また、クルアーンには、2章109節や50章15節などに見れるように、「神が人間の内側に存在する性質もあること」を示す章句もある[20]

悟りの項目を参照
神の慈悲に基づく、現代的な見解

現代において、マララ・ユサフザイは、イスラーム教は平和の宗教であるとしている。彼女は、宗教という枠を越えた、世界規模での教育の普及を訴えている。彼女は教育を通して、ムハンマドやイエスやブッダから思いやりの心(慈悲の心)を学んだとしている。世界中の人々が、神の心の現れともいうべき「他を思いやる心で生きることができる」ように、教育の普及に向けた活動をしている[21]
クルアーンの啓示において、敵視されている宗教の見解
ユダヤ教の場合

ムハンマドの当時、ユダヤ教徒はムハンマドを預言者として認めなかった。その理由としては、ムハンマドの、ユダヤ教に関する啓示に問題があったことと、当時彼が九人の妻を持っていたことがあげられている。「結婚のことばかり考えている神の使徒というのは、ありえない」というのがユダヤ教徒の主張であったとされている[22]。しかし、聖書の間違いや重婚のことはムハンマドから出たことではなくて、メディナにおける神の啓示から発生した事態であると言える。そう見てくると、ユダヤ教徒とイスラーム教徒との関係悪化となった最初の原因とは、メディナ期における啓示の内容に問題があったことであると理解することが出来る。また、ムハンマドはメディナに移住するにあたって、アンサールだけではなく、同じ神を信じているユダヤ教徒からも、経済的な援助をしてもらえるものだと考えていたようである。神の啓示が、ユダヤ教とは違って行ったので、ムハンマドは、ユダヤ教徒から援助を受けられず、また、預言者としても認められないこととなった。そして、金銭的な問題が絡んでいたこともあり、ムハンマドとユダヤ教徒との事態の悪化は深刻となったようだ[23]
キリスト教圏の場合

ムスハフは、キリスト教圏では、偽りの本とラベル付けされている。ムスハフでは、キリストは十字架では死んでおらず、身代わりの弟子が死んだ、という見解を啓示している。それらの見解は、神の自己認証だけを証拠として啓示されているので、虚偽の書と指摘される素地は、啓示自体の中にあるようだ。またそうした考え方は、ムハンマドの住んでいた地域には、異端的なキリスト教が広まっていたためだという解釈もなされている[24][注 14]。また、聖書の記述について下された啓示が、誤った歴史認識による、矛盾を含んだ真理として記録されていたケースがある。(三位一体を神、イエス、マリアとするなど)。

キリスト教の立場からすると、ムスハフは、過激派を生み出す悪しき宗教書と受けとめられている[25]
異教徒・多神教徒とされていた民族(日本など)における見解

神がかり宗教(「巫者を神が支配する宗教」)としての側面を持つ一神教

『クルアーン』の初期の啓示は、偶像崇拝や、聖石崇拝における砂漠の巫者特有の「啓示」の表現形式であるサジウ体で行われた。偶像崇拝や、聖石崇拝や多神教は、クルアーン以前から行われていた伝統的な砂漠の宗教である。クルアーン以前の巫者は最も下等な偶像崇拝である聖石崇拝を主に活動していたとする見解がある。ムハンマドの場合、神が啓示するというのは、神が預言者に憑依するという形式で行われることが多かった。その状態は、第三者から見ると偶像崇拝や聖石崇拝の巫者と大して変わりがなかったと言える。そのことから、一神教を掲げるムハンマドは、自分が聖石崇拝者と同類に見られることを嫌ったとされる[26]

メディナ時代に入ると、神の啓示は、旧約聖書に出てくるような内容を、「散文体」で啓示した。ムハンマドは、カアバ神殿で行われていた偶像崇拝の一部である聖石信仰と一神教習合したとも言える。メディナ時代の神は、偶像崇拝者を敵とみなしてはいる。しかし、当時のアラブの偶像崇拝の伝説をイスラームの土台に据えることによって、「絶対的一神教」と神がかり宗教(「巫者を神が支配する宗教」)との融合が図られたとする見解もある[27]。また、ムハンマドの宗教は、クライシュ族に信仰されていた宗教の一派の信仰を、拡張したものである、とする見解もある[28]
ムスハフの啓示は、神がかり宗教(「巫者を神が支配する宗教」)から、ムハンマドの政治思想に転化したとする見解

メディナ時代における神の啓示では、アブラハムイシマエルカアバ神殿を建設したとされている。しかし、この見解は、一般的には、ムハンマドの創作した見解であるとされている。また、ムハンマドは、アラブの民族感情の上にイスラムをしっかりと基礎づけるために、アブラハムの宗教と自分の主張とを結びつけたとされている[27]。メディナ時代のイスラームの歴史は、ムハンマドがアラビアの王になるまでの政治的成功の歴史でもある。一神教と聖石信仰を融合していったムハンマドの支配者としての思想を重点に置いて見ると、そのような見解が生まれてくるものだと言える。
ムスハフは、「主なる神の啓示」からはじまったが、やがて「聖石信仰の巫者、の啓示」に変化した、とする見解

ムハンマドの場合、最初のうちは洞窟などで瞑想にふける修行をしていたようだ。そのことは、ムハンマドには預言者としての心の境地が整っていた、と見ることができる。当初、彼には、主なる神の啓示が降りてきたようである。しかし、やがて彼は、政治家として、戦闘や殺人や強盗に手を染めるようになってしまった。そのため、彼には、主なる神の啓示が降りてこなくなったようである。ムハンマドに降りてきた啓示は、聖石信仰ともいえる散文的な啓示だけであった[注 15]

「巫者を神が支配する宗教」の特徴としては、啓示を受ける巫者の心の境地の状態に応じた霊的存在が、その人の体を支配するとされている。聖なる存在は聖なる心に来たり、俗なる存在は俗なる心に引き寄せられるとされている。降霊を待ち望んでいる人の心には、心の隙があるとされる。降りてきた霊の姿を霊視できない場合、神だと名乗ってきた低級霊にだまされることは、往々にしてあるとされる。ムハンマドは霊聴はできたが、たまにしか、霊を視ることはできなかったとされているので、だまされやすい条件はそろっていると見ることができる[注 16]
初期のイスラームにおける唯一の神とは

イスラーム教「ムスハフ解釈本」についても参照

ムスハフにおいて、預言者の権威を確立させている箇所は、すべてメッカで啓示されたものであるとされる。メッカ初期の啓示には主なる神の姿がよく表れている。
アッラーについて

初期の啓示とは、最初の神の啓示から、約四年ほど経つまでの間に下されたアッラーによる啓示を指す。その、最初期の啓示に顕された姿は、ユダヤ教(なかでもモーセの十戒)やキリスト教(なかでもナザレのイエスの教え)で説かれている神の姿とたいへんよく似通っているとされる[29] [注 17]。97章では、「天使たち」と「聖霊」は、主のお許しを得て、すべての神命をもって地上に降臨することが啓示されている。これは、ユダヤ教の世界観と同じような世界観であると見ることができる。また、ごく初期のものとされる96章1?5、74章1?7では、「あなたの主」、という呼称が、神の啓示の中で用いられている。
慈悲の神

『クルアーン』第88章では、神が天地の(ひいては宇宙の)創造主であることを顕している。ここではメディナ期の啓示における平坦な地球を回る天動説の宇宙論とは異なり、現代でも通用する総合的な表現がされている。神の創造により万物がつくられたと表現されている。人間が眼前に見ることができる自然の営みの中に、神の力が見られるとされている。めぐりゆく自然の姿も神の創造の力であるとされている[30]。 また、地球環境を全体的に整え、人間が生活できるように保っているのは、変わることのない神の慈悲心のあらわれであるとされている[30]
平和の神

106章1には、「クライシュ族をして無事安泰に」という啓示があり、これは初期の啓示であるとされている。強情な偶像崇拝者であっても、無事安泰を祈れ、すなわち敵の平和を祈り行動せよということが言われている[31]


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