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出典検索?: "唐渡亮"
からと りょう
唐渡 亮
唐渡亮(「日本タレント名鑑」より)
本名唐渡 信忠(からと のぶただ)
生年月日 (1965-05-16) 1965年5月16日(59歳)
出生地 日本・大阪府
民族日本人
身長180cm
血液型O型
職業俳優 演出家 起業家
ジャンルテレビ・映画・舞台・演出
活動期間1986年 -
事務所エンジンエンターテイメント
主な作品
映画
『劇場版 仮面ライダーアギト PROJECT G4』(2001年)
『子猫の涙』(2007年)テレビドラマ
『闇のパープル・アイ』(1996年)
『FiVE』(1997年)
『すずらん』(1999年)
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唐渡 亮(からと りょう、1965年5月16日 - )は、日本の実業家、日本の俳優、演出家、元ファッションモデル。
大阪府出身。愛称は「唐ちゃん」「亮ちゃん」。独特のハスキーヴォイスを生かした役回りが多い。舞台では、3枚目の役を演じ、俳優として幅を広げる。自身主催の『劇団ENJIN☆猿人』の座長。2018年現在Enjin株式会社の代表取締役社長も務める。 高校卒業後、遊びに行った先の動物園でスカウトされ、オスカープロモーションに所属、モデルの世界へ入る。ミヤケイッセイデザイン事務所に入社。イッセイミヤケの広告モデルとして出演する。アパレル分野では、TOKIOKUMAGAIのボディーを務めている。25歳の時に俳優へ転身。このころ、身体を鍛えることを目的として、井原道場に入門しキックボクシングのウェルター級でライセンスを取得している。 1996年、『闇のパープル・アイ』の出演をきっかけにブレイク。ブレイク後は順調に俳優としての人生を歩んでいた。しかし1999年、ドラマの撮影中に声が出なくなり、病院で診察を受けたところ「喉頭腫瘍異型癌」と診断され約2年半に及ぶ闘病生活を送る。闘病中は入退院を繰り返し、その間計6回の全身麻酔手術を受けている[1]。大きな手術後は闘病生活中も俳優としての仕事に復帰した。 1998年、劇団THE東京ピチピチBOYSを座長として創設。2004年、劇団を後継者に譲渡。2005年、劇団チームうるしを創設。一年間のみの契約後解散。2006年、有限会社アルガアーティストプロダクションを資本金300万円で設立。プロダクション名は本人の好きな言葉「あるがまま」を引用し、アルガアーティストプロダクションと名付ける。 2009年2月、取材をきっかけに横乗りスケートボードであるフリーラインスケートに興味を持ち、任意団体の日本フリーラインスケート振興会(現日本フリースケート振興会
来歴
2010年、芸能プロダクションと契約再開。2012年、自身の今までの経験、スキルを、地域に還元したいとの想いから、地域活性化イベントに精力的に取り組む。同年 地域から俳優を輩出するプロジェクト「office jimo-to」を立ち上げ、「JK jimo-to style」などのヘアー&ファッションショーのプロデュースを行っている。
2013年、元大事MANブラザーズバンド 立川俊之が代表をするT's Office と業務委託契約を始める。